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『電子書籍2020 本の在り方は変化する(ICE新書)』第1章まで無料全文公開!

2021年3月30日に発売された書籍『電子書籍2020 本の在り方は変化する』(著:萩野正昭)の第1章までを無料全文公開いたします!

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挿画 ヘロシナキャメラ

はじめに どこまでも書いていきたい

 すべて何かをはじめていくには、手引きや解説書が必要です。手をとって教えてくれる指導者など、目まぐるしく変化していく技術中心の世の中ではなかなかいません。いるとすれば、お値段はかなりのものでしょう。そんな指導者は引っ張りだこなのです。だから書かれたものを頼りに、読み取り、自分で掴み取っていく覚悟がどうしてもいるのです。

 あなたが今、ここで体得するテクノロジーは、出版という、ずっと一緒にいままで在り続けた本に関わるものです。そしてデジタル・テクノロジーの中で、本を育てていくための特別な工夫、経験、考え方と深い関わりをもつことになります。本書は、使い方、扱い方のマニュアルではありません。デジタルの上に成り立つ、あなたが注目する本とは、なぜ、いつ、誰が使うのか、を語り伝えるものです。

 本を紙の上に考えるのではありません。毎日の生活に当たり前のように入ってきているスマホやタブレットの上に在るものと考えます。作るにはどうしたらいいのか。スマホやタブレットの上に本をデザインするとき私たちが目指さねばならないことは何だろうか。紙とデジタルとで本の違いはどこにあるのだろうか。なぜこれを知っておく必要があるのか。そして、いつあなたはこれをやるのか。あなたはやるべき人であるのか、ないのか。29年の経験の中から、一つ一つを語ります。いや、今、ここでどうしても伝えておきたいのです。

 気づかされたのは次のようなことです。

 この世にはさまざまなメディアが存在し、極めて強力に情報を流し続けています。そんな中にあって自分から何かを発信しようとしている人々がいるということ。それはすべての人々の願いとして胸の内にそなわっており、デジタル文化の柱となろうとしています。プロの放送局が制作するものはもちろん健在ですが、第三者によって記述されたり撮影されたりする対象者となることより、本人自身が発言し、本人自身が撮り、本人自身が書くことを、そうできるようになることを、多くの人が本当は願っています。こうした人々を受け入れるネット上の発信システムやツールは賑やかになる一方です。背景にコンピューターの普及があり、ネットワークの生活への定着があり、人々の「想い」との間に深い関係があることです。

 緻密な管理と合理化を受け持ってきたコンピューターが、創造的な思考を助ける自由なメディアとなって私たちの前にあり、ずっと長いあいだ手に握ることのできなかった流通のパワーが、ネットワークとして私たちに与えられる状況になりました。この世界のもつパワーは多岐にわたり、表現の可能性もかなりの深さと広がりがあります。従ってソフトウェアを開発する者にとってはそのソフトウェアがどれほど高い技術的、表現的レベルを具現化するものかを提示しようと競い合い、攻撃しあい、いつの間にか人々の連携を分断し抑圧する姿に変わっていきました。

 誰かがやってくれるパワーを強調したり、依存したりする以上に大切なことは、自分のパワーです。自分の言葉で記録し、自分の力で発信することの意味であり、人が創造に参加することによって育まれる明日の世界の重要さです。

 デジタル・テクノロジーによって特殊で図抜けた世界が開かれたとしても、それが限られた人の手に握られる排他的なパワーであるならば、デジタルもネットワークもまた人に敵対し、奪い、苦しめるものにならざるをえないことでしょう。

 人のもつパワーを取り戻すことに主眼をおくべきです。私たちはデジタルの、そしてネットワークのもつ可能性をよりひろく人々のパワーとしていくために、そして人が困難な中にあってもなお創造し、記録することの情熱を絶やさないように、一番身近にあって使い続けられてきた言葉=テキストを重要に考えて、向かい合ってきたのです。

 本書は、あなたの創ろうとする気持ちを支援するために書かれました。創るための基本的な問題を解決し、困難を乗り越える助けになるはずです。そして何よりもっとも大きかったあなたの経済的負担を軽くするはずです。あなたは収益とか採算という費用対効果の見返りを気にせず、伝えたい一冊の本を自分の力で創っていく作者になることができるのです。

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第1章 電子書籍とは何だったか?

 本とは文字がページに並べられ束ねられたものです。必要に応じて写真やグラフや表が入ります。写真集とか絵本とか、いろいろな形が試みられていますが、本は、基本平面の世界に情報が静かにおさまったものです。本には表紙とか文字の配列、文字の大きさや文字スタイルの選択というデザインがなされます。なにも声を発したり一切しません。存在そのものだけ。人は本の表紙をみます。手にとります。厚みや重さを感じます。ページを開き紙の感触や文字が目に訴える感覚をたしかめます。まだあるかもしれませんが、もういいでしょう。

 本が電子になったらどうなるでしょうか? 音楽だって、映像だって取り込むことができます。必要に応じて本文と関係づけて音がでたり、絵が動いたりできるのです。ただ、表示するのはコンピューターの画面です。誰が最初に本をコンピューターに入れ込もうと考えたのか正確なことはわかりませんが、1980年代はじめにアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で盛んに実験が行われていました。

┗みんなが知る電子書籍

 一例です。「Movie Manual」といいます。動く取扱説明書とでもいうものでしょう。エンジンのオイル交換のやり方を、本の上に映像を引きだし、解説できるようにしたのです。本であれば配列された文字は動くことはありませんが、「Movie Manual」では、表示される映像によって、文字の配列もパッと変わって、わかりやすい表示になりました。もしあなたがスマホで、あるいはパソコンで読まれているならば、「Movie Manual」をクリックしてみてください。

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*MIT(マサチューセッツ工科大)のグループが当時1980年代はじめ、新しいメディア展望をデモして見せていた。その一つ。

 便利なもの――ずばり、この言い方は誰もが納得する電子書籍への理解です。ある大学で若者に対して電子書籍を使っていますか? と質問すると、ほとんどハイと応えが返ってきます。便利だからという理由です。しかし多くの若者は電子書籍は便利だから使うけれど、本当は本が好きといいます。本を愛しているというのです。

 なぜ、便利な電子書籍は愛してもらえないのでしょうか?

 ご覧になった「Movie Manual」を振り返ってみましょう。このデモは1980年代はじめのものであることを頭においてください。デモの画面はテレビモニターです。こんな大画面を前にして本の話をするような時代でした。すでにかなりの時間が経過しました。スマホやタブレットという本に限りなく近づいた大きさで、今ならデモだってするはずです。すでにかなりの時間などと軽く言ってしまいましたが、わずか40年ばかりと言うこともできます。コンピューターの世界は目まぐるしく変化・進化しました。本はその間、何が変化したでしょうか。どこが進化したでしょうか。印刷の品質が上がった、価格が下がった……あるかもしれません。本の形は、そして中味は、でも何一つ変わっていません。

┗愛されない〝便利な代替品〟

 ここには、電子書籍の本質を解く重要な鍵があります。

 40年を生きてきた人ならありありとわかるはずです。変化したのはコンピューターです。広くコンピューターが進化して環境が変化したのです。コンピューターの上に乗っかって成り立つ本は、この変化にまともに影響を受けました。動かなくなってしまったのです。失われてしまったのです。コンピューターにとっては、自分の背中に乗っかる〝本〟など、コンピューターにとっての販促物以外の何ものでもないです。そのコンピューター自身が古くなり、用無しになっていく以上、上に乗っかる販促物でしかない〝本〟など、どうなろうとお構いなしだったわけです。自分の役割が終わるその時に、自分に乗っかるものがもろともに消え去ってどこがいけないのか。そう真顔で言われて歯向かう作者も、出版者もいませんでした。咄嗟に答えられることではなかったかもしれません。

 一方で、よく考えれば、それはそのはずです。歯向かう必要など最初からなかった、消え去ってもいい代替品をコンピューターに乗っけていただけだったからです。作者も、出版者も、十分わかっていたのです。連載や書き下ろしが雑誌に載り、単行本として出版され、廉価の文庫本となり、最後にそれが電子書籍になって、コンピューターとともに消えたとして、大した問題ではありませんでした。

 若者が電子書籍の〝便利〟を評価しても〝愛する〟ことはなかったのはもっともなことだったとわかります。〝便利な代替品〟だったのですから。

 ここで「Movie Manual」にまた戻って欲しいです。あれはでも、代替品ではありません。コンピューターが生まれて、そこに本が載るようになったらどんなことができるのかを実験したものです。もし実験でOKということになり「Movie Manual」が電子書籍化されて、コンピューターを通して利用されていたとしたら。この間のコンピューターの進化とともに、動いているコンピューターが消え去り、「Movie Manual」も失われてしまったはずです。作者は、出版者はどうなるでしょう。コンピューターに合わせて中味をつくりかえる仕事を延々繰り返さなければならないか、もう諦めるかのどちらかでしょう。歯向かうかどうかは別として「早く言ってよ」ぐらいは叫んだんじゃないでしょうか。でもこの叫び声は広くは響いていきませんでした。

┗出版市場で〝電子書籍〟は25%を占める

 2020年の日本の出版統計が発表されています。年間の総計で1兆6168億円。この中に占める電子といわれる、電子雑誌、電子書籍、電子マンガは3911億円、割合で25%になろうとするところです。しかしこの数字は、「Movie Manual」のような電子を目指した本のことではなく、文庫本の後に電子化が図られた、本の〝代替品〟であったことは間違いありません。マンガの数字は大きなものとなり、日本の出版全体の売上減少傾向を突き上げ、2020年は前年比プラスを実現させました。電子あればこその話であったと思います。印刷したり、全国に配送したり、手間ひまモノを動かす大変さと比べれば、夜中でも遠くでも、引っ張りだこの大ヒット作が寝転がってスマホに入ってくる嬉しさ、便利さは、こうして統計の数字に反映されることになったわけです。

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*出版科学研究所が示した2020年の出版統計から。売上下降の紙に電子がプラスして全体を押し上げている状況がわかる。

 いよいよ25%に達するだろう電子の割合、マンガの力、作品を多面展開する重要なマーケットとして、デジタルが存在感として無視できない状況になってきました。素晴らしいことです。これを〝電子書籍〟と言い切って、私は次の話に移っていきたいです。

 同じ電子でも「Movie Manual」に象徴される、電子発=ボーンデジタルの作品をどう考えていったらいいのか。ここからスタートを切ろうとしているってどんな人なのか。ライトノベルの世界ではもはやボーンデジタルは確立したジャンルを形作っていると言われます。何かをトライする場がそこにあったということでしょう。トライはわかったとして、トライの次に、書いたものが消えたり、失われたりしていいのでしょうか。

〝電子書籍〟から遠く離れてみたいのです。ボーンデジタルのことを、コンピューターの中に生きていくこれからの出版について語っていきたいと思います。

┗テキストを活かして新しい本を作る

「Text: THE NEXT FRONTIER」というスローガンがあります。私のパートナーとしてずっと一緒に出版を考えてきたボブ・スタイン(Bob Stein)がいった言葉です。「テキストこそが次の最前線だ」訳せばこうなります。

 コンピューターで今まで考えられなかった出版を可能にすると舞い上がったのですが、例によって例のごとく、コンピューターの進化に合わせて自分のつくったものを失う結果となり、残そうとすれば延々と修繕していかねばならない状態に、すぐに顎を出し始めたのです。新式・強力なコンピューターはお値段がグーンと張りました。ついていけないわけです。そこで、コンピューターのパワーにあまり依存しない、静かな文字=テキストをうまく使おうじゃないかと視点をずらしていったのです。既に出版社がやっていた、出版した本を〝電子書籍〟にしていくという考え方ではなく、テキストをもっと活かして新しい本を作ろうとしたのです。もっともらしく聞こえますが、見栄えは地味でした。CGがゲームに、アニメに、特撮のSF映画にどんどん取り入れられた時代のことです。仲間内では、なんだテキストなんて能がないと言われっぱなしでした。

 2020年11月にフロード・ハーグランド(Frode Hegland)というイギリス人が中心となって『THE FUTURE OF TEXT』という本が出版されました。この本の中で60人以上の執筆者が自分の考えを語っています。

 出版を記念して講演会がありました。執筆者の一人でもあったボブ・スタインは、ここで話をしています。3分で話せと言われ、おいおい、自分がやってきた40年の活動を3分でかよ……と、思いながら「Text: THE NEXT FRONTIER」とスピーチしています。スマホで、あるいはパソコンで読まれているならば、「Text: the next frontier」をクリックしてみてください。

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*ボイジャーを率いたBob Stein。最初は腹いせにテキストだと叫んでいたが、徐々に人はこの言葉の重みに気付いていった。

「Movie Manual」の話も真っ先に出てきます。引き続いて2つの作品が紹介されています。彼がテキストを意識しながら、それでもコンピューターの中に生きる新しい本を考えようとした実例を語ります。音や映像を押し出すだけではなく、テキストをもっと活かそうとした例です。テキストを活かすって、どうやって? 実際の本の中味を見てください。

「Poetry in Motion」という例です。出版された詩集と、その詩人がどこかで自分の詩を読んだパフォーマンス映像を一緒に見ることができます。詩集のテキストと、作者が実演した詩の読み上げとが入った構成になっています。面白いのは、出版された詩とパフォーマンスの詩の内容とでは、同じ詩なのにけたたましく違っていることです。これらの違いが確かめられるわけです。詩集として出版された詩のテキストと、パフォーマンスで読み上げた詩のテキストが確かめられるのです。

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*Ron Mannというドキュメンタリー作家の映像作品だったものに、本を電子的に入れ込んでみた。言葉と映像がリンクした。

 次の例は、テキストはテキストとして、出版された本の内容そのままをコンピューターのスクリーン上に表示しています。でも、ただ読んでいくということではありません。難しい内容のところは、書かれたテキストだけで読者が納得できないことが多々あります。そんな時、本の内容について著者が現れて、本の上を歩いたりしながら解説するというものです。著者本人が助け舟を出してくれるのですからありがたい話です。今までの本では到底考えられないことです。

 マービン・ミンスキーの著作「Society of Mind」です。『心の社会』という題名で日本語訳されています。マービン・ミンスキーはアメリカのコンピューター科学者であり、人工知能の研究者です。

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*今までの本では考えられなかった。この発想を真似てファンタジー小説などが試みられたが、何故か受け入れられなかった。

┗ WWWが〝ひっくり返した〟もの

 コンピューターの上に本を移して行こうとした、初期の3つの作品を紹介した後で、ボブ・スタインはこう言います。

「WWW(ワールド・ワイド・ウェッブ)の出現は、今まで自分たちがコンピューター上につくろうとしてきた本の姿をひっくり返した」と。

 何を〝ひっくり返した〟のか、ここをよく見届けておくべきでしょう。WWWとは、つまりWebのことであり、インターネットのことだと言ってもいいでしょう。Webブラウザを使ってWebサーバに公開された情報を閲覧するものです。

 私たちはコンピューターの進化によって、自分たちが良かれと思ってコンピューターの中に一生懸命つくってきた作品=本を〝失う〟こととなり、そしてまた今度はインターネットのWWWの出現によって、つくってきた作品=本は〝ひっくり返される〟場面に出くわしたということです。大きな技術や時代の変化によって、崖から突き落とされたような気持ちになりました。新しいことに憧れて、純真な気持ちでチャレンジしたことが掻き消されてしまったのです。

〝失う〟ことは取り返しがつきません。技術の進化で元も子もなくなる問題については、すってんてんになってしまうよりかテキストを重視して、わずかでも生き延びていく作戦をとったことはお話ししてきました。〝ひっくり返した〟はどうでしょう。〝ひっくり返した〟とは〝失う〟ことではありません。ダメになってしまうことでもないです。真反対から考えてみることじゃないのか? 見方を逆にして、別の方向から考え直してみるということかもしれない。ボブ・スタインはこうも言いました。

「WWWが行ったことは、人々が新しい方法でコラボレーションできるようにすることだった。長い間、孤独な人の活動をベースにした読書を人々が連携された社会的経験として再発見させた」と。

 今まで一人で本と向き合ってきた世界とは違う、何人もの人が繋がって読書する世界があると言うのです。

 考えてみると「新しい」と思って私たちがやってきたことは、入り組んだ仕掛けをつくっていただけでした。これをコンピューターの力を利用してやっていたのです。結果的にはコンピューターに裏切られ、彼らの技術革新にあわせてポイッと捨てられてしまいました。「新しい」どころか2、3年で古びたものに成り下がり、消えてなくなっていってしまったのです。コンピューターというか、技術というものへの過剰な期待、勝手な思い込みのせいだったのでしょう。

 私たちが取り組んでいたことは、一見、読者が本を読みながら抱いた疑問に何でも応えているように見てとれます。大勢の人前でデモなどすると、会場からは驚きの声が洩れ伝わってきます。それは事前に送り手の私たちが予想をたてて、きめ細かく準備して揃えておいたものでした。あらかじめ分かっている筋道に従って読んでいる人を引き込んでくる仕掛けがあったわけです。読者がこれは何だろう、と首を傾げてくれればまんまと仕掛けにかかったことになるようなことです。手の込んだドラマのシナリオをつくっているのと同じ、ここで、はてな? と思わせる、ここで泣く、そして最後に笑う……そんな仕組まれたものだったのです。根本的に読者の立場を考えることとは違います。自分のことを考えていただけです。自分が答えを用意して、そこに読者を誘い込んでいくことがどんなに巧みに仕上がっていても、それは今までの本の域を超えるものではありません。仕組みが複雑になれば大変になるから、テキストの出番をなるべく多くして少しでも仕事を軽くしようとしていたのです。「Text: THE NEXT FRONTIER」とは関係ないじゃないかと言われても仕方ないことです。〝ひっくり返す〟とは、私たちの態度に向けられた強烈な一言でした。

┗読者が本に深く関わりをもつ時代へ

 本のモノとしての形や内容について考えるのをやめ、代わりにそれがどのように使われるのかに焦点を合わせていきました。本を使う読者の側から見ることをしたのです。これからの時代、人はどのように本を読んでいくのか、本を使っていくのか、ということです。考えを逆に〝ひっくり返して〟本を送る作家や編集者や出版社の側からではなく、本を使う読者の側から見ることをしたのです。特に、内容についてです。本は今まで、紙の上であろうとコンピューターのスクリーン上であろうと、本が示し、見てとれる内容を中心に考えられてきました。これに対する読者の考えや意見、余白の書き込み、メモ……というものが背面(バックグラウンド)にあって、その本の広い裾野を形作っていたわけです。

 WWWは、本の広い裾野をバックグラウンドから最前面(フォアグラウンド)にもってくる可能性を示しました。人々が新しい方法でコラボレーションできるように前面に出ていくということでしょう。人々がその本の上でお互いにああだこうだとやりとりしていく場を、ネットワーク上に置かれた本は必ず用意をして、読者の人たちが簡単に平易にスピーディーにやりとりし、話し合うことこそがテキストなんだと言いたかったのだと思います。

 本そのものの存在がWebで公開・出版されることによって、人々と会話する言葉のやり取りを受け持つテキストは、お互い同士の読み取り、意思疎通だけではなく、WWWへと広いオープンな世界へ出ていくことになります。会話の内容をより明らかにしようとWeb上の関係する情報へリンクしたり、補足したりしていくことでしょう。リンクの情報は表やグラフであったり、写真や映像であったり、ということにもなるでしょう。どんなに分厚い本だとしても、一定の限られたページに内容が詰まっていることにはかわりません。ところが、限度あるページを相手に、この上での人々がやりとりする会話は限りないものです。また語る上で参照したり、指し示す事例や注釈は無限に近いインターネットの広がりに展開されるのです。CD―ROMサイズの中に閉じ込められた仕込まれた付録などの範囲に収まっているものではありません。WWWにあることですから、それを見る限りにおいて著作権による制約を受けることもありません。限りない視野が果てしなく広がっていきます。

 そんなにうまくいくのかい……でも? ちょっと下を向いてしまいました。その通りです。まだ何から何までができあがっているわけではありません。ほんの入り口に差し掛かったばかり、序の口なのです。しかし、出版がとるべき方向がどちらであるかは明確であり、Web Publising(Web出版)であることに間違いはないです。貫いていくべき重要な要素は、読者と直接関わる著者の前向きで深い理解と参加(コミットメント)です。印刷媒体での著者の役割が、読者に代わって特定のテーマに取り組むことであったなら、ネットワークの時代になれば、著者が取り組む特定のテーマの内容文脈においてまで、読者が深く関わりをもつことに移行していくでしょう。

 行き着く先はまだ遠いとはいえ、その方向へあなた自身の出版への舵を切っていくべきです。やるべき出版とは何かをここに明示します。以下の通りです。

 1.Webで作る
 2.Webで見る
 3.Webで売る
 4.Webで残る

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無料版はここまで。以降では、これからの本、そして出版の在り方について解説しています。

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