人が喜ぶのを見るのはうれしい
では、人の失敗はどうですか?
以前、人間には「自己向上欲」があるという話をnoteに書きました。
私が考えた欲求ではなくて、人間の欲求を調べていたらその中に「自己向上欲」というのが含まれていたという話です。
それと近いことを最近発見しましたので書きたいと思います。
といっても、ずっと前からぼんやり考えていたことなのですが。
それは、人が喜ぶのを見るのは結構うれしいなということです。
先日大先輩の出版記念会がありました。
2先輩が小説を出版したのです。
それでゆかりの人たちが集まってお祝いの会をしました。
歌あり演奏ありの楽しい会でした。
もちろん2人ともとてもうれしそうでした。
人を喜ばせるのってその人のためでもあるけれども、自分のためでもあるのですよね。
その人が喜んでいると幸せというか。
よかったなあと思うのです。
さてところで、
ここからいやーな話になります。
人が喜んでいるとうれしいという気持ちの一方、私たちは人の失敗がちょっとうれしいという気持ちはないでしょうか。
私はちょっとあります。
何なんでしょうね。
人の不幸を喜ぶなんて絶対口にしちゃいけないので、ずっと胸の奥にしまってはいますし、そうやって人の不幸を喜ぶ自分も嫌なのです。
だけれど心の奥にしまっておくとしても、人の失敗がちょっとうれしい気持ちは、ある。
嫌だけれど、ある。
人が喜ぶのがうれしい心と人の不幸を喜ぶ心。
人間の心ってその2つが同居してる気がします。
いえもっといろいろな心が同居していますね。
それはまたのちの機会に書きましょう。
残酷で善良な人の心について。