VRAINS感想#117
※23/1/9 コメントに対する返信を追記
初見です(大嘘)
普通の昇順マラソンで思ったことを喋り散らすのはいつものことなので、たまには逆のことでもするかと思い立った。それなら何で120話ではなく117話という中途半端な回からスタートなのかというと、そもそも記事を書くに至ったきっかけが9/25という個人的にあんま祝日扱いしたくねえなと思うものの特別な日付には違いない今日この時に揃えて、せめて何かしてみるかという思いからなのだが、如何せん時間が足りなかった。
予定としてはデュエル1戦につき1記事のつもりだったので、今回を前編、次回を後編として118〜120話まで書き上げたあとに115,116話を1記事……という風にちゃんと繋げていけるならば理想だが、連載になるか単発で終わるかは私の生きる気力次第なので、更新ペースはまちまちになるだろうとは予め宣言しておく。水曜18:25放送のため週1納品を間に合わせていた通年アニメはとても凄いのだ。
今回は初回ということもあり、色々と物申したいことや先んじて自分の中に出ている結論を説明するためにバカの文量を費やしているが、それが終われば通常の視聴時感想と大差ない、思ったことをぱらぱら書き連ねる程度のボリューム感に戻るだろう。それらに過去記事ほど強い言葉は使わずに個人的感情主体で、時折疑問に思ったことなどに軽く触れる程度の、ゆるふわ感想文となる予定だ。だが予定や予測などは未来で己を取り巻く状況の前には無力なので当然例外もありうるだろう。例によって人を選ぶ内容になるため、というより今回もまた喧嘩をふっかけるつもりで書いているので、気に食わないと感じたならばその時点で画面を閉じてもらって構わない。
また、途中で突拍子もない持論をもとに一般的ではない解釈を述べている場合が多々ある。長ったらしい過去記事を一読するのも辛いと思われるため、一連の感想記事単体で伝わるよう邪魔にならない程度の注釈を挟むようにするが、説明がないものについてはいずれ別の回で触れるということにして見逃していただきたい。
今回の目的は、現在自分が至っている結論を先に書き記しておくことで、だんだんと過去話数に遡っていく過程で自分の見当違いを洗い出したり、気付いていなかった場面にも共通点を見出だせるかもしれないことなどへの期待だ。すでにいくつか前回記事の頃には無かった考えも浮かんでおり、言っていたことと食い違う記述が見られるかもしれないが、一部を引用こそすれ所詮は過去の考えに過ぎないため今現在未来の尺度で見た考えには及ばないだろう。推敲もほどほどの飛ばし記事ゆえ容赦されたし。
TURN 117 交わらない道
早速悩みどころなのが媒体で第○話だったりTURN***だったり"しゅごりゅう"だの"しょごりゅう"だので安定しないサブタイトル表記なのだが、ひとまず本編画面で提示されたとおりに書いておけば妙な間違いも起こらないだろう(第○話で揃えてルビまで振るのは配信サイト側の都合だろうし)。
まずアバンは116話で漏れたオチ、リボルバーの自首宣言とそれを認めず新たな道を示すSoulburner。そしてSoulburnerにAiからのメールを譲渡されるPlaymaker。この辺りの話はSoulburnerVSリボルバー回に取っておいてもいいのだが、117話の範囲だけで語っておきたいことは多々あるため、先に少しだけ触れておこう。
冒頭:Soulburnerの提案は陰湿か?
放映当時に衝撃的だったのが、
「だからこそ!お前が罪を償い、事件を忘れるなんてことは許さない!」
「たとえみんなが事件を忘れても、俺が事件を忘れても、お前はずっと覚えていてくれ!あの事件の苦しみを、あの事件の悲しみを!」
について、コイツ陰湿だな!といった顰蹙系リアクションが割合多く見られたことで(今から当時のそういった反響を掘り返すなら週1配信されていた頃のニコニコ動画コメント欄か当時の実況を無断でまとめたアフィリエイト記事とかになるのだが、本気で出典探して裏付け取りたいとかでない限りあんまりお勧めはしない)、今でもそれらにまるで共感出来ないなりに理解を示してみようかと、そういった意見がどうして出たのか、私見を交えつつ推測してみた。顔を出さないネットユーザの感想に深い意味や強い主張などは一切込められておらず、ただ周囲がそう指摘して面白がっているから無責任に便乗しただけといったことも十二分に考えられるが、何故初めにそういう意見が出たのか、共感を得たのかを軸に考えたいので敢えてその可能性には目を瞑る。
※「転生炎獣が陰湿テーマだから使い手もそう」という主張については否定しかねる。
まず1つ目の可能性、Soulburnerはそういった重っ苦しい提案をするようなキャラクターではないと視聴者から思われていた説。
Soulburnerが登場した当初、馴染みの決闘者と戦う理由に欠けるため動的な活躍をさせづらいPlaymakerの代理としてか、彼が「もう一人の主人公」としてスポットを浴びていた時期がある。
そのことや王道の熱血ヒーロー風デザインを指して主人公交代ネタが今でも擦られ続けていたり、中には本気でその路線でのテコ入れを期待していた層も少なからずいるように思えた(その後のシナリオ展開はご存知の通り)。
自分はそれについて(今はPlaymakerのターンではないのだろうな)と深く気にしていなかったためこれは想像に過ぎないが、Soulburnerを本気で新主人公に据えてほしいと望んでいた層は、彼を通してこの作品に熱血ホビー・スポーツアニメ主人公的なフレンドシップというか、利害による勝敗の行方など気にしない一戦一戦が後腐れない穏便かつ爽やかな落とし所(デュエルをしたら仲直り)を期待していたのだろうか。それならそういった心情も理解出来なくはない。2年目からのデュエルは特に爽快感に欠けるからね。
VRAINSは人が前進するためには辛い過去を忘れて綺麗さっぱり水に流すことも肯定してくれているので、そういう「赦し」が選択肢として存在すること自体は作品としても認めるところであろう。
私はシリーズ未履修なので具体例を挙げることは出来ないが、過去シリーズや既存の他作品の中にそういった主人公像を見せてきた誰かしらがおり、それと重ねて別作品であるVRAINSにも期待したのだろうか。
広くアンケートを取ったわけではないため、主観抜きにして「罪を償い続けろ」という勝者の決定が一般的に陰湿な命令かどうかは判断できないが、誰かがそう感じたならこの回を肯定的に書いたVRAINSという作品もその人にとってはきっと陰湿なのだ。アニメを一本観終わってどう感じるかに答えはなく、人には多様な感性が存在するから未来は不確定となり可能性が拡がるので、どんな感想でも大事に抱えていてほしい。こちらとしてもVRAINSに関して思考を巡らす機会が増えて一方的に面白がれるので、そういう意見は具体的にしてどんどん発信してほしい。
陰湿派の人々はたいてい当該シーンでSoulburnerがそう言い出したことに驚いていたように記憶しているが、想定していたSoulburnerの受け答えとは大きく異なって当時の視聴者からすれば意外だったのかもしれない。
初登場から何故か「早く裏切れ」と言われ続けていたSoulburnerが最後の最後に一部視聴者からの"期待を裏切る"形で、あの頃毎週決まって声を上げていた誰かしらの期待に応えたと考えると、なかなか芸術的な顛末ではなかろうか。
VRAINSを観ていながらわざわざ他作品の話をするとも考えにくいので、本当のところ裏切れ派の人々は彼にどういう役割を求めていたのか、何を思ってそういうミームを楽しみ続けていたのか単純に興味があるので、匿名でコッソリ教えてほしい。
そして2つ目の可能性は、リボルバーが無実とまでは言わないが責任を負う必要はない、殴られるべき相手はお前じゃないといった同情などから生じた不服感情だ。確かに必要のない責務を一生涯かけて全うしろ、というのはなかなかに手厳しい。自分なら3日くらいにまけてもらいたくなる。
しかし死人は殴れないし語れない。謝れもしないので、本来は責任者であった鴻上聖が現在生きている被害者達に償うことは出来ない。そこを覆して問題解決出来るのであれば人間が生きている間に努力する意義も、他者に自分の想いを伝える行為の意味もない。
(被害者の痛みに比べればまだ足りないし気が治まらない、と感じる方々の意見を言い負かしてやりたいといった意図は全くないが、彼が一切痛い目を見ずに死んでいったという認識の視聴者も随分多く存在するように見えたため、以降も当記事を読み進めてもらうにあたり最低限のフォローは目に入れておきたい。鴻上聖が何かしら罰されるべきという観点で見れば、自分が研究にのめり込んだ結果、人間としての実体を持った生活を失った挙げ句、現実では愛息子に世話をされることで生き存える死体同然という恥辱に加え、一度は己の夢を託したもう一つの我が子と呼べる存在の誕生を過ちと認めて人類生存の未来との天秤にかける葛藤、その始末のために周囲に頼らざるを得ず危険の伴う使命に巻き込む苦しみを抱え続けてきたことを思えば、彼自身も物語の当初からそれなりの報いを受けているとも言えないだろうか。)
活動範囲を制限された意識だけの不安定な存在となり、(肉体の活動停止と共に死が訪れることから)決して永遠ではないロスタイムを与えられた鴻上聖には、それでも急ぎ絶対にやらなければならない課題が残っており、引き継ぎを頼めるかという今際の言葉に対して生者であるリボルバーと仲間達は合意したのだ。
この託された使命とロスト事件被害者への償いは全く別の問題なのでリボルバーが後者の責任を取る必要がないのは本当だが、それでも代わりに怒りをぶつけられたり自首することも引っ括めて、父の犯した罪を清算する道をわざわざ自らの意思で決めたのだから文句をつける隙がない。ただし、被害者本人にそれで納得してもらえるかはともかくというところであり、それがリボルバーとSoulburnerの因縁の根幹だった。この辺りの因縁に関しては、覚えていれば次回以降の記事(#115,116)で取り上げたいので一旦棚に上げておく。
(以上の理屈から、死んだ鴻上聖に責任追及は出来ないものとして扱い話を続けるため、その段階で躓いてしまう場合は次の見出しまで読み飛ばしてもらったほうが精神衛生的に楽だと思われる)
つまりはリボルバーが自分から望んで不幸になる道を選んでいるように見えて視聴者的には不快です、この展開では気持ち良くなれないよ、という感情由来でSoulburnerの発言が被害者いじめと捉えられているのかもしれない。否そんなことないでしょ。
リボルバーの思考回路はああ見えてわりかし単純で素直な質の人間なので、彼の未来を変えたSoulburnerの発言を理不尽に思うどころかウキウキで受け入れているというのが私の見立てである。アイツただ父親が好きだから、その気持ちを肯定されたいってだけだよ。
しかもこれは数ある責任の取り方の中でも最も理想的でありながら、自分から選ぶのでは筋が通らなかっただろう道を被害者であるSoulburnerの側から示してくれたということで、今回の決着によってリボルバーは心底救われているのだ。命じたSoulburnerからしてみれば知らん…何それ…怖…な事情ではあるが。
何故そう思うのか説明する前に念のため共有しておくべきこととして、私はこういった考えをもとに話をしているという前提を挙げておく。
シミュレーションを精査したハノイの騎士はAiが己を狙わせる理由に思い至っており、放っておいてもイグニス抹殺の目的は達成されることを彼らは理解している。なので今になって組織解散後の方針を定め、誰にも分かる公正な贖罪の形として司法による裁きを受けることを選んだ。それでも可能なかぎり、長きにわたるイグニスとの戦いの終幕には自分の手で決着をつけたいと望む気持ちから、リボルバーはSoulburnerの手にしたメール(※1)を賭けて本気の勝負を挑んだ。
「お前、最初からメールなんてどうでもよかったんだな。俺のために……」
この「どうでもよかった」という推測だけをそのまま受け取ったのか、続く「これは自分のためにやったことだ。だからこそ本気で戦った。私自身の呪縛を解くために」があまり信用されていないのか、リボルバーがただSoulburnerの試練となるためだけにわざと踏み台役を務めてくれたと感じている層もちらほら見受けられたため、私個人の感想という名目で、この場ではその考えを採用していないことを明言しておきたい。
さて、先のリボルバー発言にある「呪縛」とはなんぞや。これは父からの使命を形容する言葉だと言うと、それ見たことかリボルバーはやっぱり親の言いなりで辛かろうといったご意見が飛んできそうなので、もう少し詳細に説明する。
ここで呪縛という強い単語を用いたのはリボルバーが己の(理性によって決めた)判断を正当化して、(本能で望んでいる)別の選択肢を否定すべく打ち消そうとしているからに他ならない。
判断というのは、イグニスの全滅を以てハノイの騎士が果たすべき使命(=父の願い)に終止符を打ち、それまでに犯した罪を公の裁きのもとで償う道の選択だ。
そして、解かねばならない呪縛と呼んだ別の選択肢こそ、Soulburnerの告げた「これからもネットワークの監視者を続ける」道、ハノイの騎士活動延長戦の未来である。
忌まわしいフィールドが消えていく光景にリボルバーが寂し気な表情を見せたのは、受け継いだ使命から解放され、つまり父親と自分が最後に交わした言葉によって残った繋がりもこの決着を以て断ち切られてしまうことへの寂寥感によるものだ。ここで言う鴻上親子の繋がりとは「父の目指した理想(※2)を遺された我々で受け継ぎ、人類の未来を守り抜く行為」を指す。
作中のリボルバーの行動を見れば、父親の功績を讃えたかと思えば犯した罪を批難したり、親子の絆を自信満々に語っておきながら、被害者に父親の所業を詫びる気持ちはしっかり持っている。あれだけ真面目に取り組んでいたハノイの使命が果たされたら自首すると突然言い出したり、いざ出頭しようとしてそれを止められればすんなり受け入れ、120話ラストでは堂々と活動を再開していたりと、態度が二転三転してややこしく感じられる。
だが、リボルバーは一貫して本心では父との繋がりを失いたくないと思っていて(なぜなら自分が父さんを好きな気持ち自体は昔から変わっていないから)遺言となった最後の願いを叶えてやりたいのだ。ただしそれを受け継ぐことは、間違った手段と自分で認めたロスト事件の"目指していたもの"自体は正しかったと肯定する行為でもある。
リボルバーは父親の倫理にもとる実験を大きな過ちだと考えているため庇い立てする気は毛頭なく、先鋭化していく思想に囚われた姿を狂気とも呼んだ。そこを私情と切り分けて考えることの出来る理性が備わった人間だ。
それでも彼にとって鴻上聖という人間は大切で、かつては尊敬出来る父親だったのだ。晩年がどうであっても、7年もの期間、日常生活を父親の看護に当てながら、5年以上の時間を途方もない使命に捧げていたのは、仕方ないからという諦めだけではない、父親を心から尊敬していた少年時代の記憶と紐づく感情を嘘には出来なかったからだろう。
リボルバーが推定13歳頃(1話冒頭)から現在と背丈のあまり変わらない青年相当のアバターに身をやつしていたのは状況に急かされ大人にならざるを得なかった少年の決心の表れとも受け取れるためか、かけがえのない青春時代を親のせいで失ったアダルトチルドレンのように彼を見る向きもある。
この親子はその関係性について、我々の世界でも比較的共感しやすい部類の生々しいグロテスクさをよく指摘されている印象だ。だが個人的に、その認識は逆なのではないかと考えた。
リボルバーが日々の介護やハノイの騎士としての非合法的手段も辞さないイグニス捜索活動を行ってまでこの親子関係を繋ぎ止めていた理由こそが、死が父子を分かつまで手放すことが出来ずにしがみついていた、彼の8歳から地続きの童心であると、私は思っている。18歳にもなって少年時代を卒業出来ずにいるのが劇中において活動してきたリボルバーの本質なのだ。
そのくせ肉体の成長に伴って知識や言動は一丁前の青年のものになっているので、デュエル大好き面白ポエム野郎である1年目アバターの姿・使命(というか父親)に関する場面で2年目アバターが見せる意固地で大真面目な様子を見せられると、現実での大人ぶった言動とのギャップで彼の性格がチグハグに感じられてしまう。
そう、鴻上了見は大人ぶっている。この青年・大人の鴻上了見として振る舞う姿は建て前で、各アバターで見せる仮面のヒーロー姿こそが本来の彼の素顔なのだ。仮面なのに素顔というのは妙な言い回しだが、言葉の通りアバターというのは理想の具現化であり、そう在りたいという自身の願望の投影なのだ。
2年目からの言動は一見現実と大きく変わらないようにも思えるが、父親の想いを胸に戦うことに一切の迷いを見せない点ではむしろ1年目以上の気迫を感じさせる。1年目とは異なり亡き父から遺言を託された自負に加え、光のイグニス陣営との決戦という最終局面を控えているのだから当然だ。
例外的にリンクヴレインズ内で現実の鴻上了見として振る舞っている(そうしなければならない)場、具体的に言うと84話では、彼はSoulburnerと相対して一時的に仮面を外し、鴻上聖の子として使命を全うするまでの猶予を乞う立場にあった。ここで鴻上了見は不霊夢の言う通り、事件について謝りたかった。相手の納得が得られなくとも、最低限そうでもしなければ己の行動について義理が通らないからだ。被害者が目の前にいる状況下で、自分の中に使命という形で父の意思が生きていることを公言するのは、彼の倫理観において非常識で決して許されない罪だからだ。
父親の罪をきっかけに奪われてしまった彼の少年時代というのは、「父親を公然と、素直に慕って肯定することが出来た時代」だったのだ。
リボルバーは父親のせいで「大人をさせられた」のではなく、3年目で自首の方針を決定し宣言するまでずっと「親離れまでのモラトリアムを求める子ども」のままだった。人生において死とは誰にでも突然訪れるイベントで、リボルバーにとってもそれは例外ではなかった。父に向けてその引き金を引いたのが運悪く自分だったというだけで、本来であれば11歳頃に父が亡骸同然の姿で帰ってきた時点で終わっていた話なのだ。
しかし、傍にいてくれた親代わりの存在と共に長い時間をかけて受け入れるべきだった別れを、彼は感情と技術に任せて引き延ばしてしまった。
極端なことを言ってしまうと、イグニス抹殺の使命なんてものは鴻上聖が電脳ウイルスに侵されたと同時に墓に持っていかれるはずだった情報なので、リボルバーはわざわざ火の無いところに煙を立てたようなものだ。死人に口を与えたことによって"問題"が生まれ、それを解決しなければならない誰かが必要になってしまった。(実際に光のイグニスが鴻上聖を口止めしたり反乱を企てていたことは論点ではない。生きている人間が"気付いてしまった"ことで果たすべき使命が"生まれてしまった"ことが問題なのだ)
ヒーローごっこが始まった発端はリボルバーが幼かったゆえの摂理に反した願いであり、それによって生じた被害の責任はリボルバー自身と賛同したハノイの騎士全員にある。これが鴻上聖に代わり、彼らがハノイの騎士として罪を清算しなければならない理由だ。
(この辺りはひときわ与太色が濃いため、話半分に読み飛ばしてくれて構わない)
ロスト事件以前の鴻上聖について、執着心によって狂わされたという風に語るリボルバー。だが、劇中での鴻上聖の言動には鬼塚のブレインハックと重ねられるほど取り付く島もない狂気は感じられない。
イグニスのシミュレーションを実施したことで正気に戻った可能性もあるが、SOLで監禁されている・電脳ウイルスを仕込まれる直前の彼の様子を三騎士や了見が知っているとは明言されていない。ならば了見が"蘇らせた"という父親の意識は、いつ頃の父親のことを指しているのだろうね(この辺の話を続けてしまうと、反魂の魔法とは……だとか親殺しの了見少年が死んだ父に託されたていで兄弟殺しの使命を見出したのは……などとメタ方向に論が飛ぶので、機会があればまたいずれ)。
蘇ったスワンプマンを本人扱い出来るかというところで、暴論にはなるが電脳世界の鴻上聖とは肉体の生命活動と稼働のON-OFFが紐付いているだけで、生前の記憶と研究知識・プロフィールや周囲の人間関係をデータとして与えられて本人らしい受け答えをするように作られたプログラムという見方も出来る。要はロボとーちゃんである。
(↑ここまで与太)
(↓ここからも与太)
人間の摂理に反した復活を遂げた魂である「鴻上聖と呼ばれる意識」は人間社会と繋がることが出来ないが、数年間同じ空間でコミュニケーションを取ることが出来たリボルバーへの深い情を持っていることは命懸けで息子を救ったことからも明らかだ。リボルバーからしてもどれだけ時間が経とうと、父親のおかげで今自分が生かされていることを思えば、そこに確かに存在した親子の絆を完全に忘れ去ることは難しい。ここは別記事で触れた藤木遊作がAiを信用するに至った理由と同じであり同じ回(42話)の出来事でもあるので、鴻上聖の描写をあまり意識しておらず鴻上親子の絆に懐疑的な視聴者諸氏としても受け入れやすいキャラクター感情の動きなのではなかろうか。
何が言いたいかと言うと。使命を託した鴻上聖が本物であろうとそうでなかろうと、通報の一件から自らの手で大切な絆を壊してしまったと思い込んで後悔し続けていたリボルバーは、父の復活と二度目の死に立ち会うことで再び父親との絆を取り戻す機会を得てしまったということだ。それはイグニス抹殺という使命を成し遂げるまでの間に限り、自分の心が父と共にあるための免罪符として機能する。
(ハノイ関連、抜きん出た技術力なんかもそうだがこの辺の文脈がほとんどファンタジーの域なのでVRAINSの中でも浮いていると感じるのは気のせいだろうか)
そしてPlaymakerの勝利を信じるならばAiの自死によってイグニスという種族が滅ぶ。Playmakerが敗北しAiのコピーが大量に放たれようとも、その場合の未来は未確定であり、Soulburnerに敗北したことでAiと戦う資格を失ったリボルバーはそれにより発生する諸問題に対して関与出来ない。どちらにせよシミュレーションで確認した範囲のイグニス生存を理由とした人類滅亡は防げたため、使命に生きたリボルバーの青春は終わりを迎える。これが本当のデウス・エクス・マキナとでも言いたくなるような欺瞞だ。
現世に父親がもういない以上、使命が終わって本腰を入れて罪に向き合う時が来れば個人的な感情にも蓋をしなければならない。ここでの敗北によってとうとうリボルバーにも大人にならなければいけないタイミングがやって来た。
なので、自分から強引に親子の絆を捨てることにしたのだ。三度目の、今度は自分の意思による父との訣別である。
決闘に敗北したリボルバーは自らの宣言通り、父から託された使命を放棄して司法の裁きを受ける気満々だが、この裁きというのはどの罪に対してか。そしてSoulburnerがその決断を認めなかったのは何故なのか。リボルバーの償いに関する話がややこしい要因の一つに、ロスト事件とハノイの騎士の破壊活動が綯い交ぜで語られているという問題がある。
世間的にハノイの騎士の罪とは放送1年目にリンクヴレインズで起こした数々の騒動を意味しており、リボルバーはハノイの騎士としてこの責任を取らなければならないというのは上述した通りだ。
ハノイの騎士によるサイバー犯罪をハノイの塔事件解決後に知った(当事者ではない)Soulburnerが言っているハノイの騎士の罪とは当然ロスト事件のことだ。彼の正義観から考えればもちろんその後のリンクヴレインズで起こした騒動についても悪事だと感じているだろうが、直接被害を受けたわけではないためそれについては一般論の範疇での批難に留まる。
そこに関して大きな被害を受け、既に主だって訴えを起こしているのはSOLテクノロジーだ。VRAINS作中基準で言えば十分高度なセキュリティ体制(Playmaker陣営では大規模スキャンのタイミングを狙ったり、外部の協力を得なければ突破できない程度には強固)でユーザを保護しているにも関わらず、ハノイの騎士やイグニスの能力がファンタジーの領域(超スゴイ。防げない)だったばかりに尽く大規模障害を引き起こされて、すっかり間抜けなイメージが付けられてしまった気の毒な企業である。自社が提供するリンクヴレインズをほとんど壊滅に追い込まれ、信用を落とす羽目になったSOLとしてはハノイの騎士は非常に邪魔な存在で、会社の目の黒いうちは監獄に閉じ込め黙らせておかねばならず、ロスト事件など知らんわそんなもん(※ということにしたい)の立場だ。
VRAINS作中の裁判が公正なものかは不明だが、元々クイーン体制下で山ほどの訴えを起こしていたらしいSOL(クイーン失脚後は晃が責任者を務めるが、117話時点ではまだAiがSOLを掌握している)がどのように動くかで罪状は無限湧きする。罪の重さや範囲が訴え一つで変幻自在だろうとハノイの騎士はすべて受け入れるつもりなので、それが果たして正しい反省と言えるかどうかは見る者の感じ方次第だろうが。
そして私自身法律には明るくないので刑の執行までの流れをはっきりと思い描くことは難しいのだが、SOL筆頭株主と国家は癒着関係にあるので(120話感想で触れる予定)経営責任者が誰であれ、やはりリンクヴレインズのユーザやロスト事件の被害者の思惑とは関係ないところで裁きが下されるのだろうなと考える。
他の被害者家族・遺族はともかく、地元での日常を取り戻すつもりの穂村尊や平穏な生活に戻ることの出来た草薙兄弟、事件の概要に納得して復讐を終えた藤木遊作がそこに新たな戦いの場を見出すつもりもないだろう。だがもし被害者やハノイの騎士がロスト事件を公にする動きが見られれば、首謀者との雇用関係があったこと・研究成果をネコババしたなどで追及されたくない関わりがあるSOLや、SOLと仲良しなDen cityひいては国家にとって都合が悪い。国家規模で隠蔽されたおかげで当事者以外に覚えている者のほぼ存在しない10年前の失態など、山ほど用意出来る別の訴えで覆い隠してしまう方が得策だ。
要するに、ハノイの騎士全員が法によって裁かれ、いずれ言い渡された罪状をすべて償うか途中で生涯を終えるかしても、どちらにせよハノイの騎士が犯した罪は"終わったこと"になり、ロスト事件は本当に"なかったもの"とされてしまうのだ。順当に進むなら事前の決定通りハノイの騎士全員が自首して、いつぞやのアルカトラズ島もどきに収監されたが最後、看守が噂で話していた通り刑期は延びに延び、当分(おそらくは一生)釈放されることは叶わないだろう。そうなれば俗世の人間達が今後どのように歩み、劇場版VRAINSで第7のイグニス(神属性)が生み出されたり人類滅亡を目論むホビーアニメ特有の巨悪ボスが突如現れようが知ったこっちゃない。舞台から降りて社会との繋がりを断つ彼らには、もう干渉する権利はないのだから。
そういうものをVRAINS作中に存在する警察組織が取り締まってくれるのならそれに越したことはないが、現実で発生する事件とは別にアナザーやハノイの塔といったサイバー犯罪、ログアウト不可のリンクヴレインズでニューロンリンクに利用されるなどの被害を受けた人々に対して即時対応・解決がされなかったことから、当面の間は技術面での不安が見られる(早々ハノイに並ぶ技術を持って悪用する存在が現れてたまるか、という気持ちはあるが)。
個人でAI狩りを行うブラッドシェパードのような天才的プログラマーが何百人もいればどうかとも思ったが、いくらDen cityには野良ハッカーが多いと言っても、ブラッドシェパードと同等のレベル感でAIプログラムに限らず人類の脅威となる様々な存在に対しても執念を燃やせる複数の個人が恒久的に存在しなければならない、というのは現実的な話ではない。それぞれ別の価値観で私刑を行っているのだから、統率だって取れやしないだろう。我々の世界でそういった危害に日々怯えながら暮らす人間は少数派かもしれないが、近未来を想定しているであろうVRAINS世界のますますに発展していくネット事情における治安はハノイ・イグニスの影響を除いても推して知るべし。ここにちょいちょい劇中で示唆されているように、将来イグニスの代替を求めて第二のハノイプロジェクトを計画する者が現れでもすれば未然に防げる保証もない。
――とまあIT系ヒーローが存在しない仮定の世界から想像できることを並べてみたものの、Soulburnerはそこまで広い話はしていない。彼が言いたいのはただ一つ、この世界からロスト事件の過ちをなかったこと・終わったことにしてほしくない。ただそれだけだ。
VRAINSの出した結論の一つにおいて、かつて被害を受けた穂村尊が一生涯かけて戦い続ける必要はなく、平穏な暮らしを続けて古傷を癒やしていくうちに当時の辛い記憶を払拭してしまう選択は認められている。苦しい思いをしてまで両親との悲しい死別を想起させる過去を抱え続ける必要はない。若い彼はこれから新しい人生を歩むために転生することを決めて戦いに臨んだのだから、いつまでも過去に身を置くのでは本末転倒だ。
だからといってあの事件が何故起きて、どんな被害が生まれたかを覚えている人間がいなくなってしまうことがあってはならないと感じるのは、実際に事件で苦しめられた人間からしてみれば当然の感情だ。今後も無数かつ多様な人の営みが続いていく世界で、大なり小なり似たような過ちが預かり知らぬ場所で繰り返されるようなことがあれば、自分達の悲劇や一連の戦いで掴み取ったものの意味は何だったのか。Soulburnerが忘れることを選ぶからと言って、誰からも思い出されなくなることが事件の解決とは言いたくない。
だからその記憶・記録を肩代わりして残し、戒め(教訓)として伝え続けてくれる存在が必要なのだ。そうして戦いの舞台から退場するSoulburnerが、責任を取るという態度を示したリボルバーに、自分の代わりに再び同じ悲劇を発生させないように世界を監視する役目を託すのは自然な流れだと思う。ここもある種の遺言と言えるかもしれない。(VRAINSは隙あらば作り手の遺言を無作為に送りつけてくる厄介この上ない作品なので、ある日税務署から覚えのない知らせが届いていたら要注意だ)
Soulburnerは自分の納得がいく結論を言葉にしただけなのでリボルバーの事情など本当に知ったこっちゃないのだが、奇しくもそれは鴻上聖が遺した願いと重なる要求だった。今度こそ父親との想い出を、砕かれた仮面ごと捨て去って、名残惜しい少年時代を卒業しようと意気込んだ矢先の提案だ。
それは一度外したリボルバーの"ヒーローとしての仮面"をまた被れという裁定であり、正当な権利を持つ存在にしか与えられない赦しだ。そして両親と交わした最後の言葉を思い出せず、満足いく別れの機会を得られなかったことを悔やみ続けたSoulburnerの目の前で、父が最期に託してくれた想いを中途半端に捨て去ることで満場一致に納得される責任の取り方が示せていると一人で勝手に思い上がっていた自分の不義理を咎める重罰だ。
「完全燃焼」したのはリボルバーも同様で、全力を尽くした結果負けたことにより、ハノイの騎士の役目がここで終わりになったとしても「なんかもう、それでもいいかなって思っちまった。どうせ私には選べなかったから……」な心境にある。それだけ気持ちの良い試合を果たせたので思い残すことはもうないと、潔く戦いの舞台を降りる踏ん切りがついたのだ。そんな自己満足を聞かされて、前述したようにロスト事件を万事解決扱いされたくないSoulburnerからすれば黙ってはいられない。勝手に気持ちよくなって終わらせた気になってるみたいだけどお前がやるべきことはまだ全然残ってっから!出番ありまくりだから!と再び舞台の方向を指し示し、燃え尽きたはずのリボルバーに再び火をつけた。リボルバーの仮面を外した鴻上了見はSoulburnerによってもう一度リボルバーというヒーローの姿に転生したのだ。
VRAINSは愛を描いた作品とかシリアスなサスペンス要素が多くてホビーアニメとは思えない風の評価をされがちだが、ジャンルで分けるならカード競技を取り入れたヒーローアニメである。様々なヒーロー像が乱立する中でリボルバーが与えられたのは、己の正義を執行しながらも世間的には肯定されないダークヒーローの役割だ。対して遅れて物語に参戦したSoulburnerは、自分を焚き付けた憧れのヒーロー達に加わりながら相棒と助け合いつつ、彼なりの格好良いヒーロー像を追い求める追加戦士と言えるだろう。
この両者の因縁はなかなか面白い。悪のハッカー集団からリンクヴレインズを救ったヒーローに魅せられたSoulburnerだが、その悪の首魁こそがかつて自分を地獄の淵から逃してくれた救世主その人なのである。Playmakerの時にもうやったよソレは。 問題は事実を知ることを第一に考えて最終的には歩み寄る方向に落ち着いたPlaymakerと異なり、Soulburnerは同じ境遇でありながらトラウマから立ち上がり悪者退治で名を馳せたPlaymakerの姿を見たことで生まれたヒーローという点にある。
視聴者で言うところの鴻上博士を倒してハッピーエンド!を望む派とあまり変わらん、正義感の強い少年的にはわりと自然な考え方なので別段悪いことではない。だが不霊夢を守る立場からしてもハノイの騎士は挫くべき悪、憎っくき両親の仇という認識ゴリゴリで実際に相対したところ、なんか思ってたんと違う反応をされたせいで正義のヒーローSoulburnerの信念とか情緒はしっちゃかめっちゃかである。
格好良いヒーローを目指して戦っていたはずの自分が、抵抗しない相手を意味もなく、所詮はアバター同士でしかない仮の姿で怒りに任せてタコ殴りってどうなんだ。しかも後からその相手の事情を聞かされ実は自分の命の恩人などと言われちゃあ、相手視点で別の角度から見た10年分の情報をいきなり耳から流し込まれて、今まで抱えてきた独りよがりの激情に冷や水を浴びせられ否定されたようなものなのだから、とても思考の整理が追いつかない。聞かれてないことは答えないPlaymaker陣営の妙なコンプラ意識が災いした〜などと他責にしちゃってもいいが、遅かれ早かれの話でしかない。むしろSoulburnerとなって活躍する機会を得る前にそんな自身の正義の根幹を揺るがすような話を聞かされたら意気消沈しかねんだろ、いつかは立ち上がれるにしても。
幼い鴻上了見が耐えきれないと感じて行った通報は6歳の穂村尊を間接的に救ったが、当人にとっては父を裏切ってしまった苦しみで頭がいっぱいでそれどころではない。「あなたは自分のためのつもりでも、それが周りを変えることもある」が8歳の了見についても適用されており、劇中においてリボルバーが自覚する己の正義とは別に、彼は10年前の穂村尊にとっての無自覚なヒーローでもあったのだ。
燻っている自分と同じ過去を経験しながら今は世界のために格好良く戦っている人がいると知り立ち上がったSoulburnerの前に、当時自分を救ったはずの存在が受け入れ難い最悪の形で現れた。Soulburnerから見た"使命を終わらせるために戦う"リボルバーは自分にとってのヒーローではない。犯した罪の責任を取るとか言っているがそれで両親が返ってくるわけでも自分の気が晴れるわけでもない。
Soulburnerの提案というのは、具体的な見返りを求めた償いではないのだ。それは84話でリボルバーを一方的に倒すことが出来なかったのと同じで、ハノイが贖罪の一環で誰に何をしたからといって、得られるものがないことを理解しているからだ。事件をずっと覚えていろというのは、かつてあの事件を見過ごせなかった少年の持つ正義感に向けて「俺を救ったヒーローとしての責任を取れ」という自覚と再起の促しである。一対一のデュエルによる取り決めなので、その範囲は広いように見えて物凄く個人的な要求なのだ。
Soulburnerはリボルバーの使命にかけた想いや父親への情念など知る由もないが、「これからもネットワークの監視者を続けるんだ」「事件を忘れるなんてことは許さない」と言葉にして求めた。それを聞いたリボルバーにとってその言葉は、あの日事件を通報した自分への肯定でもあり、事件をきっかけに後ろめたい感情となり、いつかは捨てなければならないと考えていた家族愛すら赦してくれる「新たな道」となったのだ。
それではSoulburnerがどうこうしたというより、リボルバーが自分の世界で都合のいい解釈を得たことで勝手に救われたことになってしまうのだが、救済なんてそんなもんでいい。彼らが悩んでいた問題は人の死に起因していて、物理的に解決できるものではない。なので双方が精神的な落とし所を見つけられれば、少なくともこの二人の間での問題はそれで済む話だった。
事件のトラウマを忘れて別の幸せを見つけてもいい。好きだった人や物に大きな瑕疵がつき、自分がその要素を受け入れられなくとも、それとは別に今までそれを好きだった感情を持っているままでもいい。
それらのメッセージはこうして書き起こしてみれば単純なものに見えるが、人生の多様な選択の1つとしてVRAINSがそれらを物語の中に描き切ったことを私は称えたいと思う。現代はとかく情報に溢れ、人の目が方々から向かってくるせいか、一つの事象に対して自分だけの感性を持ち続けることが難しい時代だからね。
悩める二人が出逢ったことによって自分の中に納得がいく結論を拾うことが出来た、だから笑顔で贈るこの言葉「お前に会えてよかったよ」「私もそう思う」で、両者の関係は完結したのだ。
ちょっと待って?ハッキング・クラッキング行為についての反省が何一つ入ってないやん!
ハッキングはすべて犯罪だ。我々の現実ではソフトの解析目的など一部例外もあるものの、劇中で草薙翔一がそう語ったのならばそれがVRAINSにおけるハッキング行為の位置づけである。
真実を追及するためだろうが人類の敵となりかねないAIプログラムを探すためだろうが拐われた人間を救うためだろうがニューロンリンクを止めるためだろうが罪は罪なのだ。120話エピローグ中では「今ハッキングをしています」とは宣言されていないため、ハノイの騎士が合法的な形でネットワーク監視をしている可能性もなくはないが、お尋ね者の彼・彼女らが正規の手続きを踏んでどこに出しても恥ずかしくない真っ当な正義のヒーロー集団をやっているかはブラックボックスだ。
この作品はスポンサーもちゃんとついていたTVアニメなのだから、ハノイの騎士に限らずVRAINSのハッカーどもはちゃんと、そこについての謝罪を書いたプラカードを下げてでもごめんなさいを告げてから終わるべきだったのだ。それを物語の展開優先で推し進めた挙げ句に水に流しやがった。なんてコスいやり口だ、許せないぜVRAINSの野郎。
私にとっての結論、Soulburnerは陰湿ではない。ただ自分の正義感のもとにヒーロー達の背中に憧れて幸福になりたいと願った気持ちのいい若者だ。
それを隠れ蓑にして、ハッカーに憧れて真似をする子供が現れる可能性に見ないふりをしたまま書きたい話だけ書いたVRAINSの責任逃れは、番組を提供する大人の風上にも置けない陰湿な手口である。よって、当時の感想・コメント群は3話ほど早くこの問題点に気が付き、矛先を間違えていただけだと推測する。正しくは「VRAINSって作品は陰湿だな!」なのだと各自の脳内で補完しておくように。
※1 このメールをリボルバーが本気で手がかりとして求めていたとも考えにくく(想像に過ぎないが、その気になればSoulburnerの手に渡った時点で中身の遠隔解析でも何でも出来そうなもんである)要はAiから贈られた1名限定の招待状なので、本質的にはAiを倒す権利を賭けていたと考える方が分かりやすい。この辺詰めていけば格ゲーシナリオとかにも発展させられるだろうけどKONAMI版権じゃ難しいか……。
※2 本来彼が欲したのはイグニスという世界の延命・変革手段そのものではなく「このまま技術が発展していき環境が大きく変化していっても、後の若い世代が末永く豊かに生きていける世界」である。
Aパート①:ロボッピは再稼働している
アバンだけで文字数5桁を超える想定はしていなかったため、文章というのは定期的に書かねばみるみる下手になることを痛感させられる。この時点で少ない読者も相当数ふるい落とされたと思って好きなように書き進める。
Aiとの決着に向けて意気込んだPlaymaker。場面転換後、藤木遊作は暗い自室でPCを操作し(電気つけろ)、電源の入っていないロボッピを拾い上げて見つめている。114話のショックが癒えない視聴者にとっては壊れてしまったロボッピをそれなりの長尺をとって抱えている藤木遊作の姿に感じ入ってしまうことだろう。
ただ、このシーンでやってることは普通の外出準備に見えなくもない。部屋が暗いのは出かけるために電気を消したからで、PCを操作しているのはシャットダウンするためだ。そしてロボッピを抱え上げたのは、留守の間に部屋の掃除をしてもらうためだ。家事用ロボットなのだから当然だろう。
でもロボッピはあの戦いで動かなくなったんじゃ、と思うかもしれないが、ロボッピが動かなくなったのは103話でAiに同行している期間の話である。頭がパンクしてイグニス同等の賢い人格が吹っ飛び、その後はご主人さまの部屋を掃除することの幸せを語っているのだから少なくとも藤木遊作の部屋で働く家事用ロボットとしてのメモリは健在だ。
ヒートライオからドライドレイクへの攻撃が貫通し、敗北したロボッピは粒子状になって天へ昇っていきました……という見るからにトドメのような演出だが、人間でいうところの精神ダメージのような負荷が多少かかっていたとしても互いの命を賭けたデュエルではないのだ。あれだけ死は覆せない逃れられない蘇らないと主張してきた作品で、「ロボッピが壊れて」「システムは限界だった」とデュエル中のロボッピの様子に言及するだけで意思の消滅(ソフトの修復不可能)を明言はしていないのだから、作劇上の見せ方が大袈裟なだけでただ強制ログアウトさせられただけと解釈したって文句はつかないだろう。
じゃあどうして117話のロボッピは電源がついてないんだと聞かれたら、今まで電源OFF状態だったのだからそりゃ誰かが起動させてやらなきゃそのままなのが自然だ。復活したロボッピは果たして前のロボッピなのかという点においても、例えAiのことを忘れようともご主人さまのことを覚えているならそれは"以前の"ロボッピだ。事件の記憶だけを綺麗さっぱり忘れた草薙仁を見てあれは本人じゃないと言うならそれはそれでアリな考え方ではあるが。(この辺AIと人間で人格の解釈に違いがあって面白いと思う)
ロボッピはAiの甘言に利用されただけの被害者で、反逆に乗り気だったとして自分で善悪を深く考えることの出来ない被害者だ。プログラムという彼らにとっての命に大きな負担がかかるのならば止めたほうがいい。そしてその頃の記憶は夢ということにして、忘れさせたほうがいいのかもしれない。ご主人さまが不在の部屋で日々の家事をこなしながら綺麗な夜空に上っていく光を見つめて何を思おうと、ロボッピにとってあれは風邪を引いていた時に見たユニークな夢でしかないのだ。
このロボッピについての落とし所は、(この後描写されるただ待つだけのヒロインになってしまった財前葵と並んで)私にとっては数少ないVRAINSの納得いかない結論の内の1つなので、次々回にでも掘り下げて文句を垂れ流してやりたいな。Aiの気持ちを分かりっこないからと言って、それでも大切な兄貴のために頑張りたいと思った気持ちは許してもらえないってのかよ、と。
Aパート②:藤木遊作の得た繋がり
藤木遊作がメールを手がかりにSOLtis工場へ向かう間、三人の仲間が思い思いの夜を過ごしている。ここの財前葵について話すと2万字でも足りない色々な感情が溢れ出すため、今回は敢えてスルーさせてもらう。
そのほかツッコミどころとしては共に戦った穂村尊には挨拶無しなことが「人の皮を被ったちょっと冷たい人」と呼ばれても仕方ない描写なのだが、前述したように穂村尊は戦線を退いた人間であり、藤木遊作にとってすでに彼は"巻き込みたくない一般人"なのだ。草薙翔一からの「お疲れさん」も彼の新たな門出に向けて、そういう労いを込めた言葉であり、この空間は戦いを終えた仲間に報いる、いわゆるお疲れさま会と言えるだろう。
そしてそれは草薙翔一も同じなのだが、Playmakerという存在は彼と二人で創り上げたヒーロー像だった。93話を経て草薙翔一の手からは離れたとしても、Playmakerというアバターを藤木遊作が個人的な戦いのために使うというのなら、一声かけるのは道理だ。この挨拶を以て草薙翔一は"二人のPlaymaker"から卒業する。彼がPlaymakerとして共にいてくれたから、この日の戦いのために立ち上がることを選べた"今の"藤木遊作がいる。そういう「ありがとう」を伝えられたから、彼らのやり取りはそれだけでいいのだ。それにしたって「行ったか……」の表情からしても吉田伸回は「戦うべきでない者は下がっていてくれ」の精神が強いため、蚊帳の外感がことさら強調されるのは賛否両論に思うが。
細かい指摘で恐縮だが、昼間は学校へ行かずに私服で出歩いていた藤木遊作がAiのもとへ向かう際に制服に着替えているのは、学生なりの正装を戦装束に見立てたのだろうか。そう考えたらOPで何故か一人だけブレザーを没収され、謎の一般カフェの軒先で濡れ鼠にさせられている姿も、なんか覚悟が決まってない心情の表れとかなのかもなあ~という気にならんでもない。逆にもう片方がガッツリ着込んで雨の中でも平然としているのはそういうことだろうし。
mellowなOFFLINE BLUESを遮ってセンチな道中の雰囲気を破壊したのはヴァレルロード・F・ドラゴンの餞別と、自家用クルーズ船ハノイ丸に乗って現れた鴻上了見その人だ。ちょくちょくカード状の何かを差し入れすることでお茶の間の笑いを攫ってきた彼がついに本物のDMカードを手土産に持ってきたので、ここも彼の奇行における集大成とも言えるだろう。
そして、草薙仁を頑なに「草薙さんの弟」と呼び、穂村尊の「尊ってことで」にもガン無視を決め込むなど人のファーストネームを呼ばないことに定評のある藤木遊作が、初めてここで鴻上了見と名前を呼び合う。脚本の人はよっぽどこれがやりたくてここに関して周囲と擦り合わせしてたんだろうな。ロスト事件への向き合い方に自分なりの答えを見つけた鴻上了見は、言わば新生リボルバーとなって、藤木遊作が向かっている場所とは別の戦場へ旅立つ。なので戦う理由のない"現実の一般人である藤木遊作"とは今後関わることはなく、次に会うことがあるとすればそれは何処かの戦場で、それは"戦士であるPlaymaker"との再会だ。だから今ここで別れを告げたのは"鴻上了見"であり、その別れを聞き入れる相手は"藤木遊作"ということになる。 鴻上了見はリボルバーとしての出立の直前、つまりは変身前のヒーローとの邂逅だ。これも先ほど藤木遊作が草薙翔一のもとへ顔を出したのと同じで、今の鴻上了見がこうしてあるのは藤木遊作・Playmakerのおかげと言える。
放送1年目のリボルバーはPlaymakerの正体に気付きながらもロスト事件被害者ということで躊躇い、そのせいで闇のイグニスを奪還出来なかった。一刻の猶予もないまま幹部級の仲間が次々と犠牲になっていき、もはやハノイの塔でネットワークを破壊することでしかイグニスを仕留めることが出来ないとして計画は実行された。それは現実の一般人である藤木遊作を襲撃することを避け、あくまで仮想世界の戦士Playmakerとの決着にこだわった自分のせい、なのでリボルバーはその罪に報いるためにネットワーク世界ごとイグニスとの無理心中を図った。それをデュエルという決着手段で阻止し、以降もイグニスと人間が共存出来る可能性を提唱し続けたPlaymakerの存在があったから、リボルバーは生き延びて別の解決方法を模索することを受け入れられた。だから新たな旅を始めるにあたり、道を切り拓いてくれた藤木遊作と挨拶を交わしておきたかったのだ。
鴻上了見から渡されたカードをノータイムでセットすることにも定評がある藤木遊作だが、これも当人にとっては筋の通った理屈がある。
43話の初対面で自分の名前を知っていた鴻上了見は当然Playmakerの正体に気付いていたことを察し、この時点で彼は現実の自分に危害を加えることを良しとしない人間であると考えられた。73話で協力関係を結ぶ際に渡されたプログラムについても、互いに目下の敵であるライトニングを倒すため現実での襲撃に備えなければならない状況にあった。同じ抹殺対象であるAiを有しているからといって、ここでAiや不霊夢を排除しようものならばPlaymakerやSoulburnerの戦う動機が失われるため、彼らの戦線離脱は大きな戦力ダウンに繋がる。リボルバーが貴重な戦力を失わないため防衛プログラムを提供したということを理解出来たため、疑うAiをよそに藤木遊作はそれを受け入れた。言葉のやり取りだけでは理解出来ないAiの疑いを晴らすためにも、直接データを食わせて隙のないセキュリティ機能(=ハノイの意思)を示した方が手っ取り早いという考えもある。
そして今ここで鴻上了見がカードを渡してくる意味はただ一つ、PlaymakerがAiに勝つためには必要なものと判断して選んだ「裁きの矢」対策カードということだ。現在イグニスを持たない藤木遊作に害をなす意味は全く無いし、仮にイグニスがいたとしても、その戦いの舞台に彼はもう立っていない。今までの戦いで数多くの的確な対抗策を用意してきた彼が選んだカードであれば、その効果を今更疑う必要はない(とはいえ道中でデッキ調整くらいはするかもしれんが)(でもこの文脈でいくとデュエル開始後に初めて効果確認しててもおかしくないな)。ここで渡されたモンスターの意味についてはまた次回にでも触れたいので、ひとまずこの辺りで切り上げる。
わざわざ口で説明しなくとも、これを今渡しただけで彼らの出逢いにどういう意味があったのか、鴻上了見がどう感じたのかを藤木遊作は読み取れてしまうので結果的に感謝を示したことになっているが、傍から見れば唐突に船を接岸してきてカード投げつけて去っていった謎の人なので、これから先の彼らがどういう繋がりを得てどういう変遷を辿ろうとも、この世界観は一生彼ら二人だけにしか共有出来んだろう。ええんかそれで。
なんやかんやと言葉で信頼の気持ちを示すことを描いてきたVRAINSだが、この二人に関しては頭の回転が速いのもあってか言葉がなくとも理解し合っているタイプの信頼なので、いつかどこかで会う機会があっても「リボルバー!」「Playmaker……」だけで会話が成立すると思われる。なんだコイツら。
藤木遊作のいない場所で、これまで関わってきた・藤木遊作によって大きく人生を変えた人々の様子が描写された。それは彼らが今後、藤木遊作に依存せず生きていくことを示す姿だ。意思はたった一つなので、藤木遊作がそこに居ようが居まいがそれぞれの考えをもとに独立した営みを送っていく。それだけで言うと素っ気なくて寂しい気もするが、それは藤木遊作にも言えることだ。
彼も本来はロスト事件の真相を知った時点、ボーマンの人類統治を阻止した時点でいつでも物語から退場し、平穏を取り戻した彼らの輪に加わって「お疲れさま」を言い合うことが出来るのだ。財前葵が戦わなくてもいいと言ってくれたようにこの戦いをパスして、兄の傍らで窓の外を気にする今宵の財前葵と同様に、事態の解決と仲間の安否を気にかけながら結果を待つ行為への許しは下りていた。
それでも藤木遊作はPlaymakerとなって戦うことを自分の意思で決めたのだ。「Aiがこれ以上罪を重ねるのを止めるのが、相棒としての俺の使命だ」の言葉通り、これは自分で課した使命であり、そうしたいから選んだ道である。藤木遊作の物語、藤木遊作の人生はいつだって彼自身のエゴによって進路を決定している。この後明かされるように誰かの意図で誘導された結果であろうが、友人に助けを求められたからであろうが、それを選ぶかどうかの決定権は藤木遊作にあり、戦うかどうかの判断も自分で決めていい。辛くなること必至の戦いを決断出来たのは、それを選べるほどの強さが彼の中にあると自覚させてくれた草薙翔一の存在があったからだ。
だが藤木遊作は戦うこと自体を目的にはしていないし、そこに楽しみを見出す人間では決してない。これも120話感想にて触れるつもりだが、旅の道中で疲れしまったなら途中で休んでもいいし誰かに代わりを頼んでもいい。それが出来る、迎えてくれる場所や頼ることを受け入れてくれる仲間が藤木遊作には出来たのだ。戦ったり休んだり誰かに後を託したり、それらの選択肢をいつでも選べるようになったのが2年半かけて藤木遊作が得た他者との繋がりだ。
これまでの戦いを通じて知り合った彼らを、彼らの日常を失わないためにも、この戦いを絶対に終わらせるという選択肢が藤木遊作の中に生まれた。そこには、Aiとの繋がりを絶対に諦めたくないからという決意も含まれる。そういった関係性が今の藤木遊作の意思を形成しているので、物語開始当初と今の彼はもはや別人と言って過言ではないだろう。よく言われるマイナスからゼロへの進歩と言うよりか、AからB、A'などへの変質と呼ぶ方がより適切かもしれない。
Aパート③:Aiによる歓迎
工場内のカメラで藤木遊作が到着したことを把握するAi。社員証の提示などせずともシャッターは開き、通行可能となる。極めつけには「Welcome」と書かれ大袈裟に飾り付けられたゴンドラでのふざけた登場である。こう見えて直接奪った意識データに加えて現在Aiの手中にあるリンクヴレインズアクティブユーザの命すら握っているので、本気で笑い事では済まない状況にあるのだが、Aiは終始上機嫌で藤木遊作を熱烈歓迎している。
Aiが笑いながら人を傷付ける様子を見て、それでも信じたいと思った彼としては、その理由を知りたい一心だろう。Aiの心境といえば予告ポエムで語られた通りなので、かつての相棒が死神となって訪れるよう仕向けた一連の騒動がうまく運んだことでご満悦なのだろうが。確かにAiはかつての相棒の来訪を心待ちにして歓迎しているが、ある意味ではこれ以上ない藤木遊作への拒絶とも取れるだろう。
限定SOLtis Aiちゃんモデルは藤木遊作への脅迫であると同時に、イグニスと人間の共存出来る可能性をシミュレーションでは測りきれない数まで拡げはするが、自分はそれに付き合うつもりがありませんという意思表示だ。「とりあえず俺は寂しくなくなる」発言は後に判明する真相と矛盾するようにも受け取れるが、Aiにとって同格の存在がいなくなることが人類滅亡のトリガーである以上、Aiをベースにしたコピー達の残機を2以上残す必要があるので「(コピーの)俺は寂しくなくなる」ことは重要なのだ。この辺りのAiの行動に関する理屈は以前の記事で書いたので省略するが、真面目な質問をトンチで返すな。
Aiって実は死んでないよな、という説をここで公開してから随分経つが、これで本当に復活の余地も残さず死に支度をしているつもりだったとすれば本気で腹立たしいなコイツと感じるようになったのが私の近況だ。なので過去記事の内容は時折交えつつ、そういった視点で考えたAiへの感想についても出力していく。予め伝えておくと、3年目Aiに対して死亡説で受け止めた場合の現在の私はただただ「ふざけんな」という怒りを彼に向けているため、Aiへの肯定意見を期待してここまで読み飛ばしてもらった方々には申し訳ないが、合わないなと感じた時点でご退出願いたい。
戯けた態度で本心をはぐらかすのは相棒を想う哀しみの裏返し……と言えば聞こえはいいが、真実を打ち明ければ藤木遊作がどういう反応をするか理解した上で引き返せない状況まで持っていくつもりなので、要するにここまでの言動もAiは計算して行っているのだ。
「このまま生きていたら俺のせいで必ずお前が争いに巻き込まれて、やがて人類が滅亡するというシミュレーションをたくさん見ました。別の道を探しているうちに人間を見下す方向へ気持ちが傾いていくのが辛くなって、もう生きるために頑張ることが出来ません。この辛さをお前にだけは理解してほしかったので、せめて俺の最期を一緒に見届けてください」結局のところAiの目的はこういうことで、藤木遊作はそんな選択を認めるわけがないことを自分でも分かっている。Aiの死に様を自分に決めさせることではなく、Aiが生を諦めたこと、それ自体を藤木遊作は許してはくれない。だからこれまで挑発するような言動で関心を引いてきた。
相棒がこの誘導にまんまと引っかかっていることからも、Aiが藤木遊作を含めた人間達を掌の上の下等種族と見做して見下すまでの筋道を頭の中で加速させているのかもしれないが、人類の総人口に比べて圧倒的に足りないデータをもとに自己完結させた計算で、分かったような口を叩いて絶望に酔っているだけだ。意図して避けたシミュレーションがあるとも白状しており、望まない未来を回避する余地はいくらでもあっただろう。人間の傍から距離を置きほとぼりが冷めてから帰ってきてもいい、他のイグニスの存在によってAiの末路が変わるのなら自分をベースに同格の存在を生み出し、SOLが推し進めるのとは違う形で世に出すことを試みてもいい。それで駄目でも仲間に相談したらいい。単にAiは一人で悩み、途中で諦めただけだ。
先ほど藤木遊作の選択肢について、戦いを休んだり誰かに任せることが出来ると言ったが、生きる行為そのものについてはそうはいかない。Aiの意思はたった一つ、分散コピーが作られたからといってAiの命を肩代わりしたことにはならない。Ai自身に生きていてもらわなければ想いを託してくれた仲間を犠牲にしてまでボーマンとの死闘に打ち勝った意味がない。
ここまで辛めにAiの行動を否定してきたので、そのAi自身が生きたくないと思ったのだから死なせてやればいいじゃないか、という意見も当然あがってくるだろう。だがAiは生きたくないわけではない、ボーマンの内部で他のイグニス達を救えないと分かった時、ギリギリまで粘りはしたがあの場で共に統合されることは選ばず、彼らを犠牲にしてもボーマンを倒し生き残る道を選んだのだ。そしてライトニングのシミュレーションを見せられた後もそれに抗うために何度も計算をし直した。同胞のイグニス達を喪ってもなお、共に生きたいと思える存在がいたからだ。
シミュレーション内でAiが見たという藤木遊作の死、あれは分かりやすく映像に書き起こしただけで、意味していることはAiにとって同じ知能を持った仲間と同価値である相棒が喪われる可能性への気付きだ。永遠に近い命があるAiにとって、寿命差や仲違いなど藤木遊作との円満ではない別れのパターンは無数に存在する。だが将来同じだけ尊重し合える誰かと新たなに出逢う可能性も無数にある。そんな繋がりの連続で成り立つことが前提の生命活動の壁を乗り越えることを、Aiは仮定の段階から諦めた。哀しいことが恐いので、繋がることを恐れたのだ。
「人間は他者との絆により想像もできない進化を遂げる」と、Aiの傍でずっと人間の持つ可能性について力強く主張し続けてきた相棒の言葉すら取り入れられなくなる前に、ちゃんと引き換えして仲間に打ち明けろよ、と私は思った。すぐに解決策が思い浮かぶとは限らないが、あのままシミュレーションを連コイン視聴し続けた結果が見返りを得られないことへの疲弊とそれに伴う変化への恐怖による雁字搦めの末に自死の選択なので、それよりは遥かにマシな道を探せるはずだろう。今まで隠し事があろうと構わず相棒関係を築けていたことのツケがここに来てまわってきたと言える。弟分を巻き込んで加担させ、「限界だったから」でここまで導いた責任を中途半端に放棄してメッセンジャーに利用したぶん鴻上聖よりよっぽどタチが悪い。現在進行形で巻き込まれている藤木遊作からしても、これでは「こんな戦いをするために今まで共に戦ってきたのか?」と聞くほかない。
最初こそ利害で決めた協力関係だったが、Aiの目的や心情を察して誰よりイグニスと人とが共存出来る未来を真剣に考えて心を砕いてくれたのが、困難を乗り越えた末にかけがえのない友達となってくれた人間の藤木遊作だ。「生きてほしい」「持っている命を大切にしてほしい」と望んで共に向き合ってくれた"今現在を共に生きている"彼を信頼せずに、その友情を踏みにじった最低最悪の裏切り行為だ。ふざけるな。
なので公式的に(この公式というのは実際に放映されたアニメVRAINSのシナリオ制作に携わった関係者を意味する)発表がない限り、「相棒との繋がりに秘められた無限の可能性を軽視して自分勝手に死を選んだメンヘラ裏切りクソ野郎であるAi」と「相棒が持つ絶対の意思の強さを信じて身を隠し、人類と共存出来る未来に一縷の希望を賭けたAi」はVRAINSというブラックボックスの中に同時に存在する猫である。別の説があるのであればその数だけ箱の中のAiは増えていくので、中身を知って真実がどれか一つで確定されてしまうくらいなら、開けてほしいとは思わない。
ずっとAiは生きるために戦ってきた。その中で藤木遊作の人生に復讐というレールを敷いて導くことで利用していた。仲間の待つ故郷へ帰るという望みは他でもない同朋の裏切りによって打ち砕かれ、報われることは終ぞ無かったが。じゃあAiが今まで戦ってきた・生きてきたことに何の意味があるんだと問われた時に、自責の念によってAi自身ではその答えを導き出せなかった。だからAiを知り、その気持ちを理解し、彼がいなくなった後もそれを覚えていてくれる存在がいてくれることが彼にとって重要だった。
人類の脅威、ネットワークを急速に発展させられる凄いAIプログラム、お調子者、計算高くて油断ならない、本能を獲得した特別なイグニス、人類反逆を企てた裏切り者、Playmakerの持つ変なAI、エトセトラエトセトラ……。どれも本当で、Aiを言い表している言葉ではある。
Aiが恐れた未来、望んだ世界、悔やんだ想い、叶わなかった願い、それらすべてを知って、実際にその姿を隣で見つめ続けてきた藤木遊作は誰よりAiを言い表すための語彙に長けている。その中で、哀しみに満ちた生涯を終えようとするAiの生き様について、「人を愛する」という言葉で修飾して見送った。自分に話しかけてきたクラスメイトに対してオブラートに包まない率直で辛辣な言葉を羅列して返してしまい、他に見つけた良いところをうまく伝えられずに傷付けていたような藤木遊作が、友達の気持ちを慮り、言葉を選ぶことが出来るようになったのだ。そういった面でもAiという存在は藤木遊作の中に残り、大きな変化をもたらした"意味のある出逢い"だったと言えるだろう。
Bパート:イグニスターの盤面所感
最終話の展開まで先んじて書いてこれ以上何を語ることがあるのかと言った具合だが、Ai戦の感想の前提となる論を最初にまとめて提示したかっただけなので残りはもっとあっさりした茶々入れや棋譜の読み上げになる予定だ。本当か?ここは私の日記帳。
激しいデータストームの中心から覗く外界には、教科書やネット記事の写真ではよく見慣れた青い星が見える。実際の色形を目撃した人は少数派だろうが。前に語ったように、このVR空間が月面だからわざわざ再現していると見てもいいし、人類の存亡を賭けていることのメタファーとして描いているとしても美しい背景だと思う。何より、痛みを伴うストームアクセスに重ねて、葛藤を乗り越えたPlaymakerが逆巻く風の中心に待ち構えたAiに手を伸ばし対面するまでに至ったことを表現するならこれほど相応しい舞台もない。
データストームと言えば、同じ単語が出てくる夕方アニメの完結が記憶に新しい。親子関係の落とし所などには重なる部分もあるが、作品全体の主張で言えば同じ作家の書いてるヴァルヴレイヴなんかがよりVRAINSに近いことをやっている作品だと思うので、もし放送終了から何年も経った今でもこんな場末の長文を読まなきゃならないほどにVRAINSやその代替作品に飢えているのであれば、個人的には勧めたいところだ。
デコード・トーカーを1ターン目で出したいがための怒涛のリンク召喚はいつものことで、デュエル構成作家氏には毎話頭が上がらない。ここからPlaymakerがずっと内心に秘め続けていたAi暗躍についての推理パートが始まるが、この辺の話を場面描写に挟み込むだけで視聴者の我々には一切明かさない作りを主人公が信頼できない語り手のヒーローアニメと見るか、推理材料をきちんと配置して途中で憶測による思考誘導をしてこないフェアなミステリ作品と見るべきか悩ましい。サイバースデッキを隠した場所の傍に転がっていたロボットも、失敗するとどうなるかの前例を見せてくれたり煽るだけ煽ってPlaymakerの指し手を誘導してきたハノイの騎士達も、都合好く生えてきた謎の手錠も、ちゃんと我々と同じものを視界に入れて考えた結果の答え合わせをしてくれているので推理ものだよと自信を持って言いたいが、ノックス十戒破りまくってるんだよなあ。
お助けハノイの挑発からしても、思想の誘導で協力者候補をまんまとDen cityに導くことに成功したところを見ても、5年前からのAiの行動は"人間より賢いイグニス"の自覚を持っていて味がある。今やすっかり失脚して出番を失ってしまったビショップを始めとするSOL上層部のデザインを思うと、初期構想にはPlaymakerらを駒として動かすAiとSOL陣営のチェス対局みたいなイメージでもあったのだろうか。
5年前のAiには人間への思い入れなど無いため、結果的には計算通り事が運んだことになる。だが実際に1話から観ていくと、どのデュエルも大抵はギリギリの攻防で、Playmakerが思い通りの行動を取らないことだって沢山あった。直接現場で体験し、藤木遊作や草薙翔一と交流することで、当時は想定していなかった付加的な情報を学ぶことに繋がった。シミュレートを大枠で捉えた場合には予想通り進むこともあるだろうが、人間一人の目に見えない思考回路を完全に把握出来てもいない時点で計算などとはちゃんちゃらおかしな話である。お前の予想を裏切り続け、それでも確実にお前の友達として立ち上がってくれるかもしれない人間はどこにだっているだろ。藤木遊作がそうなったんだから。
散々言われ尽くしているイグニスターデッキの良さだが、私は実際のOCGについて詳しいと言える域に達していないため作劇上の効果や展開のみで語ることを了承いただきたい。
イグニスターにとって夢のフィールドを運んでくれるのがピカリであることもそうだが、ピカリをもとにリンク召喚されるのがリングリボーなことも乙な采配だ。このモンスターは鳴き声から推測するに、ハリボテサイバース世界での密会にてAiを運んだ偽リンクリボーと同一個体か、あの後焼き払われた世界に巻き込まれた残骸をサルベージして自分のデッキに取り入れたものと思われるが、例によって真相は明かされないため好きに想像させてもらう。どちらにしてもこういう見捨てられない性分がオリジンによく似ているな。
効果①に回数制限はないので、全滅しようと再び仲間を復活させられるイグニスターAiランド。背景を考えるとなかなか重いが、それをゆずり―Ai―で利用するのはトリッキーでAiらしい戦術だ。思ったが、当初私はここを5年かけてサイバース世界の平穏を取り戻そうとした本編の見立てだと考えていたのだが、これをAiの地球脱出ないし人類の目からの潜伏に見立てれば結構希望ある未来が隠れているようにも見える気がする。
ところで「現れろ、闇を導くサーキット」という口上だが、ライトニングのそれが「いでよ、光を導くサーキット」だったこともあり、どちらも自分を導いてくれる道筋を求めていたことを匂わせてくるのがなかなかニクい台詞回しに思える。
ダークナイト@イグニスターは戦場の前線に立っている。背後に守る存在が生まれれば、散った仲間を蘇らせて更に世界を発展させることが出来る。Aiの理想の救世主イメージが詰まりまくったモンスターだ。そして蘇った仲間は不死鳥となり、また破壊されることがあってもただでは済まさない。そして次のフェイズには蘇ることが出来る。
続けて発動される、Playmakerと戦うための覚悟のカード、裁きの矢。モチーフは分かりやすく三本の矢の逸話なのだろうが、元ネタの三子教訓状(※1)から見ても、このアニメずっと親父の説教みたいな話してるな感がますます爆上がりしてしまう。そういう作品が好きだから私個人としては全然構わないんだがね。
兄弟同士の憎しみ合い、争い合いを象徴するカード。本来ならば束ねられた矢のように結束し、力を合わせて助け合わなければならなかったイグニス達。その鏃が向く方向は自身のモンスターであり、Aiにとって遅すぎた戒めとして刺さっている。
Aiの攻撃を防ぐPlaymakerの姿は、デュエル開始前にAiが語ったコピーAi大量発生の未来を頑として認めない意思の表れだ。しかしその真意が分からない以上、こちらからの攻め手に欠ける。OCGでは相討ち可能なダークナイトだが、劇中の効果は決してPlaymaker(デコード・トーカー)には負けない、揺るがされることがないようにという矜持によって書かれたテキストなのだろう。
Aiが語ったデュエリスト格付けでもPlaymakerが一見おかしな位置づけをされていたのは、自分の決めた信念を覆しかねないものを見せてくれるかもしれない相手への期待値を反映していたからだ。上位にいるリボルバー・Soulburnerg本物のAiが対面することはなかったが、ブルーメイデンとの戦いではどうせ理解されないと決めてかかりながらもどんでん返しを期待するような素振りを見せていた。Aiにとっての予測を覆してくれるなら、誰が相手でどう転ぼうと構わないからだ。
Playmakerにはそもそも期待していない。どんな意見も聞く耳を持たない。だから、かける言葉は響かない。彼が主張する希望、人間の可能性に向き合うことに疲れ、諦めたからだ。だからPlaymakerに対してどういう態度を取るかはすでに決まっており、絶対に聞き入れないつもりでこのデュエルを仕組んだ。そういう意図で「ダークナイトはデコード・トーカーに破壊されない(屈しない)」効果を盛り込んだのだ。逆に、その効果抜きでOCG化したということは、正史では目的を阻止されて言い含められましたと考えてもいいのかもしれないが。
ついでに、デコード・トーカーといえば若干怖いギョロ目が特徴だが、ダークナイトの目は光っているだけで瞳がないデザインなのが狡いな〜といつも思っている。まあ瞳は使い手自身なのだがね。
※1 還暦を過ぎた父親(毛利元就)がまだわりと元気なうちに、主に活躍している息子達へ宛てて送った3mにわたるお節介が記されたクソ長い書状。次男の吉川・三男の小早川で協力して長子の隆元を支える毛利両川体制を説いた手紙だったが、逆に兄弟仲の不和を引き起こしたり、老いた元就より先に隆元が急逝したりなど波乱万丈な毛利家だったが、その訓えは孫の輝元が立派に受け継いで、末永く家を守ってくれたようだ
終わりに
さて、別の視点から何かが見たいという一心でユーモアのある逆マラソンを開始したはいいが、最終決戦の導入回かつ登場人物も多く、デュエルパートが1ターン分しかないのでスクロールバーもご覧の有り様である。自分でも心底くどい、読み返したくないと感じる説明羅列だが、2019年に終了したアニメの各話内容を事細かに覚えていること前提で読ませられる文章は、それはそれで不親切では?
3年目終盤感想を好んで漁って読みたがる層がそれ以外の話数については思い入れが薄いなんてことは信じたくないが、逆に仔細把握しているとしても描写ごとに解釈が異なることはよくよく分かっていることだろう。次回以降はもう少しマシな量で世に出せることを信じたい(さもなければ筆が折れる)。
投稿日について、色んなお叱りを受けることを承知で言うと、自分の中でこの日はVRAINSが最終回を迎えた事実に向き合わされる命日のような位置づけにある。当時を想起させる日付で公式展開が匂わされたりコンテンツの立派な周年ロゴを見せられると冗談でなく動悸と胃痛に見舞われるのだが、やっぱりこの作品が好きだなという思いの方が強いため途中休憩は挟みつつ時間をかけて向き合うしかない。
その一環で出した文章も半端な区切りで発表する羽目にはなったが、出すもの出したらわりとすっきりしたので次回にはまた違うことを言ってるかもしれない。ただし思想の偏りは自覚しているので、今回のAiへの評価はしばらく譲ることはないだろう。こういう考えにこそ別の受け止め方を拾えたら企画の甲斐があるというものだが。
この遊びの勝利条件は個人的な満足が得られることなので、このまま1話感想まで完走しても勝ち、途中で飽きて別のことに夢中になっても勝ちと言えよう。
117話の説教 総括
・疲れたら一旦休め
・友達をもっと頼れ
色々あるかもしれないが、生きてるうちは命を大切にしてくれ。見ていてくれる友達はいつでも作れるから。そこのAIに言ってる。
今週はここまで。
23/1/9 コメント返信
>カンバラナイト様
感想・ご意見を拝読いたしました。当noteを閲覧いただき、ありがとうございます。
お礼より以下は読んでいただく必要もない返信となりますが、よろしくお願いします。
フィクションに現実の秤を用いるのがナンセンスというのは前提ですが、120話後ハノイの騎士の是非は彼ら自身が一生を以て償いの形として受け止め、考え続けていくのだろうと思われます。
たびたび漏れている脚本家の主張から察するに、そういった被害者の存在を十字架にして背負いながら戦う彼らもまた世界を守るヒーローだと認めているんじゃないでしょうか。
3年目の描写に関してですが、補足をしておくと104〜120話までのキャラクター描写自体は自分なりに読み解ける筋を見つけているため、あとは視聴者各人の好みの問題と思っています。
「残った尺でAiの物語を描き切るために構成された3年目VRAINS」においては、各登場人物は最低限しっかりと役割を果たして動いているため、上手く展開を回せなかったとは私個人としては全く思っておりません。
自罰的な描写に一家言のある武上氏や少年少女の成長を得意とする前川氏など、担当する各キャラクターの造型をしっかりと組んだ上で段階的に持ち味を活かし物語の中で育てて来てくれました。
カンバラナイト様が当記事に重ねて「どうかと」思われた部分について、
Aiが哀れな運命に直面してしまったことはその通りですね。記事内で申し上げたように、Aiの真意次第で読み取り方は変わりますが、そこは私個人の好悪がブレるというだけの問題です。
ロボッピは、立場的にはAiがハノイへの復讐に巻き込んだ結果愛着関係が生じてしまった無垢な子供です。Aiが生き残るため仕込んだ策の余波で大きく寿命を縮めてしまった弟分を、うまく自分から引き離してPlaymakerらに保護してもらうつもりで敢えてメッセージを託した(が、想定以上に限界を迎えるのが早かった)といった事情がなく、あの信頼できない語り手が本心から「最期に喜びそうな夢の国を与えた」と言っているのであれば、ロボッピの物語はすべて露悪的な、仁同様に忘れてしまったほうがいい思い出となるでしょう。
3年目ロボッピの暴走を通して伝えたかったのは「意思を持ったAIの増長しやすい性質は決して邪悪なものではない」というフォローなので、表現の過激さはともあれ必要な要素だと考えています。
そして財前葵に関して、
「よくもあそこまで思い上がる」というのがどういった感情で、どの時点の彼女を指して仰っているのかは分かりませんが、今まで守られるだけだった「部外者の人間」である少女が敵であった相手にも寄り添う青い愛を持つ天使になるまでを描くのですから、成長過程にある彼女がただのAIプログラムとイグニスの違いを実際に触れ合うまで何も知らず、行きずりの敵・友人の仇でしかないハルとボーマンの心情を理解できず、大切な家族を失うまでAiの哀しみに心から共感出来ないのは自然なことであり、それでも青い天使に憧れる葵の物語では必要不可欠な試練です。
誤解がないように申し上げると、3年目財前葵についての不満点とは彼女自身の振る舞いではなく、彼女が今まで積み上げてきた成果を発揮すべき決着の機会を「AiとPlaymakerの物語」では不要だとして切り捨てられたことを指します。
本編中に分かりやすい活躍、明快な結論に至るエピソードがなければキャラクターの成長を実感し好ましく思うことは難しく、今現在も戦士となって立ち上がって以降の彼女の世間評価は賛否両論というのが正直なところです。
ですが少年漫画ジャンルから始まったアニメシリーズのある種一区切りとも言えるこの作品で、大人である兄や主人公に守られるだけの幼い妹・俗に言うヒロインのままではなく、大切な存在を守るために自分も戦いの当事者として身を置くヒーローの一人に名を連ねたブルーメイデンは非常に大切なキャラクターです。
結末はついぞ描かれることはありませんでしたが、何者でもない彼女が幼少期に憧れたヒーローである青い天使までの道を着実に歩んできた過程と、そうした少女ヒーローを育てあげるため過酷な試練を筆を休めることなく執筆してきた前川氏を、私は尊重したいと思っています。
あるべき結末さえ用意されたのならばどんな結果であっても、私は胸を張って財前葵がVRAINSで最も素晴らしいキャラクターだったとまでに語ることも出来たでしょう。1話から111話までの成長過程だけを抜き出すならば一番好ましいとさえ思っています。
結果的に出されたものが本筋優先で肝心な落とし所をカットされ、何も出来ずに主役の勝利を祈りながら帰還を待つ仲間その2のポジションに収まる姿であったために、最終的な財前葵の冒険の成果を視聴者のみの目線では判断しかねる事態となっていることについて私は個人的な不満を抱いているのです。
(これも誤解なきよう説明すると、「仲間の勝利を祈るしかできない」人物の描写自体には何も問題はありません。兄を奪われ、Aiと同じ視点に立たされた彼女が一度大きく挫けてしまうことも当然の運びです。介護もあるでしょうからベッドの傍から離れられないのも分かります。しかしAiとの戦いにおいて彼女が何も「しなかった」とされてしまう最終章は、違うでしょう)
見当違いの共感をされているようなので、その点は否定させていただきます。
また、VRAINSに託つけて他作品を貶す意図があるのであれば、当方では反応致しかねますのでご遠慮ください。
長くなりましたが、言いたいところとしては以上となります。もう一方のコメントにも返信しておりますので、もしよろしければまた覗いてやってくださいませ。
もしもここまで読んでくださっているのであれば、お付き合いいただき誠にありがとうございました。