投資家として生きる
僕らはお金を使い、欲しいものを買う。
より安い値段で、より良い物を買いたいって誰もが思う。
僕が大学生の頃に母親とした会話が、
その後の僕の人生に大きな影響を与えたから聞いて欲しい。
僕が成功できたのは、もしかしたらココが起源なのかもしれないと思う。
大学生で一人暮らしをしていた。
日常的にお金に困っていた僕は、買い物には常にコスパを求めていて、スーパーに行ってもモヤシみたいな安いものばかり買っていて、たとえば果物なんてのはそれはそれは高嶺の花だった。
その頃母親は、家から徒歩圏内のスーパーにいつも行ってたんだけど、
そのスーパーが他所のスーパーより少し割高な事が僕は気になっていた。
その頃の僕は、物を安く買う事に関しては確実に母親より詳しかったから、
母親が細かな価格差をなんとも思ってない事が気になってた。
僕は母に言った。きっと得意げだったと思う。
「あのスーパーより、あっちの○○の方が安いよ。」
母は答えた。
「いいのいいの。私が将来歳をとって車に乗れなくなった時に、歩いていける近所のスーパーに、あってもらわないと困るから。」
・・・・・・。
この言葉は、当時の僕に大きな衝撃を持って刺さった。
「お金で物を買う」
これは、決して目先の1つの交換作業だけでは完結しない。
僕らが買い物するお金は、お店に利益をもたらしお店を支える事になる。長くお店を続けるための、大切な資金になる。
潰れずそこにずっとあって欲しい店に選んでお金を使う事。
それは、投資だ。
お金を使う事は、自分がこれから生きるこの世界を形成していく重要な選択であり、投資なんだと心からわかった。
もう一つエピソードを話そうと思う。
僕は子どもの頃からギターをやってた。
僕の住む田舎にも楽器屋さんは何軒かあり、
初めて父親に買ってもらったヤマハのギターは、駅前アーケード商店街に古くからあった老舗の楽器屋さんだった。
僕もギターが上手くなり、バンドを組んでバンド一筋の青春を過ごしていた。
他の多くのバンドマンと同じく、僕の経済状況といえば最悪で、例えばコンビニですら、わりと高級になってしまうレベルだった。
物を手に取り裏面を確認して、いかに安い値段でハイカロリーな物を買えるかって戦いをしていたのは、今とは真逆過ぎて笑える。
バンドには金がかかる。ギターの弦やピック、エフェクターや真空管なんて消耗品は常に必要で、そのどれもが高額な出費として痛かった。
それでも音には妥協するわけにいかないというこだわりだけは一人前で、どんなにお金が無くても一流の機材を使ってた。
あの頃は確かAmazonもハシリで、世界がすごいスピードで変化して、どんどんネット中心の世の中になっていった。
自然な流れで僕も楽器や機材を、ネットで買うようになっていった。
あの頃時代は大きくうねっていた様な気がして、
僕が父親にギターを買ってもらったあの店も、その他の地元の楽器屋も、そのうねりの中でほとんどが店をたたんでいった。
あの頃まだ僕はそれほど、事態の本質に気付けて無かったと思う。
小さい頃の僕は、割と幼い頃からギターに憧れていて、
楽器屋さんの前を通る度にショーウィンドウの中の世界に憧れてた。
そんな幼少期の僕みたいな子どもは、あのお店が潰れて街角からはいなくなった事になる。
「街に楽器屋が無くなれば、楽器人口が減る」楽器屋さんが無くなれば、音楽離れを引き起こし、音楽産業は活気を失う。
色んな事が多様に影響しながらも、その変化は激しく揺れながら、時代は流れ、地元のライブハウスもどんどんと無くなった。僕がその時まさに生きようとしてた世界が衰退していってた。
地元で音楽をやってる人間は、その地元の代表者だ。
そんな僕が地元のお店で楽器を買わずにネットでばかり買い物してるから、店が無くなったわけだ。
その罪は回り回って、自分の今の居場所を衰退させた。
色んな流れがあったと思う。
その全てを一概には言えない事はわかってる。
ただ、この話は、本質の一つであるのは間違いないと思う。
「文化」が消えてゆく事。
「文化」を残す事や、「文化」がバズる事も。
その本質は「お金」だと知った。
残念ながら、熱い想いだけでは文化は守れない。
どうしてもお金が必要なんだと認めざるを得ない。
資本主義のこの世界に生きる限り、お金の集まらない世界はオワコン。
文化は簡単に衰退していく事を目の当たりにした、そんなエピソードだ。
ネットで全国最安値の物じゃないと苦しかった。地元の高い物を買う余裕なんて無かった。
ただ、あの頃の無力な僕にも、何かできたことはあったんじゃないかと、今でも後悔と反省をしてる。
2へ続く