灰色の記憶 / うつ状態ってこんな感じ
この文章は、私自身と、”堕ちている”人間の状態に興味がある、あなたのために書いた。
自分の状態を記録しておくことと、心身ともに調子が悪いというのはどういう事なのか知ってもらうことを目的としている。
“堕ちている時”すなわち”うつ状態”というのは、しばしばただ気持ちが落ち込んでいるだけだと誤解されがちだが、全くもってそうではない。
どちらかというと体調不良に近いが、その調子の悪さは病的である。
とにかくただの落ち込みとは訳が違うくらいに、深くまで沈んでしまうのだ。まるで悪魔に取り憑かれたかのように。
体
まず体が怠い。いや、怠いというより重い。
体に力が入らない。
ずっと微熱が続いているかのような怠さである。両足に錘でもついているかのような感覚があり、立っているのがやっとな時もある。
酷い時はベットから起き上がることも出来ない。起き上がる体力がない。
毎日自転車で通っていたはずの通学路も、しんどすぎて途中で断念してしまうほどだ。
とにかく重い。ペダルを漕ぐ足に力が入らない。よって、”堕ちている時”は大学を休みがちになる。そもそも辿り着けないのである。
やっとのことで辿り着いても、体を起こしているのがしんどいし、頭を働かせる体力はもう残ってないので机に突っ伏しているか、
ボーッと宙を見つめているだけである。
体力がないのでほぼ寝たきり老人のような生活をする。息をしてこの世に存在しているだけで疲れている。風呂に入るのも、歯磨きをするのもやっとである。掃除などという頭と体を駆使する家事は、到底出来やしない。
自律神経がおかしくなっているのか、時々眩暈がすることもあった。
普段は朝から運動をしてから通学し、休日は4時間くらい散歩をしていてもへっちゃらな私だが、この時ばかりは調子が良くても10分の外出が限界である。
とにかく横になっていたい。
頭
そして頭も重い。モヤでもかかっているかのようにボーッとしている。考えがまとまらない。決断ができない。
毎朝のルーティンさえも、この時ばかりは意味をなさない。全てがチグハグでバラバラに存在しているかのようになる。
例えば毎朝あなたは起床後に歯磨きと洗顔をして、着替えて、朝食を取るとする。
これは「朝のルーティン」としてまとまっていて、いちいち次の手順を考えなくても行動できるだろう。
しかし調子が悪くなると、これらが細かいピースに分かれているように感じられ、次に何をしたらいいのかわからなくなるのである。
頭が働かない、エネルギーが不足している為に、一つ一つをこなすのに、ものすごくエネルギーを使うのだ。
この状態がさらに悪化すると、文字が読めなくなってしまう。読めないというのは全く意味が入ってこないので、文字が記号にしか見えないということである。
人の話を聞いても内容が理解できないので、自分が宇宙人になってしまったかのような感覚になる。
脳がフリーズ状態なので、何をするにもゆっくりになる。
なのに調子が悪い時は、どこか焦っている。
本当に時間がないというよりは、モーターが空回りしているかのような焦燥感である。
また、思わず眉間にシワをよせるほど、突発的に頭痛がすることもあった。
視えている世界
何を見ても何も感じない。
空を見ても綺麗だと感じない。
そんな自分が、悲しいというより虚しくなる。何を見ても灰色に見える。低彩度の世界である。ピンク色のはずの花が白黒写真のように、やたら色褪せて見えた。
基本的にずっと俯いているので、地面ばかりを見ている。見ているというか、視界は狭くて下向きになりがちである。景色など見えているようでまるで目に入っていない。
常に頭の中で心配事が蠢いているか、何も感じないかのどちらかである。
頭の中の世界で生きているので、外側に意識を向けて景色を楽しむ余裕などどこにもない。
今までさほど気にならなかった、太陽の光や蛍光灯がやたら眩しく感じられる。明るいものに触れたくなくなる。
それらに全く悪意なんてなくったって、堕ちている自分をせき立てて、早く元気になれよ!と言われているようで避けたくなる。
よって、本当に酷くなると、昼間でもカーテンを閉めて、電気もつけずに暗い部屋に引きこもってしまう。何もしても疲れてしまうので、全ての刺激を遮断したくなるのだ。
せっかく力を振り絞って外出してみても、自分以外の人間が全てまともに見えて苦しくなる。自分の外見や存在がゴミ屑のように思えて、周りの人にバカにされているような感覚を覚える。自分が酷い面をした負け組に思える。この世界の全ては、自分以外の”まともな世間の人”に向けて作られたもののように見える。
どこにも居場所がない。
スクリーンの中で私だけが取り残された、孤独な世界に視える。
こころ
感情が死んでいる。自分が辛いのか苦しいのかが全くわからない。ただ灰色なのである。
そしてぽっかり心に穴が空いているように、何をしても虚しい。ハリボテの世界で誤魔化して生きているかのような感覚になる。
友達が大学の課題に焦っている姿を見ても、楽しそうにお喋りをしている姿を見ても、何も感じない。全てがスクリーンを通して見ているかのように、まるで他人事と感じられる。自分が現実に存在している感じがまるでない。おそらく精神医学用語で「離人感」と呼ばれるものである。
自分はこのまま消えてしまっても、全くどうでもいい存在に思える。
取り憑かれたように死にたくなる。
この頃の日記を見返してみると、どこもかしこも「死にたい」という言葉で溢れている。
雨が降っても「死にたい」、朝起きて「死にたい」、川を見て「死にたい」。
とにかくどんな刺激でも死を手繰り寄せてしまうのである。
頭の中で自分を責める声が止まらないこともあった。
「死ね。」「なんでまだ生きてんだ。」「お前にはどうせ出来ないのに。」「不細工で醜いのに、よくそれで恥ずかしくないね?」
などと、本当に言われているかのように耳元で声が鳴り止まなかった。
許してください。許してください。許してください。許してください。
自分はとんでもない過ちを犯してしまった。もう取り返しがつかない。家族も友人も、きっと私に愛想をつかして離れていってしまう。死んで償わなければ。
「罪業妄想」と呼ばれるような、酷い罪悪感が纏わりついて離れないこともあった。
また、貯金額は以前とさほど変わってないはずなのにも関わらず、酷く自分は惨めで貧乏に思える「貧困妄想」の状態になることもあった。
食
満たされたくて、不安で、元気になりたいから甘いものでも沢山食べてみるが、何も味がしないように感じる。
いや確かに甘いのだが、食べても何も感じないのである。美味しくないのに食べている自分は変だ、こんなのお金の無駄だと思いながらも、食べる手は止められない。
ぽっかり空いた穴を埋めるように食べる。
早く元気になりたいと、うっすら思っていたのかもしれない。
生活
朝は起きれず、夜は眠れず、時差ボケのような状態になる。
SEKAI NO OWARIの「銀河街の悪夢」という歌のような生活である。
過食が酷かったときは、ぱくみゆう監督の
「死にたい話」に出てくる主人公のような生活をしていた。
こんな憂鬱で灰色な生活が、3ヶ月から半年くらい続いた。
起床、着替え、食事、通勤通学、入浴など、
日常生活で当たり前にやっていたことが出来なくなった。
何をするにも億劫で頭は回らず体は重く、
生きること全てのハードルが高かった。
何も出来ず、何もしたくなく、何かをするエネルギーなんてもう残ってないのに目の前の課題は山積みで、死ぬことでしか問題は解決できないように思えた。
何故なら、生きることそのものが苦痛だからである。もう自分の力で未来を切り開く体力も、助けを求めて現状打破を試みる気力もないのである。
誰も知らない何処か遠いところに行って、穏やかに死を迎えたい。
それだけがただ一つの希望であった。
おわりに
以上が私の経験した「うつ状態」である。
今までに3度ほど経験したが、どれも似ているようで微妙に体に現れる変化も、生活の変化も違っている。
なので一口に”うつ状態”といっても、ここに書かれたのとは違った状態になった人もいるだろう。捉え方、感じ方、表れ方には多少の個人差があるはずだ。
なぜ苦しみを書いたのか?
それははじめに述べた理由もあるが、もう一つの強い欲求があるからである。
“知って欲しい。”
私はこれらの苦しい状態であったのにも関わらず、今まで誰にも伝えずに1人で乗り越えてきた。だから今回ばかりは、ここで言いたかったのである。「私はこんなに辛かったのだ。」と、知って欲しかったのだ。
こんなに辛い思いをして日々を生きていたのに、無かったことにされてはあまりに報われないと、そう思ったからここに書き残しておくことにしたのである。
そして現在私は、日々の小さな幸せを噛み締めながら、穏やかな日々を送っている。
いま渦中にいる人へ。
どういった言葉をかけたら届くのか、そんなことは全くわからないが、私がここに書き残すことであなたの苦しみを代弁できたのならば、少しだけ嬉しく思う。
どうか、生き延びて。
また明日。