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歴史のとらえ方

「血のメーデー」という事件について調べ始めました。



 最初に言っておきますが、私は政治的にフラットな立場の人間です。
 っていうか、政治ってよくわかんなーいというところです。
 
 さて本題に入ります。
 私は趣味で小説を書いています。
 母に聞いた母の若い頃を書こうと思い、書き始めました。
 
 母は90歳です。
 戦争を生き抜いて戦後の混乱を生き抜きました。
 その辺をずっと書いてきて、1950~60年ごろになってきました。
 そのころ安保闘争というのがあったのですね。
 母とも深い関係があるようなので調べていたのですが、その中に「血のメーデー」というのがあるではありませんか。
 血のメーデー!
 なんて中2的な心惹かれる響きでしょう。
 というわけで「血のメーデー」を書こうと思ったわけです。
 デモ隊に警察が発砲して、死者が出た事件です。
 母に聞いても血のメーデーに関しては何も覚えていないようなので、調べ始めました。
 
 まず、1960年安保闘争の時に学生運動をしていたらしい人の小説を読みました。完全に学生の側に立った目線です。
 次に、大島渚監督の映画を見ました。こちらも学生側の主張でした。
 夫に相談したところ大昔の歴史辞典をどこからか調達してきました。
 2冊ありましたので、それを読みました。
 中立の立場で書かれていると思ったのです。
 それでさあ書こうと思ったのですが、一応YouTubeで「血のメーデー」の動画、またSNSで「血のメーデー」を検索してみました。ほんの補足のつもりだったのです。

 そうしたら、
 全く違うのです。
 まっったく違うのです。
 もうびっくりしすぎて2回言いました。
 YouTubeは100%警察側の視点で解説がされていました。
 それまでは、すなわち小説や映画、昔の辞典ですらデモ隊側に警察が発砲して死者を出したと、警察に批判的でもありました。
 それがYouTubeでは学生が100%悪者。
 昔の資料では、無防備のデモ隊に警察が発砲なんて書いてあるのです。
 それがYouTubeではデモ隊が暴れまわり警察官をめった打ちにして手のつけられない状態になり、やむなく催涙弾と発砲で鎮圧とあります。
 そりゃあ発砲もしかたないわなという書き方でした。
 
 私たちは歴史の真実を資料を読むことでしか知ることができません。
 または記録映像が残っていればそれを見られるかもしれません。
 しかし真実はひとつであるはずなのに、その解釈は変わっていくようです。
 解釈が変わると伝え方が変わり、それを読む私たちの知識が変わっていく。
 ひとつの動かしがたい真実は時代や立場によって変えられて伝わっていくのだなあと、今日とても思いました。
 
 戦後は激動の時代です。
 知りえない昔のことを調べる時は、ひとつの資料を100%信じない方がいいかもしれません。
 今回明かに間違ったことが書いてある資料もみつけました。
 ウィキペディアでさえ年が5年も6年も違っているものもありました。

 
 ということで、今回「血のメーデー」というネーミングはイカすぜの話でした。
 お読みくださりありがとうございました。
 私はほんとに政治的に中立な人間ですのでご安心を。

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