僕は、不要不急な接触に生かされていた。

基本的にモテない人生な気がする。
それでもお付き合いをする人も何人かはいたし、今もいる。
ただ、はじめて彼女ができたのは、大学に入ってから。
大人の階段を上ったのも、20歳のとき。
恋愛周りにおいては、中々思うようにいかないことも多かった。

特に失恋は何回しても慣れない。ダメそうなときは事前に心の予防線を張り、「大丈夫。前も落ち込んだけど立ち直った」と自分に言い聞かせる。
でも、いざその瞬間が訪れると眩暈がするような気持ち悪さに襲われる。

どうしていいかわからなくなり、取り合えずどうでもいい誰かに助けを求める。だから、よく高円寺駅の裏路地にある性風俗の店に足を運んだ。
その瞬間は得体のしれない気持ち悪さからは解放された気がした。


僕は大学時代、部活に加入していた。
これがかなり時代錯誤な組織で、入部した人の大半はすぐにやめてしまうような独自のルールがあった。あげればキリがないが、例えば第一人称は「自分」と呼ばなければいけない。公式行事は学ランで出席。高校のときはブレザーが制服だったから、大学生に入ってから学ランを着ることになるなんて思ってもみなかった。

古臭く、およそ学生がことごとく嫌がりそうな要素ばかりで構成された組織。「俺たちもわからない、でも昔からそうだから」と先輩から教えられる、形骸化されたルールの中で4年間を過ごしてきた。そんな組織だったもんだから、一緒に入部した同期とは本当に仲良くなった。学生時代の大半は彼らと過ごした。部活もプライベートも。それは卒業したあとも同じだった。

その同期の中にいたAくん。彼は浪人していて僕よりも年齢は一つ上。無精ひげを生やし、目つきは悪い強面だが、背はそこまで高くなく、どこか可愛げのある印象だった。
類は友を呼ぶなのか、彼も僕と同様大学時代にはまだ誰ともお付き合いをしたことがなかった。そんな彼がアルバイト先で知り合った女性と付き合うことになった。
その女性は彼よりも2.3年下で、聡明な人だった。会う機会は一度だけだったが、僕もそう思ったし何よりAくんが彼女を語る様子がそう感じさせた。

Aくんは大学卒業後、就職で地元に帰ったが、よく東京には遊びに来ていた。その彼女はまだ学生で東京にいたため、彼女と会うためだけに東京に来るなんてこともしばしばだった。

僕はどうもだらしない性格で、学生時代から社会人として働く今まで、お付き合いする人を転々としていたため、一人の女性に真摯に向き合える彼を尊敬していた。
卒業後、同期同士で集まるときにも、
「A、 お前が一番早く結婚しそうだよなー」
「まだわかんないけど、向こうの親にももう会ってるよ。お前も変な遊びしてないでしっかりしろよ」
なんて会話がよく繰り広げられた。

そんなAくんが、1年くらい前に亡くなった。
知ったのは、亡くなってから3カ月くらい経ったあとだった。

亡くなる数カ月前から彼のSNSが全て消えた。
心配になり、コンタクトを取った時にはまだ声に元気があったように思う。
が、その後は電話も出ることはなくなり、気が付いたときには別世界の人になってしまっていた。亡くなる前の予兆の大きさが、一層悲しみを大きくさせた。

実は、亡くなる1年前くらいに彼女との交際が終了していた。その話は本人から直接聞いていた。彼女が社会人となり、会社の人に好意をもってしまったためだ。彼にとってはじめての大きな失恋だったに違いない。
だから僕は、「遊べばいいじゃん!いいとこあるよ!」と冗談交じりで言っていたし、彼も笑いながら「そうしよっかなー」なんて話していた。実際にそういうことを試みたようだが、どうも彼の性格上、心の穴を埋めることはできなかったようだ。

後で知ったことだったが、彼は滞納していた部活のOB組織への会費を亡くなる直前にすべて完済していた。そんなもの卒業生のほとんどは払っていない。元気なころの彼がそうだったように。返済という行動が、もうお金を使う必要がなくなるという意思の表れかと思うと、涙が止まらなかった。

相も変わらずふらふらしていた僕は、流行に乗っかりマッチングアプリをすこしかじってみた。そこで、手首に複数の傷を持っている人にも何人かあった。口をそろえて「人に迷惑をかけたくないから、自分が傷づく方がいい」と言う。

ひょっとすると、彼もそうだったのか。かっこ悪くても触れ合いを求めることより、自分が我慢することを選んだのか。
僕は失恋の傷を、素性も知らない女性で満たしていた。そうしなければ、自分の精神を保つことができなかった。それ自体あまり大きな声で言えるようなかっこいい行為ではないと僕自身思う。

解熱剤のような、いわば応急処置なのだ。本当に熱を下げるときは熱をしっかり発散するように安静にしているのが一番。解熱剤は熱を下げてしまうため、治し方の理にはかなっていないが、それでも服用するのは抱えている病の大きさに耐えられないからだろう。周囲から冷めた目で見られるかもしれないが、僕は間違いなく不要な接触を繰り返すことで今を生きられている。

今、不要不急な外出が自粛するよう政府から通達されている。
それは勿論順守すべきことである。
でもまたいつか、高円寺の裏路地に足を運ぶ日が来るのであろう。

この記事は GO FIGHT CLUB の課題として書いたものです
#GFC0409

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