受診の経緯②【自傷と向き合う#3】

前回の続きです。
自傷の傷跡の新しい治療法を知り、一度問い合わせはしたものの、受診には至らないまま数ヶ月が経った頃。

ある日、クリニックからのLINE通知が届きました。
それは、「培養表皮移植術」という新しい治療法がスタートしたという内容でした。
自分の皮膚を少しだけ採って培養し、それを傷跡に貼り付けるという治療法とのこと。
まだあまり詳しい情報は掲載されていませんでしたが、そのニュースを見て、「わ、未来が来た」と思いました。
なんというか、傷跡を治療する方法として、これ以上ない方法だと思ったんです。
新しいきれいな皮膚を持ってきて、それを貼り付ける。
そんなことができたなら、ということが実際にできるようになったんだ、とかなり驚きました。

これなら、もしかしたら。
他のどの治療法を見たときよりも、そう思いました。
同時に、「これで駄目ならもう何やっても駄目でしょ」みたいな気持ちもありました。
わたしの好きな漫画で、XYZというカクテルが登場します。
XYZは、アルファベットの最後のみっつ。
「これ以上ない」治療法だし、これで駄目なら「後がない」。
そんな風に感じました。
ただ、だからこそ逆説的に、後悔もしないような気がしたんです。
身に余るような最善のことをして、それで駄目なら、もう自分がコントロールできる問題ではないんだと割り切れそうだな、と思いました。
他の治療法だったら、「やっぱり駄目だった」「違う方法を探さないと」って、さまよい続けてしまう気がしました(そもそも駄目前提で考えてるあたりがアレですが……)。でもこの方法でも駄目なら、もうわたしはどんな方法でも絶対楽になることはないんだと、一生長袖を着続けなければならないんだと、キッパリ諦められるんじゃないかな、と。

……こう書いていると、わたしにとっての傷跡の悩みって、自分がコントロールできないものへの葛藤なんだと思います。
傷跡が他の人からどう見られるかはコントロールできない。
それをしょうがない、とも割り切れなくて、なんとか自分にできる方法で(=コントロールできる方法で)、それを解決しようとしてきた。でも、うまくいかなかったり、他に無理が出てしまう(長袖なんかはその好例ですね。とにかく夏場が苦しい)。
もっと踏み込めば、自傷自体がストレスに対してコントロール感を得るための手段だったとも思います。わたしにとっては。
うーん、根が深いぞ!

割り切れればいい、コントロールできないものを手放せばいい、というのは分かってるんですけどね。
もともと他人から「気にしなくていい」と言われることでも気になってしまう性質で、もうそれはしょうがないとそっちはやっと受け入れたので。

だから、わたしの願いは、「助けて、そうじゃなければ、諦めさせて」ということだったんだと思います。
そして、培養表皮移植術は、それを叶えてくれそうだと思いました。

ただ、施術方法に納得がいっても、どうしても金銭面での負担は無視できない問題でした。
わたしの傷跡は、細いのですが、右腕全体にわたっているので、かなりの高額になると思っていたんです。
症例集を見ても、傷跡の範囲は私よりも狭いものばかりでした。それでこれだけのお金がかかるなら、とてもじゃないけど手を出せない……と躊躇っていました。

しかし、それから少しして、新たにモニターの応募を開始したというお知らせが届きました。モニターの場合、手術代を割り引いていただけるそうです。
見た瞬間に受診の予約をしました。
今思えば、それですぐに予約をするくらいには、やっぱりこの治療法を受けたかったんだと思います。
お金の問題がなければ。

……そうしてようやく、はじめての受診に至ったのでした。前置きが長い!
最終的に、当初応募したモニター枠には入れませんでしたが(そもそも傷跡の範囲が要件を満たしていませんでした)、今は治療法を開始したばかりだから、ということで正規の価格から割引していただけました。
これは次の記事に書こうと思いますが、それでも傷跡の範囲が広すぎてかなりのお金がかかる見込みです。ただ、このタイミングで受けるのが、もっとも金銭的な負担が少なくなりそうでした。

なんにせよ、受診への一歩が踏み出せたのはよかったと、そう思いたいです。

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