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「いつも優しくて親切」でなくても、私たちは悪人じゃない。

こんばんは。

ちょっと極端な例ですけど、同一人物でもその時の気分によって、「全人類が幸せになりますように💕」と思ったり、「今すぐ地球に隕石が当たればいいのに✴️」と思ったりすることがあるんじゃないでしょうか。


私も、そこまで気分屋ではないですが、全世界を抱き締めんばかりに優しい気持ちが溢れ出す時と、地面に唾を吐き棄てたい時と、その両方が大体同じくらいの頻度で訪れます。


一見すると不思議ですが、人生では良いことも悪いこともバランスよく起こる、ということなんでしょうね。


暗くて攻撃的な気持ちがブワッと吹き出した後には、つい「こんな自分ってかなり器の小さい人間なんじゃないだろうか」と幻滅しそうになりますが、人間はきっと誰しもがその内にを持っているもの。


いつも優しく朗らかで、常に人の幸せを願い笑顔を絶やさない。
それができなければ獣だというわけでは、決してないと思うんですよね。


むしろ悲しみや憎しみのような負の感情は、人間らしさや、ひょっとすると親しみやすさにもつながるんじゃないかなと思います。


私は今まで一度も出会ったことがないから分からんですが、常に清廉潔白で、心の底から正義感や隣人愛に溢れた非の打ち所のない善人って、なんだかかえって不気味じゃないですか?


優しさと残酷さ、ハッピーとアンハッピー。
その時々によってそれぞれ違った感情が溢れてくるからこそ、私たちは目の前にある沢山の物事を認識できているんじゃないかな、と私は思います。

全部一様に優しい気持ちで物事を見つめていたとしたら、好き嫌いや、自分にとっての特別な存在がなくなってしまうような気がします。


それに、負の感情の持つエネルギーは凄まじいものなので、それを上手く使えばきっと多くの人の心をグッと掴むようなものを生み出すことができますしね。



二重人格モノとして有名な小説『ジキルとハイド』(ロバート・L・スティーブンソン、新潮文庫)に、こんな文章があります。

「抑制が利かず、汚辱にまみれる私も、白日のもと、知識の蓄積や、人の悲しみや苦悩の救済に勤しむ私も、どちらも同じ私だった。」(113頁)
「人間というものは最終的に、それぞれ異なる多種多様な独立した住人たちの住む純然たる集合体として理解されるようになるだろう。」(114頁)


この部分を読んで、まさにそのとおりだと思いました。

他人に対しては、「あの人はこういう人だ」、「あの人はあんな性格だ」と決めつけてしまうことが往々にしてありますが、自分自身のことを考えてみてください。


あなたの体は一つですが、これまでに抱いてきた感情は一つではないはずです。

その場で取った行動も、叫びたくなった言葉も、その時々で違うはず。


それらは全部自分なんだと知り、そのことに納得することが、人生を楽しむ秘訣の一つだと私は思います。


ジキル氏は自分の中にある「善と悪」という二面性を引き剥がそうとした結果破滅してしまいましたが、そもそもそんなことをしようとしたのがきっと間違いだったんですね。


色んな感情がごちゃまぜになって辛い思いをすることも確かにあります。

でも、色んな表情を見せる自分を愛しながら、人生を生きていきたいです。
そうすれば、新しいことに挑戦するのもきっと楽しいですよ。


それから先、自分はどんな場面で、どんな気持ちを起こすのか。

それを楽しみにしながら毎日を過ごせば、まだ見ぬ未来への不安だとか、自分のアイデンティティを手に入れたいという焦りなどから、少しは解放されるんじゃないでしょうか。

細胞は日々入れ替わっていますが、あなた自身の全体像はきっとこれまでの、そしてこれからも続いていく蓄積そのものです。

自分の持つ色んな面を、気が向いたらその場面ごとに見回してみてくださいね。


読んでくださり、ありがとうございました✨

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