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私の不登校時代-4

私は中学高校の6年間思うように学校に行けなかった。
だからこその代償を今でも抱えています。

それは『新しいことを始める時に最後まで達成出来るのか人一倍不安になる』ことです。

10年前の2015年4月。
私は第1志望だった中学校に入学。
中学校選びが自分自身でした初めての決断でした。
もちろん幼い頃、"あの習い事を始めたい!"などはありましたが、人生に関わる話ではありません。
また小学生までは2つ上の姉の背中を追うだけで良かったのですが、優秀な姉と比べられることが嫌だった私は自ら姉とは違う中学校を選びました。入学式の日に『ここでは自分で自分の道を切り開いていかなければいけない。』のだと不安になったことを今でも鮮明に覚えています。

しかし中学1年生の夏、私は学校に行けなくなった。

"とにかく心を休めたい"という思いから学校に行かない選択をしました。今では父も母も私の事をとてもよく理解してくれていて受け入れてくれていますが、当時はたくさん喧嘩をしました。特に母とは数え切れないくらいぶつかりました。今なら母がどれだけ辛い思いをして、私のことを思って言葉をかけてくれていたのか痛いほど分かります。でも当時の私はいっぱいいっぱいで気づくことが出来なかった。本当にごめんなさい。

もしあのまま転校せずに高校に通えていたら、こんなにも深い傷になっていなかったかもしれません。
私は高校1年生の冬に通信制高校に転校する決断をしました。その時から『私は自分の道を自分で決めたにも関わらず達成出来なかった。私の力不足だ。私はみんなが出来ることが出来ない。』のだと思うようになりました。


通信制高校は全日制高校と制度が大きく異なります。
学校に行って授業を受け認定試験に合格すれば単位がもらえる。学校に行きたくなければ行かなければいい。週に5日行く日もあれば全く行かない日もあるなど、私は体調に合わせて自分で選んでいました。
転校するまで進学校に通っていた私は、通信制でクリアすべきことが簡単すぎて高校卒業資格を得ることができた時もなんの感情もありませんでした。それゆえ達成感を得ることが出来なかった。

予備校に入学する際『私は1年間やりきることが出来るのか。』と不安しかなく入校した日、体が震えるほどでした。予備校生活ははとにかく姉の真似をしようと必死でした。朝7:30に予備校へ行き、夜10:00まで勉強する。1年間頑張り続けました。1年間という目標を達成出来たおかげで少し自信を取り戻したのも束の間、2年目体調を崩し予備校にすら通うことが出来なくなりました。『やはり私には自分で決めたことを達成する力がないのだ』と。他の誰よりも私自身が自分に失望しました。

それから新しいことを始めることが怖い。
次の1歩を出す勇気が出ない。
自分で自分の道の決断をするのがとても怖い。
ダメだとは分かっていても『きっと私には出来ない。』と思ってしまう。

どう克服すれば良いのでしょうか。
チャレンジし続けるしかないのでしょうか。

いつの日か克服する日が来るのかもしれないけれど、今の私ではきっと無理です。でも学校に行かない選択したのは自分自身。責める相手は自分しかいません。
苦しく辛い代償です。

そしてもう1つ。
不登校を経験した友人はあまりいません。
通信制高校ではほとんどが不登校経験者でしたが、私ほど長く不登校だった人はおらず考え方が全然違いました。それゆえ、私の悩みを相談する人がどこにもいない。同じ年代の人が友人に相談するように私も相談したいけど誰にも理解してもらえない。これも不登校だった代償ですね。

私に明るい未来は待っているのだろうか。
時々不安に思います。

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