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倒産寸前の古巣PR会社へ39歳で転職し、経企に初挑戦した9ヶ月のまとめ

2024年1月、39歳にして転職しました。それまでIT企業でのびのびと広報室長をしていましたが、経営悪化した古巣のPR会社へ5年ぶりに戻り経営企画に初挑戦することにしました。倒産寸前でしたが在籍期間9か月で黒字転換に貢献し、就業規則改訂や残業代支払いの開始、評価制度の導入など管理部門全般の幅広い業務を担当し会社を大きく変えてきました。
現在は育休中です。転職してから産休に入るまでの9か月は、社会人人生の中で最も学び、最も耐え、最も爆速で働いた期間でした。せっかくなので実施したことをまとめました。

やりがい搾取文化

最近では「アルムナイ採用」という言葉が注目され、古巣に戻ることを歓迎する世の中ですが、私が古巣に戻ると、もといた時よりも遥かに地獄になっていました。

会社が扱うPRの領域は全てエンタメに特化しているため、スタッフは芸能界やエンタメ好きな人が多く、基本がやりがい搾取です。数社ある同業のPR会社も同様の文化を持った企業が多く、薄給・長時間労働でも業界に入りたいという若者に依存し、そうした人材を教育することもなく消費するのが業界全体の文化でした。逞しく育った人はクライアント側である有名なエンタメ企業に転職し、挫折した人や絶望した人は業界を去る。人流自体も業界内の横移動が多く、業界全体的に働き方への改善の動きが鈍い。なので、例えばクライアントから委託される業務内容も、長時間労働が前提となるものが多い。それでいてPR会社は委託費と人件費のバランス的に複数本数を回すしかなく、経営者が長時間労働の是正を意識することはないので常に労基法違反並みの働き方になる。
コンプラ意識の高い大手や感度の高い経営者の会社は改善しているものの、この文化自体は色濃く残っています。少なくとも、私がいた(戻ってきた)PR会社は純度100%のブラック企業ですし経営者が主体的に改善を意識したり努力したりしてきたことはありません。

確かにやりがいはあった

ただし、私がかつて現役でPRをやっていた時、やはり“やりがい”だけはピカイチだったなと思うわけです。とても好きな仕事だったし楽しかったです。周りも同じような人ばかりでした。

PR会社を辞めてちゃんとした会社に転職しましたが、そこで私は、「働くことは辛いこと。それは当たり前のこと」という価値観に嫌というほど出会いました。仕事にやりがいを求めるという価値観が世の中的にワンオブゼムであることを時間がかかってやっと理解できるようになりましたが、最初の頃は一般企業で働くとはこういうことなのかと面食らっていました。
とにかく私にとって仕事は楽しいものであり、果てのない娯楽です。人生において大部分を占める仕事の時間を楽しまないでどうするんだ、と思うわけです。だから、やりがいだけはピカイチだったPR時代を思い出し、そういう価値観の中にまた埋もれてみたいと思うようになりました。

再入社すると、地獄でした

ところが私が出戻り入社すると・・・地獄でした。会社全体が殺伐としていて、全員がお互いに疑心暗鬼で、モチベーションが低くて(低そうで)、離職しそうでした。モンスター社員やメンタル不調社員が放置され、それによる弊害もたくさん起きていました。離れていた数年での変わりように驚きました。再入社当時のことを思い出すと吐きそうです。

そこから9か月、本当にいろいろなことを変えてきました。なぜ9か月なのかというと、2024年1月に出戻り入社した直後のことですが、前職時代から続けていた不妊治療が成功したことがわかり10月より産休に入ることが決まったからです。そのため期限が9か月となり、“産休までに”を目標に、会社の就業規則の改訂や制度変更、ツール整備などいろいろなことを実施してきました。これまでの自分の社会人人生の中で、最も学び、最も孤独で、最も爆速で働いた期間でした。再入社した頃は経営状況が非常に厳しくお先真っ暗でしたが、無事に黒字転換できたこと、会社の骨格を整えたことでちゃんと回っていること、どちらも自分がいたから実現できたと思っています。

再入社の理由は「ボロボロの会社の立て直し」

再入社というと会社愛があるように聞こえると思いますが、そういうわけではありません。

ちょうど前の会社(IT企業)で転職を考えている時、今のPR会社の社長(当時は相談役)から「戻ってきてくれないか」という電話が来たのが直接的な理由ですが、これを聞いた瞬間に面白いゲームが始まったように感じました。PR会社は私が退職した後に社長が代替わりしていましたが、その若社長の経営がうまくいっていませんでした。また、若社長と、創業者であり今の社長(つまり社長→相談役→社長となった)との摩擦が絶えなかったこともあり、会社の経営がピンチになったのです。「ボロボロの会社の立て直し」というお題が、その時の私にはとんでもなく面白そうに見えました。

そこで、私自身がやりたい且つ貢献できる業務内容をプレゼンし、自ら売り込む形で再入社することになりました。初挑戦の経営企画というポジションは自分でつけました。社長が経営企画という部署の役割・機能を知らなかったので、説明して了承を得ました。

ハラスメントとの戦い

業務内容に関しては概ね納得のいくものとなりましたが、メンタルはボロボロになりながら進めました。社長(69)からのハラスメントです。怒りの沸点がもともと低い上に年齢を重ねて悪化したこともあり、また、私がやりたい施策を進めようとするとどうしても会社の批判をしているように聞こえるようで、毎日がパワハラモラハラ祭りでした。施策の承認をもらおうと説明すると、「わかった。やった方がいいよな」など理解して承認するのに、すぐに記憶が消えていくので、「俺は聞いてねえ!」「知らねぇ!」となる。他にも「役員でも株主でもねえくせに出しゃばるな」「おまえには何も権限はない」「元の会社に戻れ!」などなど。私のいないところでは「(私が)会社を乗っ取ろうとしている」などと言い周り、その話を聞いた周囲の人たちからは叱責(その後事情を知って私をフォローしてくださる方が増えたのでそれは本当に救われました)。本人が発言を撤回すべきと理解しても常に言いっぱなしなので、撤回などフォローしてくれることはありません。それでいて何枚舌なのか、急に態度を変えて「申し訳ない」「感謝している」と言ってくることも多く、本当に辛かったです。

再入社して2ヶ月は耐えられず、何か言われると「酷いことを言われて私は辛い」などと伝えるようにしていましたが、こうやって伝えるたびに「おまえはパワハラ加害者だ」と何度も言われ傷ついてきたので(意味がわからなかったし今もわからないですが)、何も言い返さずひたすら耐えるようになりました。並行してシニアのメンタルヘルスの本を読んだりセミナーに参加したりもしました。この辺りが、妊娠初期の体調不良も相まって最も辛かった時期です。社長の声を聞くなど存在がいると分かるだけで吐き気が止まりませんでした。
ただ、ハラスメントに耐えるようになってすぐ、社長が「最近は(私と)うまくやれている」と周囲に言うようになったので、私自身が辛いことに何も変わりはなかったのですが、私の働きにくさは少しだけましになりました。結果的にハラスメントを許してしまっているような状態がよくないことはよく分かっていましたが、社労士や税理士と結託してあらゆることをチョロまかしてきた零細企業の経営者自身のハラスメントなので改善に向かうには道のりが長く、私自身の時間や労力をそこに費やしたいと思えるほど今のポジションや会社への愛着はありませんでした。その分自身の業務範囲の中で会社を変え、これ以上の被害者を生まないようにしよう、という意識でいました。

私の再入社を喜び、再入社が決まった時点で周囲に言いふらし自慢していたのが嘘のような変わりようです。
ちなみに私に断りもなく転職の話が漏洩しまくったことは全く許せないし傷つきましたが、この話を本人に伝えても清々しいほど罪の意識はありません。

9か月で行ったこと

入社後、私が主に取り組んだのは全体リソースの最適化(ヒト・モノ・カネ全部)です。が、管理部門はほぼ全般をやることになりました。もともと管理部門の業務は社長自身と社長の娘が担当していましたが、時代に取り残されたような会社で改善意識もないので、管理部門は機能不全状態でした。

私は売上(利益)を見ながら全体的な方針を考える経営企画の仕事以外に、人事、総務、広報、法務、情シス(社内のシステム)などを担当することになりました。というより、会社の実態を見て必要だと思ってやり始めたらこうなりました。広報以外の業務はどれもほぼ初めてでしたが、教えてくれる人は1人もおらず、その状況を会社が思慮してくれることもありませんでした。ただ、会社をなんとかするには管理部門のテコ入れは避けられず、やるしかないと思って進めました。

具体的に実施したことや業務内容はこんな感じです。粒度とかバラバラですが‥

▼経営企画
・PL表の作成・管理、経営計画の提案
・経営会議の定例化と実施
▼人事
・採用計画の提案と採用活動
・人員配置
・入職者と退職者手続き、オリエンテーションの実施
▼広報
・オウンドメディア更新、会社概要資料、採用資料等の新規作成
▼法務
・契約書確認、作成、折衝
▼情シス(社内システム)
・VPN環境構築
・クラウドストレージからNASへのリプレース
・貸与機材管理
▼営業
・クライアント営業、折衝
▼マネジメント
・社長以外の全スタッフとの1on1実施

▼ツール導入や制度関連
・GoogleWorkSpaceの契約
・就業規則(蘇生)と賃金規定の改訂
・勤務形態の見直し
・人事評価制度の作成・導入
・組織構造化とポジションの明確化、管理職の新設
・給与計算の仕組みの変更(残業代支払い)、給与計算ツールの導入
・勤怠管理ツールのリプレース、労務管理ツールの導入

ここに挙げたものは、逆を言えばできていなかったものばかりです。例えばPL/BSはそもそも存在していませんでした。もともとシンプル会計だったこともあり売上管理が適当でした。就業規則も、何かのコピーがとりあえずあるだけで実態とそぐわず、社長は全く内容把握をしていませんでした。給与は残業時間に関わらず毎月固定、つまり残業代が支払われておらず、勤怠管理ツールは管理すべき者達が管理せず形骸化、というか設定もめちゃくちゃだから残業が正しく記録できていない、給与計算ツールなし、パフォーマンスに関わらず同じボーナス、昇給幅は社長の思いつき、オンライン会議は無料ツールで1時間経ったらURLをお引越し、会社の重要事項を議論する定例の時間もなし、コミュニケーションツールはメールと私用のLINE(これが地獄中の地獄だった)。みな好き勝手にリモートワークをするので誰がいつ始業・終業したかも不明で音信不通も頻発。ちなみにもちろん社長はほぼオフィスにもいないのでコミュニケーションもとれずゴルフ三昧。たまにかかってくる短い電話で指示される業務内容は植木の水やり。地獄です。というかここに書けないくらい壊滅的状況なことが多々ありました。地獄地獄。

施策の進め方

こんな状況なので、とにかくやることはたくさんありました。重要度と緊急度が高いものから着手しようとしたものの、絶望的に何も整っていないので何度も挫折しかけました。

そんな中でも最初に取り組んだのは社員アンケートの実施です。実は入社前にはアンケートを作成していましたが、会社から期待されている役割や仕事へのモチベーション、給与や評価への納得感、社内の人間関係、会社の強みと問題と感じるところなどアンケート形式でいろいろと聞きました。想像していたよりずっと率直に書いてもらえてありがたかったです。当然のように惨憺たる結果でしたが。その後1on1で詳しく話を聞いていきました。私が進めた具体施策はこのアンケートが出発点でした。

社内アンケート
社内アンケート

その後売上(利益)とのバランスを見ながら計画を立て、社内に説明してから進めることにしました。もちろん社長の承認を得てから社内説明です。
書くのも躊躇うような危機的状況もあったのでGoogleWorkSpaceの契約など計画を立てる前に超特急で進めたものもあります。

社内に共有した計画(方針資料)

計画を社内に共有してからは、制度変更やそれに伴うツール導入などを進めていきました。テーマを挙げるところから比較検討、検証、承認、実施まで全てひとりで行いました。初めてのことばかりで本当に大変で、とにかく必死でした。休日も検証し続けたり「妊婦は運動が必要」と呪文のように唱えて図書館に通い本を読み漁ったりしました。

問題点と解決策

とにもかくにも問題だらけの会社ですが、その幹ともいえる大きな問題がありました。

若社長に代替わりした期間のことです。その間、会社は大きく変わっていました。新規事業をスタートし社員数は増え、コロナを背景に働き方も大きく変わりました。また、売上管理もせず人件費を一気に上げてしまっていました。今の社長は当時相談役であったにも関わらず若社長との不仲を理由に経営を任せきりになっていて、経営が悪化した状態で社長に戻りました。戻った時には会社の勝手がまるで分からなくなってしまったのです。それでいて高くなった人件費を下げられないのでパニックになり、自身の人脈で次々と仕事を引き受けてしまいました。こうして社員の業務負荷が一気に高くなりモチベーションは下がり離職に繋がる、という分かりやすい負の連鎖に陥りました。

会社としてはPLが史上最悪になるまで無理して給与を上げたのに従業員には納得感がなく、どれだけ働いても残業代はなく賞与も一律であることから、モチベーション低下を招き一部社員がサボる。一方で業務に追われる人はサボる人を恨みながら必死に働き人間関係が悪化する。チームワークがうまく機能せず業務クオリティが低下しクライアントの満足度に影響が出る・・・地獄地獄地獄。

こんな状況をなんとかするために、
・コミュニケーションツール導入
・人事評価制度導入
・組織構造化
・就業規則の改訂
このあたりを一気に進めることにしました。
まずはコミュニケーションの総量をとにかく増やすことに注力しました。その上でモチベーションが上がっていくように評価制度を取り入れ、評価次第で給与を上にも下にも変えられるようにしました。また、評価制度を機能させるためには管理職の存在が不可欠と考え、組織構造化してマネージャーのポジションを作りました。マネージャーは、私が1on1を実施する中でそれぞれの意向を聞き、また適性も鑑みて選んだ後に社長の承認を得てオファーしました。マネージャーになって欲しいと伝えた2人は会社の状況をよく分かった上で「頑張ります」と快く引き受けてくれて、とても嬉しかったです。偉そうだけど、私も同じマネージャーなんだけどね。

で、これらを進める間にも離職者が出ると思い採用も並行して進めたかったのですが、応募が集まらないでは意味がないので、まともな求人票が書ける状態を作るために就業規則の改訂等を急ぎ進めました。状態を作ればあとは動くかと思いきや、会社(担当者)には求人票を書く力や採用選考のステップさえ整える力がなく、結局全て自分で整えました。

という具合で、何はともあれひと通り実施し、他の会社の標準に少しは近づけたと思います。少なくとも、残業代を払う仕組みを整えたり働き方を整えたことで、少しはやりがい搾取文化に対抗して社員を守る動きができたと思います。といっても、PLが悪化すると会社が立ち行かなくなるので、何度もシミュレーションをして費用のインパクトがあまりでない形にしました。なので会社として残業代の支払いが一気に発生するわけではないです。でも、まずはそれで社長に納得してもらい仕組みを整えることができたので、小さくても大きな一歩になったと思います。
それから、諸々の変更内容を反映して進めた採用活動もうまくいき、求人への応募数も一気に増えました。リモートワークの環境整備も進み、コンプラ的にまずすぎた状況は脱しました。
何人かのスタッフから「会社が変われる最後のチャンスかもしれない」「(私が)いなかったら何もかもやばかった」など感謝の言葉をもらいました。本当にこういうことに救われました。

黒字転換

売上(利益)の面でもなんとかなり、倒産寸前だった会社は持ち直しました。実はPL管理をし始めてわりとすぐに黒字になると分かったんです。社長に説明しても分かっていなかったけど。それまで売上管理をせず、前の期の決算で初めて経営がピンチであることが発覚し、社長と当時の若社長がパニックで先々まで仕事を入れまくったからです。なので、私はたくさん受けてしまった仕事をどう少ないリソースでこなしていくかに注力しました。一度PRチームを組んだ仕事でも、状況や現場からの意見をもとにリソースをつけ直すようにもしました。クライアントから業務クオリティ面での指摘(というかクレーム)が入ったこともあり、このコミュニケーションは結構時間をかけました。これも結構大変だったな‥。

また無駄コストに関してはPLを可視化していく中で細かく進めていきました。ツールのリプレースや導入はまさに費用面を優先して決定していきました。時間があればもっと細かくやりたかったところです。ちなみにコストの中には真っ黒なものやブラックボックス化している部分もありましたが、社長から「役員でもねえくせにでしゃばるな。費用はファジーでいい」と言われたので諦めた部分もあります。

振り返りと今後

慣れ親しんだ業界に戻り、やりがいにまみれ目標に向かって仕事に夢中になるつもりで転職しましたが、振り返ると様変わりした会社にがっかりし、経営者一族にストレスを抱えた9か月となり、残念ながらいい転職にはなりませんでした。私自身親になり、これからは自分だけでなく子供のためにも働くことになるので、今の状態で仕事をしても子供にいい姿は見せられないだろうと考え、再び転職することにしました。もう転職はしないつもりでPR会社に戻ったので腰が重すぎるんだけども。しかも0歳児のママ。不安すぎる。でも、やるしかない。
どの会社にいってもストレスはあると思いますが、本当に壮絶で精神的に苦しかったです。会社に対して無理強いしたことはないし全て社長がやった方がいいよな、と言ってくれたことを進めてきたので、「ここまでボロクソに言われてまでコンプラ的にアウトだらけの会社の経営をサポートする必要があるのだろうか」と思ってしまいました。

というか産休育休を取得してからもかなりしんどかったので最後に恨み節。会社で産休育休を取得するのが私が初めてだったので、必死に手続きについて調べて資料にまとめ、休暇に入る前に社長と社長の娘に対してプレゼンして手続きをお願いしていました。でも、休暇に入ってから何度「産休育休手続きはどうなっていますか?」と催促しても「確認します」しか返信がなく、2か月以上経ってとうとうストレスで頭がおかしくなりそうになりながら連絡したら、まるきり放置していたことが発覚しました。任せた社労士(外部の方)が放置したので社労士が悪い、という言い分を聞き、その回答にも血管が切れそうだったので、そのまま伝えたら社長から「それはパワハラだ、気分が悪い」と叱責されました。生活費の手続きを放置されて辛いのにその上パワハラ扱いか・・・。今までにも、ミスで給与から無駄に保険料を引かれたり、住民税の手続きでミスされて督促状が家に来たり、それ以外にも書けないくらい大変なことがたくさんあって散々な目に遭ってきたので、こりごりです。こういうことがあっても、お詫びがちゃんとしていたりアフターフォローがどうにかなっていたりすればここまで嫌な気持ちになることはなかったけど、まともにお詫びなんてされたこともないし、それどころかいつも私が悪いことにされる。だから休暇に入ってからは、会社(というか社長と社長の娘)とやりとりするのが嫌すぎて夫に頼み込んで対応をしてもらうことにしました。で、夫も驚いていました。そりゃそうだ。もうこりごりのこりごりのこりごりです。再入社の前に、たくさんの人から「その会社に行くのはやめておけ」と言われたのに突っ切ったこと、しっかり後悔しています。こりごりごり。

でも!とにかく学びが多かったです。
一年前には給与計算の仕方も、休暇の種類やルールも、ましてVPNの構造なんて全く知らなかったです。今の時点では今後のキャリアをどうするかはまだ全くわからないのですが、学びを得たことは無駄じゃなかったなと思います。でも、もっと学びたかったな。

ちなみに、社長は私が産休に入る前には「産んだらすぐにでも戻ってきて欲しい」と言っていました。自分の実感としてもですが、会社には貢献できたと思います。

支離滅裂かもしれないが8000字超え。もう編集する気にならないのでこれで終わります。仕事、大好き。

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