もう犬は吠えない ②
犬の吠え声によるご近所トラブルで早苗の精神は壊れていきます。実話をもとに書いた小説です。
寝たきりの義父のおむつ替えにヘルパーさんが来てくれている。毎日午前2時。
ヘルパーさんが来るとうちの犬が吠えた。午前2時にだ。
ああ吠えたと早苗は絶望的な気持ちになるのだった。
そしてその電話が決定打となった。それまでも2度ほど無言電話があり、早苗は嫌な予感がしていたのだ。
電話口の女の人は、少し申し訳なさそうに言った。
「あのー、夜中に犬が吠えるの、なんとかしてもらえないでしょうか」
なんと言えばいいか、早苗は言葉につまった。
「どうしましょう」
あまりよくない答えが口から出た。
「うち、受験生がいるんで。眠れないって言うんです」
「はい。すみません」
口はうまくしゃべることができない。
電話は切れた。
ヘルパーさんに辞めてもらおう。
早苗は敏和に訴えた。
それで終わると思っていた。
ヘルパーさんが来なくなってから、犬が毎晩吠えることはなくなった。
ただ、時々吠えた。なぜ吠えるのかわからない。
早苗は夜中に犬の吠え声がすると震え上がった。時計を見ると必ず午前2時ごろだ。犬にしてみれば、このころ侵入者が来ると覚えているのかもしれない。なにかちょっとした物音、例えば庭に出入りしている猫や、家庭菜園の野菜を狙うカラスなどの物音がすると、そらきたとばかり吠えるのかもしれない。
早苗は毎晩、今日は吠えるか、今日は吠えるかとハラハラしていた。毎晩吠える時もある。寝ていて気づかない日もあったはずだと思う。いったいどのくらい吠えているのか。
彼女は夜になるのが憂鬱だった。
そして犬はその夏、雷にも吠えるようになってしまった。
恐いのだろう。キャンキャン吠えて鳴きやまない。
雷のシーズンには、毎日のように雷が鳴る。
犬は吠えまくる。
どうしよう、近所の人、うるさいと思っているだろうな。
早苗はずっとヒヤヒヤしている。
早く鳴きやめ、早く鳴きやめと思っている。生きた心地がしない。
ひどい時は一晩中吠えていた。たまりかねて家に入れようとすると、敏和はだめだと言う。家が汚れるの一点張り。「だって、近所迷惑」と言っても、ほっとけと言うばかりだ。
それでも敏和なりに考えていたようで、ある日、工具や農作業の道具であふれていた農機具小屋をすべてきれいに片づけて、中に犬小屋ごと入れるようにしてくれた。これで吠え声は小さくなるだろう。
雷の日、コロは農機具小屋の奥の方に逃げ込み、そこで震えていた。
早苗は小躍りした。もう吠えない。天にも昇る気持ちだった。
しかし次の雷の日は、わざわざ農機具小屋の外に飛び出して、そこでしこたま吠えた。小屋に入れようとすると、逆ギレして早苗に噛みつかんばかりに吠えまくった。
もうどうしようもなかった。