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マラケシュの五つ星ホテル「ラ・マムーニア」でアフリカ唯一のピエール・エルメを食べる−モロッコ食い倒れ紀行②
アフリカ唯一のピエール・エルメへ
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モロッコ・マラケシュの旧市街には、泣く子も黙る高級ホテル「ラ・マムーニア」がある。今年で創業百周年を迎える老舗の五つ星ホテルで、高い壁に囲まれた敷地内には広大な西洋式庭園が広がっていて、都市の喧騒からは完全に隔絶されている。今回の旅行は夫婦の結婚一周年記念でもあったから、奮発して宿泊しようかとも思ったが、最低でも一泊八万円なので諦めた。
我々がこのホテルを訪れることにしたのは、宿泊できなかった負け惜しみにせめて見学だけでもしたかったからではなく、アフリカ唯一のピエール・エルメを賞味したかったからである。
もはや言及の必要さえないのかもしれないが、ピエール・エルメはパリを拠点に活躍しているパティシエであり、彼の名を冠したパティスリーである。日本にも進出しているので、てっきり世界中で展開しているのかと思いきや、フランス以外の拠点は両手で数えきれるらしく、お膝元のヨーロッパでもイギリスとドイツにしかない。
だから、私はモロッコの広大なホテルにエルメがあると知って好奇心をそそられた。
もっとも、このエルメに向かった理由は他にもある。そもそもこの数ヶ月美味しいケーキを食べていなかったし、エルメのケーキは持ち帰りでしか食べてこなかったので、店舗で食べたかったのである。ケーキは家に持ち帰る過程で劣化しやすいから、可能であればお店で最も状態のいいものが食べたいに決まっている。
しかし、東京のエルメはどこも店舗が狭く、ティーサロンもやたら高いし、何なら客層までいけすかないから、わざわざイートインする気にならなかった。こうした事情もあって、私がマムーニアに向かった時、心は一ヶ月の禁欲を耐え抜いた男子高校生のように昂ぶっていた。
創業百年の五つ星ホテル「ラ・マムーニア」
マムーニアを訪れた時の私の印象は、泊まらなくて良かったというものだった。これは負け惜しみではない。その理由は、このホテルがマラケシュという都市に根ざしていない不自然な存在だからである。
その事実はそもそもホテル全体が塀に囲まれている時点で明らかなのだが、イスラム建築から採用した幾何学模様の外装といい、無意味に広大な西洋式庭園といい、フランスがモロッコの伝統文化を表層的に解釈し、自国の文化に羽織らせたような不自然な印象をこのホテルは与える。
静けさを求めて旅行するならマラケシュに旅行する必要はないし、イスラム建築の美は町中に転がっている本当の歴史的建築が教えてくれるから、私にはここにわざわざ大金を払って泊まる理由は見当たらなかった。
ホテルに入る時、我々は手荷物検査を受けなければならなかったばかりでなく、カメラをロッカーに預けなければならなかった。その際に従業員が「お客様のプライバシーを守らなければなりませんので」と言ったのに違和感を覚えた。ここのお客様は誰なのか、それは悠々と構内を歩く裕福な白人の宿泊客であり、私たちのような一般の旅行客でも、ましてやモロッコ人でもない。その白々しさが私を不愉快な気分にさせた。
エルメのスイーツを食べる
こうした奇怪な舞台でエルメを食べることにいささかの抵抗はあったが、私はティーサロンでやはり彼が素晴らしい才能の持ち主であることを悟った。
ホテルのエントランスをそのまま真っ直ぐ進むと、広大な庭園の中に、エルメが監修した屋外の小さなティーサロンが立っている。庭園はあまりに広大なので、我々は見つけるまでに隅から隅まで歩き、華美な屋外卓球場やら薔薇やら家庭菜園もどきやらを一通り眺めることになった。
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ティーサロンの入口に辿り着くと、エルメの心にくい演出でアイスクリームの屋台が置いてある。高級パティスリーでありながら、屋内でかしこまって客にケーキを食べさせるのではなく、気軽にどうぞという感じでさりげなくアイスクリームを提供しているのが、野趣に近いものを感じさせて良い。
私が連想したのは、魯山人が高級料亭を経営していたころの話で、初夏に屋外で朝食会を開いた際、参加者を日の出前に呼びつけて五右衛門風呂に入らせ、それから会場に向かう道すがら果物を氷とともに桶に入れて提供し、食事が始まる頃にはちょうど日が昇ったというものである。
もちろん、エルメの屋台を魯山人の壮大な食事会と比べても仕方ないのだが、暑い日に屋外で冷えた甘味がさりげなく置いてあることの心地よさは、洋の東西を超えて共有されているのだろう。
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アイスの種類は八種類くらいあって、イスパハンのような定番の味もあったが、いくつかモロッコ限定のフレーバーもあった。私が選んだのは三種類で、ラズベリー・ピスタチオ、バニラ、モロッコ限定のアルガンナッツである。
従業員がアイスを気前良くコーンに盛り付けてくれたので、見た目は不恰好でも一向に構わなかった。エルメのアイスには何となくハーゲンダッツに似た部類の高級感があって、しかもハーゲンダッツよりも香りが華やかで、なおかつ満遍なく美味しい。
その中で、今回特に気に入ったのはアルガンナッツである。アルガンナッツはモロッコ特産の特産品で、美容品のオイルとしてたくさん加工されているが、食べることもできる。アーモンドの味をまろやかにして香りを立たせたような味わいで、エルメのアイスもその香りを生かしたままにくどくない味わいに仕上がっていた。
値段も安く、これだけのアイスを食べても場所代込みで千円もかからないのは、さすがにフランスや日本ではあり得ない話である。一緒に注文したアイスティーも中国の緑茶を使った爽やかな味わいで、友人と私は一杯ずつお代わりしてしまった。さすがに従業員の教育も行き届いていて、英語で「メニューを下さい」と伝えると「喜んで(with pleasure)」と返ってくるのが、街中のモロッコ人の素朴な暖かさとの対比を感じさせた。
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数日後、モロッコを出発する前日に、どうしてももう一度エルメが食べたくなって再訪した。夕食を取った後、夜七時半頃にマムーニアを訪れると、すでに屋外のティーサロンは閉まっていたが、屋内にもう一つエルメを提供しているラウンジがあると従業員に教わった。
一つのホテルにエルメのティーサロンが二つ、しかもまた別個にテイクアウト用の店舗も置いているのだから、どれだけホテルがエルメに注力しているかが伺える。
ラウンジの中央にはイスラム式のタイルを周囲に敷き詰めた噴水が置いてあって、四隅にそれぞれ配置されたテーブルで食事が取れるようになっていた。これでも十分豪華な空間なのだろうが、広大な庭園を散策した後には何も感じなくなる。
この空間におけるエルメの演出は実に抑制が効いていて、入口に小さなケーキのカートが置いてあるばかりである。このように妙を得た彼のバランス感覚は、複数のフレーバーを一つのケーキにまとめ上げる能力と通底しているのだろう。
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このラウンジでは、メニューが限られている屋外のティーサロンと異なり、その場で仕上げるスイーツを多数提供していた。イスパハンのパフェやらラテやらもあって随分惹かれたが、結局マダガスカル産バニラを使ったミルフィーユを注文した。
エルメのバニラ菓子はクリームの中にありありと見えるほどのバニラビーンズを使うのが特徴で、あたかも花屋に入った最初の一瞬のように、一口含むと高貴な甘い香りがむせ返えるように口腔を満たすのがたまらない。
私が東京で貧乏暮らしをしていた頃には、アンフィニマン・ヴァニーユというバニラビーンズと砂糖たっぷりのタルトを、たまに東京駅の大丸の店舗で買って家に持ち帰るのを楽しみにしていた。今回のミルフィーユも贅沢な仕上がりで、三層のパイ生地の間にバニラクリームを挟み、その上にもさらにバニラクリームをふんだんに載せている。
これだけクリームを使うと味が重くなりそうなものだが、マスカルポーネを使っているので口当たりが軽く、最後まで飽きずに食べられる。パイ生地もほんのり暖かく香ばしいので、クリームとの相性がよい。ミルフィーユに合わせてアイスティーを頼んだが、凝ったことに屋外のティーサロンと違った種類のもので、シナモンが効いた紅茶だった。
リヤドにエルメを持ち帰る
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美味しい洋菓子に飢えていた私は、エルメをマムーニアで食べるだけでは飽き足らず、マカロンとケーキをテイクアウトして翌朝自分たちの泊まっているリヤドで食べた。最初にテイクアウトでは味が落ちると書いたが、できるだけ多くのスイーツを食べておきたかったのである。
リヤドとは、モロッコの上流階級の邸宅を宿泊用に改装した宿泊施設のことで、我々はAngsana Riad Collectionというところに宿泊した。旧市街の路地裏にひっそりと佇んでいるものの建物は広く、内装も自然な形でリノベーションされていて、非常に居心地が良い場所である。
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朝食の際、食後にスイーツが食べたいと従業員に伝えてテイクアウトしたお菓子を箱ごと渡したら、お皿の上に綺麗な果物のデコレーションを添えて出してくれた。
我々が持ち帰ったお菓子は定番のフレーバーばかりだったが、モロッコ限定のミント風味のマカロンと、大昔に「トリビアの泉」で石原さとみの唇を食材で再現したものを思わせる、巨大な三日月形のアルガンナッツ味のケーキを食べた。
結局のところ、モロッコ限定であろうが通常ラインナップであろうが、全てエルメの考えたものなので何かが突出しているというわけでもなく、満遍なく美味しい。
中庭に面したテーブルでエルメのスイーツを満喫していると、モロッコの朝の涼風が吹き込んできて実に爽やかである。モロッコ人にとって欠かせないミントティーを熱々で好きなだけサーブしてもらえるから、肌寒く感じることもない。
海外旅行で気が利いたサービスを受けた経験はほとんどないが、この旅行を通じてモロッコ人のもてなしは数少ない例外だと感じた。これほど文句の付けようがない朝を、私はこれから何度過ごせるのだろうかと考えたし、むしろ何度も過ごせるような人生を作り上げたいと思った。