見出し画像

ダス ゲベート いのり

 あれは、大学の宗教学という研究室で学ぶ機会を得ていた頃だった。
 4年生になり、6月の卒論指導会までに「論題」を提出しないと今年は卒業はできないから必ず出席するようにとの通知があって、のこのこと出かけたときのことであった。
 実は、寺に住み込み修行をしながら、この大学に入学し通っていたのだが、寺の忙しさにかまけて、卒論の準備どころではなく、後回しにしていたのである。
 しかし、最後通牒が届き、道すがら、さて、何を卒論にするか?このとき小生はのもっぱらの関心事は「霊能者の霊感は、見えざる世界と現象世界の加持感応同交であるのか、それとも、単なる病的感応に過ぎざるものか」を知りたかったので、よし!卒論のテーマは「加持祈祷」にしようと決めて、研究室に向かった。
 手続きをすませ、名前を呼ばれ、研究室のドアを開け、指定された席に座る。主任教授を始め、著名な学者ばかり五名ほど、ほかに助手や講師、大学院生が数名、一斉に小生の方を見る。「君の卒論のテーマはなにかね?」「はい、加持祈祷についてです。」と言うかいわないうちに、いきなり、怒号が飛んだ!
世界的にも著名な主任教授であった。「このたわけものめが!きみは本当にここの研究室の学生なのか?いったいボクの研究室にきて何を学んでいたというのだ!まさか、こんな者がこの研究室にいるとは!とんだ恥さらしだ!。きみ、出て行きなさい!この研究室においておくわけにはいかない!この研究室の学生としては認めることはできない!即刻、立ち去りなさい!」「・・・・・・・」何も言えずにいると、「何をグズグズしてるしるんだ!、出て行けっていってるんだよ!」と収まる気配はない。一同は、ことばもなく、みなシーンとしている。
 しかし、(この4年間を棒に振ることになり、両親や師匠に申し訳が立たない。ハイそうですかと、ここで引き下がることはできない。)黙っていると、この教授は怒りが収まらなかったのだろう。こともあろうに「加持祈祷だって?ふざけるにも程がある。ボクは空海を仏教徒だとは思っていない!あれは淫祠邪教だ。とうてい仏教と言える代物じゃないんだ!そのようなこともわからず、この研究室に来て、このような戯けた論題を出すとは、言語道断だ!出て行け!といってるのがわからんのか!君は!・・・」
 ここまで来て、さすがに、ある著名な教授が間に入り、「まあまあ、教授、たかが学生なんだから・・・それよりも、何かテーマを与えてあげたらどうだろう?」
 しばし、沈黙が続いた。この沈黙は実に長かった。やおら、主任教授が語り出したのは「本当は、お前のような戯けた学生は顔も見たくない。不愉快だ!即刻退学に値する。だが、もう4年間勉強し直すというのなら、考えないでもない。どうだ!もう4年間やりなおすか!」「・・・・・・・」(そんな約束できるはずもない。)
 このとき、不思議であったが、小生に動揺はなく、困ったことになったと思うだけであった。教授の目を真っ直ぐ見ながら、(さては、逆鱗に触れてしまったか。まことに申し訳ないことをしてしまった。)と思っていた。この教授のことは、こころから尊敬していたのである。この教授の仏教百話や道元禅師の話は非常に興味深く、仏教の教えの奥深さを身に沁み感じていたからである。
 彼はよく語っていた。「仏教学者のなかで釈尊の教えを原始仏教と呼ぶものがいるが、あれは、間違っている。釈尊の仏教は根本仏教と呼ばなければならない。」と。いたく感動した覚えがある。仏教にもキリスト教にも伝わる説話に「放蕩息子」というものがあり、その放蕩息子にたいする親の対応は仏教とキリスト教とでは全く異なる。この逸話は、実に忘れがたいものであった。彼は、世界の宗教学を代表する重鎮であったのだが、空海を淫祠邪教の親玉だという見解にはついていけない。いささかショックであった。
 なぜなら、小生は真言末徒であったからだが、しかし、まだ学びの緒に就いたばかり、反論することもできず、かといって、ここで引き下がる訳にはいかなかった。教授の顔をみながら、この4年間の教授の授業を走馬灯のように思い出していた。
 誰も、これ以上、もう、口を挟めない様子であった。しばらく無言の時が流れていた。
 やおら、教授は非常に真剣な面持ちで語り出した。「ほかに卒論指導をしなければならない学生が待っている。これ以上君にかかずらわっているわけにはいかない。何としても卒業したいというのなら、ひとつのテーマを与えよう。祈祷を学ぶというのならフリードリッヒ・ハイラーの『ダス ゲベート』という本を翻訳しなさい。それ以外はダメだ。ただ、この本はは百年前に出版された本だ。それに世界に2冊あるかどうかだ。日本にあるかどうか分からない。英訳本はいくつか出ているからそれなら手に入るかもしれない。とにかくこの翻訳を卒論にするなら、この研究室の学生としての猶予を与えよう。できないなら、もう、下がりなさい。」
 「わかりました。有り難うございます。ところで、先生!この本はどこで探せば良いですか?」
 「戯け!探すことから自分でやるのだ!さあさあ、次のものを呼びなさい!」

 このことは、親にも師僧にも到底話せなかった。相変わらず多忙な寺の手伝いに忙殺されながら、とにかく知り合いもなく、探せども見つからないまま、ひとりで悩みながら、とうとう、10月に入ってしまった。卒論の提出期限は決まっている。12月15日だ。いたずらに、時ばかりが無情に過ぎていく。
 ところが、そこへ、大学院にいた同郷の先輩から電話が入り「本は見つかったか?」「いいえ」「そうか、実は、何某という教授がドイツ語のこの本をもっているという情報を得た。その教授に確かめてみたら?。」という助言が入った。(いま、思っても有り難いことで、「奇蹟」であった。)
 
 ようやく、フリードリッヒハイラーの『ダス ゲベート』というドイツ語の本を手にした。かなり古く、ぶ厚い。大きな本であった。ところで、小生は英語もドイツ語もからっきしダメである。寺の仕事を終えて、夜中に寝ずに辞書を片手に翻訳を試みたが、一週間に一行も進まない状態であった。数百ページにも及ぶこの本を翻訳するなど、端から無理である。絶望するしかなかった。

 投げ出すわけにも行かず、とにかく、なんとかしなくてはと考えていたが、ふと、昭和45年4月8日にわが恩師にともなわれて邂逅したあの不可思議な霊的能力のある人物のことが思い浮かんだ。彼に相談したらなんとかなるだろうか?思い切って、この人物の主催する事務所を訪ねてみた。藁をもつかむ思いであった。しかし、ここの受付で、「先生に相談するには予約が必要だ」といわれて、あっさり断られてしまった。それでもなんとかお目にかかりたいと食い下がるが、ダメであった。「相談を申し込むには、予約は一ヶ月前からでも、すぐにいっぱいになる。来月何日に電話で予約を受け付けるからそのとき申し込め」とつれない返事だ。
(それでは、まにあわない。なんとしてもお会いしたい。お願いしたい。)(死ぬほど追い詰められている。なんとかしてほしい。)と訴えてみるが、「ここに相談に来る人はみなそうだ」という。

 しばらく押し問答していのだが、急に、受付の彼が呼ばれて席を外してした。そして、急ぎ戻った彼がいうには、態度はガラリと変わり、「先生はあなたが尋ねてくることをご存じで、いまなら会えるから連れてきなさいとおっしゃってる。さあ、一緒に来て下さい。」
 それで、急遽この偉大な霊能者にお目にかかれたのである。不思議であった。
 
 彼はコンピューターの端末機器を製造している工場の経営者であった。ここでも、工場服を着ていて、全く気さくに人の相談に応じる人だった。しかし、相談者は大変な数で、全国から来ているようであった。
 お目にかかるや否や、「おうおう!よくきたね。待っていたよ。1年ぶりだねえ。ところで、これはボクが書いた般若心経についての原稿だが、いま、見てくれないかね。」といきなり大量の原稿用紙が渡された。「キミはどう思うかね?」
 しかし、小生は例の卒論のことで、内心それどころではない。ばっとみて、先生には申し訳なかったが、「さすが、先生ですね。素晴らしいです!」とかなんとかいって、早く自分の相談にのっていただきたかった。
 ようやく現状を伝え、カバンに入れていたハイラーの原著を取り出して、彼に見せる。すると、彼はいきなり目を閉じて何やら、独り言で、誰かと会話をしている。そのことばはドイツ語のようだが、小生には何を話しているかは全く不明だ。そして、全く想像もつかなかった話に展開した。摩訶不思議なことに、彼は「直接、フリードリッヒハイラーを呼び出して、この本につい質している。」という。それからが、凄かった。彼の口から、ハイラーの生涯について語り出され、この著書の目的や狙いについて語られ、プロテスタントからカトリックに更にまたプロテスタントに代わったことや、宗教の形骸化を憂えていたなどいうことであった。実に多くのことが語られた。
 だが、残念ながら、小生は、まだこの手にしている本を翻訳していないので、その語られていることが本当のことかどうかは皆目わからない。ああ、そうですかとただ驚くばかりであった。ひとしきり終わって、「ところで、先生、ぼくは、この本を翻訳できないと卒業できないのです。」すると、この先生は「だいじょうぶだ。卒業できるよ。」「いやあ、無理です。全く無理です。いまから書いたって間に合わないし・・・」
 すると、彼は「そうだねえ、君の守護霊が、君のことを本当にどうしようもない奴だから、諭してやってくださいっていってるなあ」と笑っている。そして彼が言うには「君の従兄にキリスト教に関係しているものがいる。先ず、彼に相談すれば、道は必ず開けると守護霊がいっているよ。」という。
(そんな従兄がいるのかなあ)と、疑心暗鬼だったが、実家の親にに問い合わせると、確かにある基督教大学に勤務している従兄がいるという。彼に連絡したことががきっかけで、ある国立大学の大学院の教授をしている牧師さんに紹介され、わずか30分だったが、アドバイスを受け、それから、田舎の自宅で一気に翻訳することができた。詳しくは略すが、随身している寺の都合で、十日間で800字詰め原稿用紙300枚の原稿を書き上げ、12月に主任教授の検閲をうけ、無事、卒論を提出したのである。考えられない事であった。
 ちょうど、安田講堂が焼け落ちたりころ、どの大学もロックアウト状態にあった。
 これには、尾ひれがつく。卒論にたいする口頭試問が最後にあったが、不覚にも、このとき、なみいる教授陣のひとりから、指摘があり、「君、この著者フリードリッヒハイラーについて、何の紹介も載せていないが、君、調べてなかったのか。どうなんだ?」という、嫌みな質問が出て、答えに窮してしまった。何しろ、翻訳することばかりで精一杯だったのだ。
 ふと、あの不思議な能力を持った人物とのやりとりを思い出し、一か八か、あのときハイラー自身が語ったという幼名や生まれ育ったところ、宗教の遍歴をそのまま答えた。しばらく、沈黙が続いた。
 ダメか!
 別の教授が、「君は、この研究を更に続けるべきだ。がんばりたまえ」
 ちなみにこの論文の副題は「形骸化した宗教の問題」ハイラーが世界中の民俗宗教の祈りの形態について研究した、今日でも宗教学上欠かすことのできない重要な書物とされている。
 小生は、もともと語学力に乏しいので、学問的にはこの世界をちょっと垣間見ただけで終わったのだが・・・・
 偉大な教授も霊能者も他界して、今はもういない。かけがえのない邂逅のあるがままを記した。

 どなたの人生にもこのような不可思議な導きは必ずあるものであろう。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?