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小さい頃は神様がいて。魔法のマドレーヌと読書体験
みなさん、こんにちわ。ご訪問ありがとうございます。みなさんには、本や映画、漫画など、幼少期の忘れられないフィクション作品はありますか?
きっと大事な魔法の時間と一緒に仕舞ってありますよね。今日は僕が、少し、その引き出しを開けるお手伝いをします。
子どもの頃の読書体験とフィクションと日常の境界の曖昧さ。毎日を包んでくれる神様が宿っていたあの頃の想い出について。
プルースト『失われた時を求めて』のテーマに
引っ掛けてエッセイを書いてみました。
普段は、忙しい日常の深層の中で眠っている記憶のおもちゃ箱、そして大切な作品とをオーバーラップさせて、幸せな金曜の夕方を、お過ごしいただければ幸いです。
ハリーポッターシリーズ、梨木香歩、西の魔女が死んだ、灰谷健次郎、天の瞳、宮部みゆきレベル7、村上春樹のノルウェイの森、海辺のカフカ
小中学校時代に読んだ印象に残る数冊をあげてみた。本の中の世界には魔法の光があり、幼少の筆者の世界には、そのたしかな光が溢れ出していた。
「小さいころは神様がいて 不思議に夢をかなえてくれた」
校区の外まで、こっそり、24インチタイヤを転がしてみる。用水路の地下でザリガニを探索する(どこにでも居るのに)。雪が降れば、田圃の畔をランドセルを使ってすべる。毎日、泥や蜘蛛の巣にまみれる。黄色の制帽を斜めに被ってみる。そう、おいら、オサレな小学生
読書は、そんな日常の魔法の延長、神様がいる毎日と地続きだった。
魔法の世界には、レビューなんてない、あらすじもない(これは、大学に入って後天的に身につけた)。親が図書館から借りてくる。世界に本が、流れてくる。読んでいく。横切る境界線を跳ぶ、ただひたすらに。
お気に入りのジブリ作品は、魔女の宅急便である。
二年前のことである。コロナもあり、
つかれきったわたしは、急にやさしさに包まれたくなって、TSUTAYA DISCASを契約してみた。
(否、好きになった女の子がジブリ好きだったのだ。実に俗に染まった大人の世界)
幼少期に実家に録画のビデオテープがあったのでかつて何10回と擦り切れるまで観た魔女宅。セリフは、ほぼ空で言える。10年ぶりに観た。次のシーン、セリフの流れが先に分かる。
コマが進むたびに、過去の地層に潜る。あのときの空気や風、光、草、土、「人の形」になりきれない、思い出がオーバーラップする。その、ひとつひとつが、挨拶して琴線に触れていく。伴走したシーンが走馬灯になって画面を流れる。涙腺は、ずっとおもひでぽろぽろする。
リアル、プルースト『失われた時を求めて』体験。
「僕のマドレーヌは、魔女宅でした。」
そんな僕、小説の中では、村上春樹の作品が断然、お気に入り。初めて、春樹を読んだのは、中1か中2の頃。
ハルキストとして彼から影響を受け、小説を書く=春樹の文体で書くという脳内図式が出来上がっていた当時。高校の選択授業で辛口の中年教師に、言われた。
「加藤の文体は酔ってるね」
ちなみに、授業の最後に生徒全員で書いた短編小説集のタイトルが「文学それ自体」 いや、村山先生、あんたも十分酔ってるよ 笑。
本日は、取り留めないエッセイを書いてみました。幼少期の魔法の世界を想い出しつつ、日常の中で、大学院生なんて頭の堅いことやってる自分。
大人になったわれわれが「人」や「目的・結果」という社会を泳ぐ為の形式に囚われてしまってるのを思い起こしつつ、ほっこりできるキッカケになると幸いです。
ところで、大人になった僕は、村山先生の文体検問通れるのかな。免停されんかな… そんな過去の業を背負って書いてみたエッセイの評価はみなさんにお任せします笑