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音楽理論が必要ない場合

以前にも申し上げましたが、
私は音楽と料理は似ている気がしています。

自分や家族、知人、に
料理を作る場合。
誰かが作ったレシピに従い
食材を手に入れ、
なんとなく切り
なんとなく火を入れ
なんとなく盛り付け
食べる。
それが美味しければ良し

より美味しくを目指すしたくなったら
同じ料理の違う人が書いたレシピを
探したり、
食材の選定にこだわったり
調味料の質や量について考えてみたり
すればよい。
その美味しさで満足できれば
同じ作り方をまたすればよい。

自分で曲作ったり演奏したりを
自分や知人に聞かせる場合。
なんとなくコードを並べ
なんとなくメロディを作り
なんとなく各パートアレンジして
なんとなくライブすればよい。
それを作った人やその知人が
何か満足すればそれでよい。
こだわりたくなれば
音楽理論に基づいて
コード進行を見直したり
メロディーの作りを見直したって良い
こだわれる箇所はたくさんある。
しかしこだわらなくった良い。

私は過去に
音楽で
練習しない人や
向上しようとしないように見えた人たちに対し
苦言めいたことを発言したり
してしまいましたが、
それは
友達と作った料理に一人で
こうしたらもっと美味しくなると
考えたりしてることと同じではないか?
もっと美味しい料理を作ろうよと
息を巻いていただけかも知れない。
友達が
我々が美味しく頂ければよいじゃないか?
という言葉に
一人で
私は美味しいと思わない
と発言しているのと同じではないのか?

私に許されている自由は
自分自身がこだわることだけで
誰もそれに付き合う義務もない。

友人と料理を作るか否か?
選択の自由

このくらいだろう。

過去にしてしまった行動を
この場を借りて陳謝したい候

そういう観点に立つと
音楽はじめて
理論なんてやらなくてもよくて
必要性を感じたら勉強すればよいだけで
ただ電源を入れ
楽しくコードを弾くだけをやる
弾けそうな旋律を
弾いてみる。


ああ この道も存在はしている気がしてきなぁ

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