中国の古典である易経は万物の生滅を64の卦に分けて表しているもので、乾坤一擲とか陰陽とか、日本語にも易経に由来する多くの言葉が残されている(昨今ではなかなか日常で使うことはないけれども)。自分は公田蓮太郎の易経講話も通読していない初学者ゆえ、安岡正篤「易学入門」を時折眺めては、時勢のあれこれを観ずるよすがとしているが、とりわけ自身の置かれている環境が卦でいうところの困・井・革から鼎に差し掛かるようなところであるので、該当部分を思い出した時に見返すことが多い。
ところで困・井と物事が行き詰まったところで、革・鼎で古いものを取り去り・新しいものを入れていくという動きが出てくる、というのは、なるほど、と腑に落ちたのであるが、その次に震の卦が出てくるのは不思議に思っていた。なぜにここで地震のようなものが出てくるのか。
これもまた、よくよく考えてみると、古いものを取り去って新しいものを取り入れると、守旧と革新の間で摩擦が起こり、大騒ぎになるということは、ままあることであるのかな、と、何となく理解しつつある。
ところで地震といえば、近時トルコ・シリアの甚大なる被害には心が痛む。この場をお借りして、もしまだであれば皆さまの篤志を以下にお寄せいただければと願う。
https://www.japanforunhcr.org/campaign/Turkiye-Syria-earthquake-emergency