聞法ということ
私の父方の祖父は3歳の時に亡くなっており、物心ついた時から祖母の家に月参りのお坊さんが電車に乗って来ていた。月命日にお坊さんが来ると祖母から電話があり、歩いて3分ほどの祖母の家の広間で正座して、お坊さんがむにゃむにゃと阿弥陀経をあげるのを聴くのが倣いだった。こういうことを言うとなんだけど、そのお坊さんは鼻にかかった声で本当にむにゃむにゃ言ってるかのようなお経のあげ方をしていて、終わってから仏法を説くでもない、そんな方だった。
電車を乗り継いで1時間ちょっとのところに母方の実家があり、そこは同じ浄土真宗でも本願寺派(西本願寺)であった。祖父は若いころから熱心な門徒で「おかみそり」を受けているとの話だった。私の母方の祖母は私が生まれる前に亡くなっており、こちらも月参りでお坊さんが来ていた。うまく週末と重なると、母は私たち子どもを連れてそのお参りに行くことにしていたようだ。こちらの月参りはお坊さんと一緒に阿弥陀経を唱和した。普段読み慣れない字の小さなお経を早口で唱えるのは難しかった。お経が終わると、お坊さんは短い講話をしてくださった。近所のお寺に居られるいい声のお坊さんで、祖父も日頃から色々懇意にしていた。
その祖父から二十歳の祝いに真宗聖典の本を贈られたこともあり、自分も信心するにせよもう少しどんな宗教なのか知っておきたい、と思うようになった。やがて就職し実家を離れた私の最初の任地には、浄土真宗のお寺はなかった。その後何度か転勤や転居があり、日々の雑事に追われているうちに、随分と遠方への転勤の話が持ち上がった。一旦行けばなかなか帰国することも出来ないような場所、力不足もあり固辞したにも関わらず打診が続く中、両親が母方の祖父に倣い「おかみそり」を受けるというので、自分もこれを一期として帰敬式を受けることにした。御堂で儀式を待つ間、祖父から授かった数珠を取り出そうとすると、紐が千切れて数珠玉がこぼれる不思議もあった。その転勤の話は沙汰止みとなった。
さて法名を頂いたもののなんちゃって門徒のまま、相変わらず身近に通えるお寺もなく生活に追われる日々を過ごしていた。体系的な知識を得たいと一時期通信教育についても調べてみたが、本願寺派にはあっても大谷派(東本願寺)は通学制のものしかなかった。昨年からの二度目の単身赴任でようやく週末毎に南御堂に立ち寄るチャンスを得たが、なかなか法話を聴くところまでは至らない。一度そのような場に伺ったが、立派な檀家の方々に交じってお話を聴くのは随分と場違いな感じで気後れがした。まあ、そもそもなんちゃってのまま法名を頂いてしまったのが場違いだったのだろうけれども。
2020年に入って外出制限が徐々に厳しくなる中で、毎週末を心待ちにしていた南御堂近くに出かける用事もなくなり、礼拝をする機会すら失われてしまった。出かけることもままならない日々の中で、Youtubeの幾つかのチャンネルで、お寺に通う檀家の方々しか聞けなかった法話を視聴することが出来るようになっていることを発見した。本山が数年前から提供しているもの以外に、このような時期だからこそ、ということで開設された新しいチャンネルがあるのがちょっと嬉しかった。お話の内容も、ガチガチの仏教の話からそうでないものまで幅広く揃っている。
相変わらずのなんちゃって門徒ではあるのだけれども、週に何度か色んなお坊さまが語られるお話を傾聴し、縁なき衆生から脱して少しずつ学んでいければ良いかな、と思っている。
しんらん交流館 https://www.youtube.com/channel/UCfj0gCpRSZCtjMdFMN4kvzQ/
浄土真宗の法話配信https://www.youtube.com/channel/UCdyyB37e8PMB_pVAINEEtOw
浄土真宗Live https://www.youtube.com/channel/UCWieEYhxRfNqHfyOJo798gg