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空虚な中堅会社員にならない為に(『タクシーに乗った吸血鬼』村上春樹 読書感想文)

「ねえお客さん」と突然運転手が言った。(中略)
「吸血鬼って本当にいると思います?」

村上春樹「タクシーに乗った吸血鬼」, 『カンガルー日和』, 講談社文庫, Kindle版 p.30

会社員という存在は、社が掲げている信念(企業理念)を大前提として、その会社に貢献するために行動している。

そして徐々に「私は会社にとっての駒でしかありません」と考える社員が増える。その方が楽だからだ。自然の摂理である。

その結果生まれた、個人の信念を持たない空虚な中堅会社員をよく見かける。ある程度の勤続年数を重ねたがゆえにそれなりのポジションを与えられてしまった彼らは一応、(上司からの命令に従って)自分が管掌する組織の目標を作文することはできるが、それを部下に浸透させようとはしない。他でもない彼ら自身が、信念を必要としていないためである。

そんな空虚な中堅会社員たちに「あなたの部署をどのように成長させていきたいですか?」などと直接的な質問を問いかけても、まず明解な答えは返ってこないだろう。

「わからないじゃこまるんですよ。信じるか信じないか、どちらかにして下さいよ」

村上春樹「タクシーに乗った吸血鬼」, 『カンガルー日和』, 講談社文庫, Kindle版 p.30

彼らは仕事に関する質問をされた際、その回答が現実に・・・存在するか・しないかからしか答えを導こうとしない。「私はこう信じている」などといった無根拠な発想が求められているなんて、想像もしていない。

信念を失った彼らは事実の中に生きている。だから当たり前のことしか言わないし、不確実だと思う事柄を断言することは決してしない。

「幽霊はいるような気がするな」
「気がするじゃなくて、イエスかノーで答えてくれませんか」

村上春樹「タクシーに乗った吸血鬼」, 『カンガルー日和』, 講談社文庫, Kindle版 p.30

人が組織を管掌するのに最低限必要なものは、その人が心の底から信じている信念である。

ただし信念の中身はさして重要ではない。「自分がされて嫌なことを他人にしてはいけません」「人に善い行いをすると巡り巡って自分にかえってきますよ」のような、小学校の先生から習うレベルの一般論で十分である。

一般論である以上、それがすべての場合において正しくなくてもよい。自分が過去にした善い行いは本当にすべて自分にかえってきているだろうか?などと深く考える必要はない。

重要なのは本人がその一般論を「当たり前のことだ・当たり前にそうすべきだ」と信じていることである。

「(中略)信念というのはもっと崇高なもんです。山があると思えば山がある、山がないと思えば山はない」
なんだかドノヴァンの古い唄みたいだ。

村上春樹「タクシーに乗った吸血鬼」, 『カンガルー日和』, 講談社文庫, Kindle版 p.31-32

信念を持とう。それがいかにありふれた当たり前の一般論であっても、あると無いとでは大きく異なる。信念を持たない会社員は空虚で寂しい。

怖がることはない。ただの素朴な一般論だ。もしもそれを覆す事柄が起きて、自分が掲げる信念を信じられなくなってしまっても、また別の一般論に乗り換えてしまえばいい。そして来期の目標に反映させればいい。

一般論なんて結局はそういうものだ。

村上春樹「タクシーに乗った吸血鬼」, 『カンガルー日和』, 講談社文庫, Kindle版 p.29


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