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父とゲームボーイのテトリスと思い出
ボカロ曲「テトリス」からよみがえった記憶
最近、ボーカロイド楽曲の「テトリス」が話題になっていると知った。曲を聴いたとき、懐かしいメロディとともに、ふと思い出したことがある。
それは、亡き父がゲームボーイでテトリスを遊んでいた光景だ。
今となっては、父とゲームを結びつけて思い出すこと自体が少し不思議に思える。でも、あの「テトリス」の電子音が流れると、自然とあの頃の記憶がよみがえる。
父とテトリスの時間
父は特別ゲーム好きな人ではなかった。でも、なぜかゲームボーイのテトリスだけは夢中になっていた。
休日になると、リビングのソファに座り、小さな画面をじっと見つめて、黙々とブロックを積み上げていた。あの頃のゲームボーイはモノクロ画面で、操作音もシンプルなものだったけれど、その「ピッ、ポッ」という音が今でも耳に残っている。
子どもながらに「なんでそんなにハマってるんだろう?」と不思議だった。でも、父はただ無言で、時には眉をひそめながら、ひたすらにテトリスを遊んでいた。
父の「テトリス哲学」
ある日、なぜそんなにテトリスをやっているのか、思い切って父に聞いたことがあった。
「ん?別に理由なんてないさ。でもな、人生もテトリスみたいなもんだよ」
そう言って、父は少し笑った。
「来たブロックをどう積むか、間違えたら次でうまく埋めていけばいい。焦るとすぐ積み上がっちまうけど、慌てずにひとつずつ置けば、ちゃんと整理できるんだ」
当時は「ふーん」としか思わなかったけれど、大人になった今、その言葉がなんとなく心に残っている。父なりに、何かを考えながらあのシンプルなゲームを楽しんでいたのかもしれない。
テトリスの音とともに思い出す父
父が亡くなった今でも、テトリスのあの独特なBGMを耳にすると、あの頃のリビングの光景が頭に浮かぶ。夕方の薄暗い部屋で、父が小さなゲームボーイを手に、黙々とテトリスをしていたあの時間。
「テトリス」は単なるゲームだけれど、あの「落ちていくブロック」のリズムや音には、父との静かな時間が刻まれている気がする。
テトリスが教えてくれたこと
最近のテトリスは、スマホでも遊べるし、映像もカラフルで派手になっている。でも、父が遊んでいたあのシンプルなテトリスには、不思議な味わいがあった。
父が言っていたように、人生も思い通りにいかないブロックを、どう積んでいくかの繰り返しなのかもしれない。うまくハマったときに一列消える気持ちよさもあれば、積み上がってしまってやり直す悔しさもある。
それでも、諦めずに次のブロックを置いていけば、きっとまた整っていく。
最後に
話題のボカロ曲「テトリス」をきっかけに、父との何気ない日常を思い出した。あの時はただの遊びに見えていたけれど、今では父なりの「遊びの中の人生観」を見ていたような気がする。
今度、久しぶりにテトリスをプレイしてみようかな。あの懐かしい音とともに、父の言葉を思い出しながら。
「焦らず、一つずつ積んでいけばいい。」
そんな言葉を胸に、ブロックを落としていこうと思う。