主観の檻
短い日記です。
薬のお陰か情緒がものすごく平坦になった。
喜怒哀楽がなくなったというわけではない。変わらず映画もドラマも面白いし、友人との会話は楽しいし、虐殺のニュースで心が痛むし何かできることはないかと思う。
少し前まであった「何もかもお前のせいで終わり(この場合の「お前」とは私自身を指す)」という罪悪感と絶望がきれいに消滅した。寝不足だったり極端に嫌なことがあるとほんのちょっと出てくることがあるが、それだってほんのちょっとだし、薬を飲んで眠れば割と平常運転に戻れる。
常住坐臥耳元で誰かに「お前のせいで全部台無しになった」と喚かれ続けるような精神状態だったことを思えば劇的な回復だと思う。
薬のせいだけではないかもしれない。通院し薬を処方されたことで「私は健康なので限界まで働き誰の機嫌も損ねずそこにい続けなくてはいけない」という強固な信念から解放されたというのも、おそらくこの平らな情緒の理由の一つなのだろう。
壊れるまで働かないのは甘えだが、働いて壊れるのも甘えだ、という、友人に対しては絶対言わない呪いの言葉を延々自分に向かってだけは吐き続けてしまうのは何なのだろう、と思う。こういう呪いで自縄自縛しているとき、ずっと頭の中に浮かぶ人たちの顔がある。幼少期に私が楽しそうにしたり安心した顔をしていると、わざわざ寄ってきて「現実を教え」てくれた人たちだ。大人だったり子どもだったりした。すごい笑顔で意地悪を言ってきた点は共通している。
あの人たちも自分に同じ呪いをかけていたなら、きっと凄まじい苦しみの中にいたはずだろうと思う。思うだけである。同情はしない。よくも私を呪ってくれたな、と思う。
人は主観の檻で生きている。主観が地獄なら檻の中だって地獄だ。ここを、いるだけで安心できるようなきれいな庭にしたかったら、主観を少しずつでも変えるしかない。
生きている間になんとか呪いを解けないだろうか。回復の泉がある森の、入口くらいには立てたと思っているのだけれども。
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