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私の一番古い記憶

職場に講師として来てくれた方が、
幼い頃の記憶を思い出すワークを
してくれました。


私の
一番古い記憶。


小1。私の家。団地の6階。
台所の横の部屋でさとるくんと遊んでいる。

私の父がベニヤ板で作った
シルバニアファミリーのおうち。

glicoのオマケをなんのかわいげもない
タッパーに入れたもの。
ジェニーちゃん一体。
よそのおうちと比べると
おもちゃがとても少ないわが家。


台所ではいつも、
母が料理を作っていた。

学童に行きたくなくて
うちに来ているさとるくんに
じゃがいもを揚げて
塩をかけてあげている。

さとるくんは、ポテトフライを食べながら
私の母と話すのが大好きだった。



出産して子育てが始まると、

「小さい頃、
物を買ってもらえなかった。
すごく嫌だった。
子どもにはある程度買ってあげたい。」

と思った。


でも、なんの不満もなく遊ぶ、
過去の自分を急に思い出した。

そして、遊びながら、
いつも横に母を感じていたことを思い出し、
ありがたく思った。


次に
悲しかったことを思い出すワーク。

全然思い出せなくて、
やっと思い出したのは、
私が高校の頃、両親が不仲になり、
離婚話が出た時。

小さい頃の悲しい思い出って…
なかなか思い出せなくて、


小さい頃から
仲間はずれにもされたと思う。

みそっかすにされては泣いて家に帰る。

泣いて泣いて泣きまくった幼少期。

帰って母に話すと、母に話したことを
後悔するくらい母は心配した。

そして、私の味方をしてくれた。


それが、いつからか過保護過干渉
というイメージに変わっていった。


しかし、母が心配や怒りを
請け負ってくれたことで、
私の中の悲しみは消えていたのだと
きづいた。

幼少期のもやもやを晴らしたくて

インナーチャイルド学ぼうかなとか

カウンセリング行ってみようかなとか
思っていたのだけど、

さっぱりすっきり
その必要はなくなった。


プロのカウンセリングを受けなくても、
誰かに寄り添ってもらいながら

幼い頃の自分に耳を傾けるだけで
気づきがあり、

感謝が生まれ、

気づいてもらえた、という
安心感に包まれる。

記憶というのは曖昧で、

例えば『お母さんがいないよ〜』と
泣いていた記憶。

でも、その時の匂いや気温や
肌で感じたことを思い出そうとすることで、
忘れていた記憶が蘇る。


本当は、お母さんは
近くにいたのかもしれない。

間違いが骨の髄まで
染み込んでいたことに気付く。

全てが変幻自在。

自分が幸せになるために、
思いこみを捨ててみると変われる。


どんな風に生きたいか。

人を恨んで、固執することは、
自分をしあわせにはしない。





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