自己満足よりも、「伝わる」文章を。
これは愚痴ではないので軽い気持ちで聞いてほしいんですが、最近、「おぉ、我ながら今回の記事は中々うまく書けたんじゃないか!?」と思った時ほど、あまりスキやコメントがもらえなくて、「あれぇっ?」ってなることが多いなと感じています(笑)
もちろん帰ってくる反応の多さが全てではないですが、やっぱり人間って、自然と期待してしまうものじゃないですか。
「この間のテスト、割と自信あるかも。90点くらい取れるかな」とか、「あの人最近私のことチラチラ見てるけど、もしかして脈あり?」とか…
ちょっとした自信を手に入れると、そこから勝手に自分にとって都合のいい結果を期待して、一人でワクワクしてしまうことってありますよね。(ないですか?)
そしてそういった期待というのは、大概その通りにはなってくれないものです。
私自身、何度「あれ、想像してたのと違った…」と思ったか知れません。(笑)
その理由をちょっと考えてみたんですが、もしかすると殊noteにおいては、自分でうまく書けたと思うような記事は、往々にして少し読みにくいものになっている傾向があるのかもしれません。
私だけかもしれませんが、じっくりと推敲に推敲を重ねて作り上げた文章って、その中に個人的なこだわりだとか伝えたいメッセージがふんだんに詰まってはいるんですが、その分やや分かりにくいといいますか、なんだか読むのが億劫になるような言葉の羅列になっていることが多いんですよね。
なので後で読み返した時には、
「なにこれ読みにく。趣旨が分かりにくいし、だらだらと長い文章が続くし…こんなん読む気失せるわ、もっと分かりやすくまとめんかい」
と自分でヤジを飛ばしたくなることが正直多いです。
まぁ、それが嫌なのでめったに読み返さないんですけどね汗
なのでまぁ、書いた本人にとっては自信作でも、読む側からすると、一文一文がヘビーで、全部読むのがしんどく感じられることがあるのかもしれません。
確かに、一文が短くて分かりやすい記事の方が、全部読もうっていう気になりますもんね…。
あとはそうだな、「書いた人の声が強すぎる」というのも一つにはあるのかな。
まるで書いた人がその人自身に滔々と話しかけているようなナルシスティックな文章には、読む側はちょっと辟易してしまうのかも。(やばい、思い当たる節がある)
やはり書いているとどうしても「かっこいい文章にしたい」というエゴが働いてしまいますものね。
でも、読み手に疎外感を与えてしまったら本末転倒ではないでしょうか。
自分の感じる満足感も大事ですが、せっかく他の人に読んでいただけるフィールドに出しているのだから、「読んでくれた人に伝わる」ものを書くというのを私は一番に意識していきたいですね。
実際、本当に説明上手で文章力のある人は、おそらく難しいテーマでも読む人皆に伝わるように書くことができるんだと思います。
非の打ち所のない文章なんて存在しないのかもしれませんが、やはり上手い人は上手い。私も早く、それに近いレベルにまで達したいなぁ。
自分だけが分かっていても、人に伝わらないようじゃまだまだ。
読んでくれた人が気持ちよくキャッチできるナイスパスを投げられるよう、これからも精進してまいります。
あなたも自身の理想に向かって頑張ってくださいね✨📣
読んでくださりありがとうございました。