【啓蒙】無気力大学生に未来はない
大学生、特に文科系の学部に所属する学生は「人生の夏休み」と言われている。その所以は膨大な自由時間にある。大学生は1年の半分程度が長期休暇であり、さらに授業の数も高校までと比べて桁違いに少ない。その上大人でもない子供でもない、所謂「モラトリアム」の時期であるため、自分が日常でどうアクションを起こすのか、常に選択の機会と自己責任が付き纏う。
畢竟(ひっきょう)、その一年をまだ触れていない未知の知見を得るために予定を埋めるのか、家にこもってXやスイッチに時間を"溶かす"のか自分次第である。
私がこの記事を書いた理由は、世の"無気力大学生"に呆れ、このような失敗作をこれ以上生み出さないためである。また、後述するが自分を二度と無気力の沼に沈めないようにするために、自分に向けて啓蒙する目的でもある。
無気力大学生の定義について、私の中では「新しい挑戦をしようとしない」だけでなく、「現状をただ惰性のみで維持している」人間を指す。この何が問題なのかというと、「予後」が悪いのである。予後とはネットのとある界隈の言葉で「将来の行末」などを表している(起源は医学用語である)。
なぜ予後が悪いのか。目先のことだけで言えば、就活で相当苦労することになる。企業の面接では、王道の志望動機のほか、その応募者のソフトスキルを見出すために「学生時代に力を入れたこと」に関する質問が定番化している。メジャーなもので言えばサークル活動やアルバイトなどである。他にも大学のコンクールや雇用型の長期インターン、企業などもある。無気力大学生は文字通り無気力であるため、就活で話すことがまるでない。学生時代に力を入れたことといえば、「Xのトレンド欄を1〜50位まで毎日欠かさず閲覧した」とか、「YouTuberの炎上について他の人より数十倍詳しくなった」というものであろうか。こんなことしか誇れるものがない学生を人事部は果たして採用するだろうか。答えは明白だろう。就活が失敗した先は収入が平均と比べて著しく低く、不安定な職業であろう。これは高学歴にも言えることである。高学歴が就活で得をするのは、就活セミナーに企業から直接呼ばれやすかったり、ESが多少通りやすくなったり、就活サイトでES免除のオファーが来る程度のものである。結局は人物面接で篩(ふるい)にかけられることになるので、上記の学生は失敗する結果的に可能性が高い。
次に人間のより深淵の部分を見ていく。私はこれまでに何人もの「無気力大学生」を見てきて会話してきたが、総じて話が面白くなく稚拙である。無気力になると人間関係や社会的活動から自らを遮断することになるので、話のタネが著しく少ない。こちらから何か話を振っても、最終的に着地するのはもっぱらママの話やなんじゃもんじゃみたいなアニメの話である。この稚拙さは人間性、人生経験の浅はかさが裏にあると思われる。話の引き出しの多さは自らが得た経験に比例する。ゆえに、自らの殻に閉じこもり、成長する機会を失っている世の無気力大学生は、話題のレパートリーが固定化されている。また、その固定化は溶接された金属、癒着した皮膚のように狂気的・病的なほどの硬さである。このままでは一生かけても「見た目だけ老けた子ども」のまま三途の川を渡ることになる。しかもその状況に大学生という大人にすらなれていない時期から、自らを貶めているのだから哀れな話である。
ここまで無気力大学生の悲惨な将来の予測、病的なまでの"殻"の硬さについて述べてきた。ここからは、無気力大学生が"脱無気力化"する方法、これから大学に入学しようとする新入生たちがこのような窮状に陥らないようにするための処方箋を出そう。
とにかく「能動的」になれ。能動的になり、常にカレンダーの空欄を嫌うようになり、サークル活動やアルバイトなどの社会的活動に勤しむよう意識改革をすれば、就活の成功だけでなく、人間的にも大きく成長することができる。
私はかつて「無気力」だった人間の一人である。中学生〜高校生の頃までの話だが、とにかくひたすらゲームをやり続ける少年だった。当時荒野行動やブロスタが流行っていたため、朝から晩までずっとそれらに明け暮れていた。iPhoneのスクリーンタイムは10時間を超えていた。しかしそれと引き換えに成績はすこぶる良くなかった。中学の成績はあまり良くなく、高校入試でもゲームに目が入ってしまって勉強しなかったために第一志望に落ちてしまった。
懲りずに高校1年生までゲームをしては、無気力で無能な自分を反省せずに他の優秀な生徒を羨んで自己嫌悪に陥るだけだった。しかしそんな自分にも成長か、能動性が芽生えた。意識改革をするきっかけになったのは高校2年生の春、長期的な勉強をしないと高校受験の二の舞になり、これからの人生に多大なる悪影響を及ぼすことに気づき始めたことである。自分の殻を破って、これまでの生活を全て破壊し、能動的に自分を動かす必要に迫られていることを悟った。それから私は自分を入れ替えて、受験勉強に励み、第一志望の大学に入学することができた。この経験は自分の目標設定通りに自分を動かすことができた最初の経験である。私はこれで能動性の大切さを実感できた。無気力なままでいたら、今の自分はいない。
また、この「能動性」は大学生になった今でも生きている。現在では大学でも有数の知名度を誇るサークルの幹部となり、他にも企業でインターンという、難易度の高いアルバイトをしている。他にも最近は就活を始め、資格試験の勉強も始めた。この経験は自分を能動性、行動力、コミュニケーション能力など、多くの面で自分を成長させてくれ、多くの友人、先輩、後輩に恵まれた。自分が能動性に目覚めなければ、このような結果は得られなかっただろう。
このとおり、バカ(無気力大学生)につけるクスリは「能動性」である。このクスリをつけなければ、未来はないだろう。