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光り輝くものとの遭遇

  奇しくも、東日本大震災直後、2011年8月29日であった。小衲、ある寺で不測の事態が生じ、その寺の総代達に請われてその寺の本堂に入ることがあった。震災から5ヶ月は経っていたが、まだ被災したままの庫裏や本堂内を見回り、内陣の裏にある位牌堂に入る。
 そこには、等身仏の阿弥陀如来が祀られていた。かなりの古い仏像である。裏堂に祀られているのが不思議なほどの大きな仏像であったが、よくみると、どうしたことか、この阿弥陀如来の御眼から涙が滴りおちているように見える。(なにか光の加減ではあろうが、どうみても、如来の目から涙がしたたり落ちてとまらないように見える。)
 はて?どうしたというのだろう不思議に思い、しばらく、動けずにいた。
 やおら、仏の声のようなものが聞こえる。聞き耳を立てると、
 「いま、地震や津波や原発事故で多くの人々が苦しんでいるというのに私を奥にしまいこんでおかないでおくれ。私は、あらゆるものの支えとなり、苦しみを除き、すべてのものを済うべく、願を込めて、刻まれたものだ。おまえさん!お願いだから、誰もが、お参りできる場所に、私を移しておくれ!・・・」
 おもわず、(えっ? 何処にですか?)と聞き返した。すると、「この寺の本堂正面に入って、すぐ左奥、西を背にした角の処だよ!」とはっきり示された。
 気のせいかと思ったが、この寺の総代さん方のところへ行き、何気なくこの阿弥陀さまのことを尋ねた。
 すると、「いうやあ、この阿弥陀様は古いものだという伝えはあるがそのいわれは誰もしらない。この阿弥陀さまは、もともと、本堂を入ってすぐ左手奥。西を背にした処に祀られていたものだが、本堂新築の折に、住職が他宗の仏像だからと裏堂に移したものだ。」という。   
 「昔は、寺にお参りにきて、幼い自分たちは、みなしてこの仏の台座の下に潜っては遊んでいたことを思い出す。」という。
 「それなもんだから、移してからというのも、年寄り婆さん達は、あの仏様はどこへ行ったのだろか?と、よく気にしていた。」という。

 そこで、小生、この寺の事情もあって、住職を兼務するようになってから、総代達と相談し、急ぎ、この阿弥陀如来を元のところへ戻すようにした。
 総勢六人ほどで元の場所にお運びしたのだが、そのとき、「仏像の体内に墨書きで何か書いてあるある!」と胎内の墨書きを発見した!
これまで誰も見たことはなかったという。
 どれどれと、胎内を照らしてみる。 そこにはこう書かれてあった。
 
 享保六年辛丑歳八月吉日(西暦1721年)
 大安寺十世 木蓮社良覚上人弟子
 大光山 正徳寺 住職 四世 想蓮社 良環團秀代
 施主化者 桑折町在住 角田三左衛門
 更に
 
□供 俗名大和□彌□衛
 釈空心
 釈妙信   不退位
  角田三左衛門 花押
 □菩提也

 更に その隣には

 文政十二巳丑歳二月吉祥日(西暦1826年)
 宥政 本尊 持久
 湯野不動寺大阿闍梨法印宥精佛子
 歓喜寺五世 法印 宥政

 この墨書きにより、この阿弥陀如来の造立の経緯は明らかとなった。非常に尊い由縁の大仏であった。
 この墨書きをみて、小生にとっては、偶然に遭遇したとは言い難く、「この大仏に導かれた」としか言いようのない不思議な仏の因縁が幾つか含まれていることに気付かされたのである。(詳細は省く)

 それはともかく、この年は千年に一度という災害規模の東日本大地震に見舞われたときで、未曾有の震災、津波、原発事故放射能汚染の大災害に見舞われたときであった。
 小生はもとより愚僧極まりないものであるのだが、萬歳楽山信仰開山や自坊境内に度々現出する氷の聖体現象という不可思議さに導かれていた。そして、この時、更に不可思議なる阿弥陀如来の悲痛な思いをまのあたりにしたのである。

 これらはすべて光輝くものの思し召しであろうと思っている。小生自身は光り輝くものからはほどお遠い者であるが、それだからこそなのだろうか、こうしたことが感受されるのであるならば、よほどの由々しき事態があらゆる生命体に迫っているのかもしれないという気危機意識は強くなる。であるならば、いかに愚鈍であろうとも、生涯を尽くして光あるものの意を体すべく探究の道を歩むしかないのであろう。

 大震災前後からの、この光り輝くものである如来からののヒビキ(加持感応同交)は、これまでになく半端ではないように思われる。しかも、かなり具体的なことを、親りにするという事で導かれるものであった。
 それは、今も、なお、続いているのである。
 
 これから記すことは、既にだいぶときが過ぎていることだが、小生の核心を占めるものであるので、先ず、この不可思議なる感受から記させていただく。

 それは、次の如くであった。

 あるときのこと、いつものように、この寺の本堂の亨保六年造立の正徳寺本尊阿弥陀如来の御前に坐し、瞑目祈念を凝らしているときであった。
 突然、眼前に、真っ暗な虚空が広がり、そこにぽっかり浮かぶ碧き寶球が顕れた。それは実に美しい瑠璃色の丸い寶球であり、ちょうど、宇宙から見た地球のようであった。
 内心、驚いたが、顕れるままに、閑かに、黙想を続けていると、やがて、その地球に白い雲海がたなびき、次第に包み込み、地球のような寶球全体をすっぽりと覆い尽くす。
 すると、その雲海の雲間のアチコチで稲光が走っている。やがて、その閃光は、まるで、地球の中心から、四方八方に放射されて、あらゆるものを貫き通す強い光となった。しかし、その光は決して眩しいものでもなく、やわらかな光ではあった。しかし、生気みなぎる流動する偉大なる光であった。 やがて、その一条の光が、緑がかった黄金の龍体へと変化し、力強く流動する。地球の中心から放射する光柱にそって8の字描くように流動している。旋回しながら、上昇し、下降している龍のようであったが、よく見ると龍ではなく、無数の光の束であった。それらがまるで自転・公転しながら、互いに全体として統合されてある方向へと向かっているようであった。

 それは、また、ちょうど、巨大な密教の法具である五鈷金剛杵を連想させるような光の流れでもあった。その五鈷杵の芯、則ち、真ん中に地球に見える寶球があって、それを中心に縦横無尽にエネルギーが流動している。雲海の中で光が走り、五鈷杵が出現し、その五鈷杵は縦横に帯状の光となり、八輻の輪寶羯磨のようであった。そのまま、八葉の蓮華のようでもあった。
 しかし、それは、もっと強大でダイナミックな光の流れがはたらいていて、まるで広大な宇宙から下降する火炎のごとき三角四面体と広大な宇宙へと上昇する三角四面体が、双方逆回転しつつ。互換重合するかのように流れていた。

 やがて、光による放射状の芯から、一条の光がまっすぐに自分へと伸びてきて、頭上から体内へと流れ込んで来る。なすすべもなくこれを凝視していると、今度は、その光に伴われて、小生自身がその光の本体である地球の中心へと運ばれていくような感覚があった。
 その中心に近づくにつれ、水晶のような柔らかな美しい球体が顕れた。その球体の芯のほうから、神々しい光、あのなんともいえない夕日のようなやわらかさで、どこか懐かしく、穏やかで落ち着ける、真冬の東の空の曉光のような淡い薄紫がかった赤色の透明な球の光と変化しつつ、更に近づくと、なんと、その中心に[寶冠をかぶったまさに光り輝くものである(大日如来)]が顕れ、輝いている。やわらかな光ではあるが、しかし、神々しい光輝を発している。畏れつつも、心を込めて見つめていると、やがて、その大日如来の御手の印相である智拳印が法界定印に変化し、やがて「彌陀定印」となって固定した。(宝冠を被った大日如来が弥陀の定印を結んでいるのだろうか・・・初めてみるお姿だ・・・)
 そう思いつつ凝視を続けていると、突然、視界が開け、
 天地一切の森羅万象、万生万物の生きとし生けるものの中芯に、その十方から如来の光が流入し、溢れ出し、包みこんいでいる世界が目前に展開した。その光り輝くものである如来性こそが、個々のいのちを刻々に現象化させているの當のものであることを親りにしているようなものであった。
 その遍満した如来の光が、局所化された個々性に阿弥陀如来として出現し、それは同時に背後に遍在する阿弥陀仏光と互換重合していて、時々刻々、決してとどまることなく阿弥陀如来の無量なる慈悲の光が創造の源泉である大日如来と一体となって、仮現における潜象と現象の世界に一条の光となって法輪を転ずるように、万象万物に浸透していることを親りにした思い出あった。

 なんとも不思議な光景ではあった。畏れ多いことながら、(これは、まさに、長い間、探しもとめてきた仏陀親説で解かれたという「本不生の実相」、弘法大師が示した「阿字本不生」なのだろうか?)
 
 そう思った瞬間、現実に戻った。

 この間の黙想は、ふり返るとすごく長いプロセスのように感じられるが、実際は、ほんの数秒のことであった。

 この導きにあって、これは紛れもなく、危機に瀕した地球上の大転換を導く如来性のヒビキそのものが示されている事なのかもしれないと朧げながら感じたものの、これ以上のことは何もわからなかった。

 「いまここ いまここ あるがままの自分を凝視する」ということを繰り返し凝視している瞑想をしている時であった。

 程なくして、これは深遠な紅玻璃秘法・光り輝くものの五相成身観であることを知るに至る。

(続く)

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