人生で1番辛かった5月②
これは私の勝手な感情です。気分を害したら申し訳ありません。
早くに命を絶つ人のニュースを見ると、まだ若いのにこれからの未来があるのにどうして?と思う。でも高齢の方が命を絶つニュースを見ると、色々な苦難、喜び全てを経験してこれから時分の時間を生きてられるのに何で?と思ってしまう。
どっちにしても言える事は、残された家族の心の悲しみや深い傷。突然何の前触れもなくこの世から消えてしまった現実は受け入れられない!‼️
前回の続きです。誰かに義父が生きてた証。私の中でずっと封印してきた事。言葉で家族さえも殺してしまう事。年齢関係なく残された人の気持ちをわかって欲しいから。
同じ経験の人、今生きてるのが辛い人にどうか私の気持ち、そして義父の想いを感じて欲しい。
あの夜の電話の後…
義父が亡くなった知らせを受け、その後は記憶がない。
職場に連絡し、病院にも連絡しそこから親戚が集まったが覚えてない。
ただ義父が亡くなってから3日後お通夜の日にやっと逢えた。
多分飛び降りだったから破損が酷く、綺麗な顔に戻してもらうために時間がかかったのだろう。
死因は皆に突然死と伝えている。
でも近所の人はわかってると思う。
葬儀の場所等全て親戚の方がやってくれたようだ。
私はモラ夫に言われ髪の毛を染めに行ったが、暗くしてと言ったのに明るい色に染まっていた。
もう立ってる事も辛く消えたかった。
私があの時、気がついていればこんな事にならなかったとずっとあの日から私の時間は止まっている。
モラ夫は大きな企業に務めていた為、その相手があるからお前は子供の対応や会社の人間に挨拶をしっかりしろと。こんな時も労わってくれない。
娘は小6。1人で辛かったと思う。私はと言うと
お姑に「子供が煩いから外のホールで子供の相手をして。こっちは娘と義姉がいるからと」。
義父の顔を見たい。逢いたい。娘も心配だ。
所々記憶がないが、お通夜の時娘が大声で泣いて怒鳴ってるのは覚えてる。
「ママは人殺しじゃない。じぃじはママと仲良しだった。そんな嘘言わないでばぁば」と聞こえる。
娘が心配だけど中に入れない。1歳8ヶ月の息子が歩いて目を離せない。来てくれる人に挨拶をしないといけないし、もう気を失いそうだ。
職場の人がお通夜に来てくれた。一気に泣いてしまう。お姑の性格を知ってるので中の様子を聞くと
「嫁が殺した。嫁がお父さんを虐めて殺した」と言ってると。それを阻止して娘が皆に泣いて訴えてると。今でもその光景が目に浮かび娘の鳴き声や必死に訴える言葉が聞こえ、涙で文字か打てない。
言い訳する元気もなかった。わかってくれる人が1人でもいればいい。何なら私が殺したのと同じだと。
新幹線で何時間もかけて父と妹が来てくれた。
性格を知っての事で駆けつけてくれた。
私は溢れ出す涙を我慢して、「義父に会ってあげてと。」「大丈夫か?寝たのか?姉ちゃん大丈夫?」と心配してくれる父と妹。兎に角娘の事を妹にお願いした。娘は妹が大好きだから。
そしてお姑に父と妹が来てくれましたと伝える。
何か話してるが、聞こえない。父親が息子を抱っこしてくれてやっと義父の顔を見える。
見た途端、義父の最後に命を絶つ時の光景が映画の様に見える。そして義父の顔は優しい顔ではなかった。あの笑顔じゃない。苦しんで言いたい事が沢山あるような穏やかな顔ではない。
その時に私は義父に手紙を書いたからそっと棺の中に入れた。お姑と義姉が嘘泣きで皆にこう言う。
「父の穏やかな顔みて下さい。本当に私と母で父を介護してきました。父はそれを喜んでくれて本当にいい時間でした」と。
は?何言ってる?涙も出てないくせに?あんたっちが殺したじゃん。汚い手でお義父さんを触らないでと。悔しくて涙が止まらない。娘も「嘘つき。ママがじいじの面倒見てたんだよ。いつも2人でじぃじの事虐めてたじゃん。じぃじ可哀想だよ。触るな嘘つき」。わかる人は泣いている。親戚の人は義姉に良くやった。大変だったね。親孝行だねなど言ってる。妹が娘を外に連れ出してくれた。私は皆の訳の分からない視線を浴びてる。父が上手く誤魔化して外に出してくれた。
「桜子あんなお姑さんと姉さんだったか?あいつも(モラ夫)も娘も嫁もこんなに扱いされとるのに何も言わないってアホか」と怒っている。
私は耐えられなくなって、父の胸にしがみついて大泣きした。本当にお義父さんが可哀想。亡くなって迄嘘をつかれて辛い悔しい憎い。
その後、親戚とお姑と義姉は葬儀場で泊まると。
私達は家に帰る。モラ夫が走ってくる。「お父さんと妹が来てるからそっちに戻るよ」と。
お姑達がモラ夫の名前を呼んでるし怒るから泊まりなと言っても自分の体裁しか考えないので、うちの父に気を使ってる。
その後娘が泣きじゃくりながら、お通夜の様子を話す。ごめんね。有難う。辛かったね。としか言えない。「ママはじぃじと仲良しだったし何を言われてもじぃじがわかってくれるし神様も見てるからばぁばの言うことはほっといて大丈夫」と伝える。
その後も記憶はない。
次の日葬式はモラ夫の会社のひとが受付をしてくれたり、更に人が多い。ほぼモラ夫の会社の人や、お義父さんと面識がある人、同級生が来て下さってた。
勿論私はお姑さんから中に入るなと言われてるから息子の世話をする。
父と妹に娘をよろしく守ってと伝える。
時々近所の人が、「お嫁さんなんだから中に入りなさいよ。顔色悪いけど大丈夫?僕ちゃん面倒見ようか?」と声を掛けてくれるもそんな事をしたらお姑義姉に怒られる。中から聞こえるのは娘の学校の校歌。お義父さんと娘は同じ小学校で、その年創立記念日だった。お義父さんの同級生と娘が前に出て歌ってる。娘の後ろ姿を見て大泣きしてるのがわかる。
1番じぃじといた娘。お姑義姉の暴言やお義父さんの事を1番見てる子。本当に辛かったと思う。
私も思い出が蘇り、涙が止まらない。今年、私の妹と正月に酒を呑んで、楽しそうだった。こんな楽しい正月はない。孫も2人で皆いて楽しいって言ってたのに。
同窓会に行ったばっかりじゃん。お義父さん何で?何で?と心の中で問う。
結局葬式中は中にはいれずだった。
ここも記憶がないが、火葬場に行く時お義父さんの家の前に立ち寄る。最後の挨拶だ。近所の人もいるが皆本当の死因を知ってるだろう。
火葬場に行っても娘は父と妹から離れない。
モラ夫は事務的な事をやっている。
そこも記憶は全くない。
お骨を拾う時も私は呼んで貰えなかった。
息子が小さいから迷惑をかけると。
見かねた近所の人が、大きな声で「最後ぐらいお義父さんの骨拾ってあげな。1番面倒見てたのお嫁さんでしょ?お義父さん泣いてるよ。早くおいで」と呼んでくれた。慌ててお姑が「あっごめんね。気がつかなくて」とわざとらしく言う。
私はお義父さんが亡くなって3日目に少し顔を見たのと最後は骨だけになったお義父さんしか見えなかった。
お骨を拾う時、もう限界で泣きじゃくてしまった。
近所の人、父が背中をさすってくれる。
過呼吸になるほど泣いてしまった。
その後の事は全く記憶にない。四十九日の法要は地元とやり方が違って義姉に本当に出来損ないで何も出来ない嫁で大変と言われた。何も教えてくれないからわからない。
親戚の前でも義姉は私と母で2人で介護をしてきました。大変な事も辛い苦しい事もあったけど、これから2人で生きていきますとかも覚えてる。嫁は何をしてた?と言われてたと思う。
その日も私は息子ガ小さくて煩いからと部屋から出されたのは覚えてる。モラ夫は親戚の叔父さんと呑んで酔っ払い2人で義父がお酒好きだったから飲み直しに行った。この2年間は空白で何も覚えてない。娘曰く、毎日泣いて死ぬかと思ってたと。
ただ、お義父さんが亡くなって1週間後に父が飛び降りた場所に無意識に立ってた。
遺書もあったらしいがお姑と姉が捨てたらしい。
あんなに娘と酒を飲む事。息子が生まれて長生きするって約束したのに。
その場に立ってお義父さんに話しかける。涙が止まらない。私も死のうと思った。ここまで頑張ってこれたのはお義父さんがいたから。
お義父さんに最後に言われた言葉。
モラ夫は子供のまま成長してる。だから桜子に迷惑をかけるのもわかってる。だけど見捨てないでやってくれと。
これだけは今でも忘れない。「本当の娘は桜子だけけだ。いつもお義父さん元気?の言葉がどれだけ嬉しかったか?」
本当に場所も車も多く、人も通る場所。
私が座りこんでいる為、通りがかりの人の声でハッとして現実に戻る。
最後お義父さんが息絶えた所。私は許せなかった。
何で死ぬの?何でこんな死に方するの?
孫は?私は?お義父さんの事大好きなのに何で?
今でも時々思い出す。義父の顔や声。
命日は義父が好きだった物を今も食べている。
義父を許すのにも時間がかかった。
それでも今でも私も娘も変わらずじぃじが大好きだ。息子は知らないが、1枚写真があったので見せた時に逢いたかったと。
今でも息子と娘とお墓参りに行く。
その後心療内科で、沢山の薬をもらったのは覚えてる。空白の2年間。娘に助けてもらい、友達に助けてもらった。今でも記憶は戻らない。
人間本当にショックで辛すぎると記憶がなくなってしまうと。
義父が亡くなって3年目にやっと自分らしく生活出来るようになった。
お義父さん。もう12年経つけど私、離婚するよ。
大事な子供を守る為にとお墓参りで報告した。
本当に自殺をする人は、ほんとうは強い人だと思う。
死ぬ前の気持ちや今から死ぬと言う気持ちになると
私は出来ない。だからそんな時は逃げて欲しかった。命を絶つではなくて逃げて欲しかった。
自ら命を絶つ人も本人しかわからない辛さや苦しみもあるし誰にもわからない。
でも残された人の気持ちも同じだ。何年立っても立ち直れない。それでも生きていかないと。生き抜かないといけない。
命を絶った人の事を認めて許して、それからまた毎日生き抜かないといけない。
どうか同じ境遇の人がいたら、何年かかってもいい。ゆっくり休んで前に進んで生きて欲しい。気持ちはわかるから。
そして辛くて苦しくてもう生きる意味がわからなくなった人がいれば、そこから逃げて下さい。
誰かに助けを求めて下さい。
命を絶ってもそこから何も変わらないから。
義父も後悔してると思う。だから逃げて下さい。生きて下さい。
最後まで読んで頂き有難うございます。
何度も言いますが、私は嘘をつかずにここで伝えて誰かに少しでも伝わればいいと思うから。
こんな事があっても、人は歳をとるし子供も成長するし、周りの人も忘れていく。
でも私の心の中で、義父を忘れた事はない。
今でも私は義父の娘です。孫もじぃじが大好きです。
お義父さんありがとう。感謝してます。
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