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自立したカカシを見習うと誓います!


上の写真を見ると確かに分かるだろう。

自立して立っているカカシだ。

昨日、ジブリパークで撮った写真である。

風にも雨にも負けないその姿は

ただのプリッツには見えない。

顔をよく見ると少し怖く見える。

手の神経が麻痺しているのにも関わらず

舐められたく無いという心は

たかがカカシと周囲には思われている

そのカカシの何処かにあるのだろうか。

そして人を傷つけないような

人柄がお顔に現れていて

私が思うに冷静な判断が下せて

賢いのにも関わらず

人に振り回されるばかりか

ボロクソになりながら生きているに違いない。

そして、たまに死について考える。

ノリでは「一緒に死のうね〜」

などとあるのかもしれないのだが

実際は1人で死を迎えるものなのだと

たまに思う時がある。

カカシはああ見えて、

プリッツの誘惑にも負けないのだろう。

そして、

ハゲをかくしている黒く上に長いハットは

中にカラスでも入っているのだろう。

こんなにもボロボロに痛みを知りながらも

『反骨精神』が育ちながら

人様のお役に立てられる様に

生きるその姿は尊い極まりないのである。

【無職ぺーぺーぺーぺーの自分さっさと働け‼️】

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今日は、秋分の日である。

先ほども“死”について少し考えたのだが、

今日は私が生まれた出生地である名古屋の

地に足を運んだ。

本当はお墓参りをするといい日  

なのらしいのだが、

怖くて悲しくて足を運ぶことができなかった。

そんな自分が情けなく思う🙈

死について考えるとネガティブなことに

思われるかもしれないのだけれど、

どうせ死ぬのなら悪いことではないのだと

私は思う。

「死んだ人に会いたいか」

と聞かれると

急になぜか現実を見ている様に思う。

私は、死ぬのが正直怖い。

本当に本当に本当に本当に私は小心者だ。

だから死ねないだけである。

死は自分では選べない。

名古屋のおばあちゃんは

癌でお亡くなりになった。

幼少期の事だからうっすらの記憶でしかない。

「いつなにが起こるかわからない」

のが事実なのである。

今を生きたいのなら、今できることを考え

模索してうやむやに探しながらも

愚かな自分に言い聞かせ

どんなに何もできない自分の自尊心が

破壊しそうになったとしても

自立したカカシを思い出し

何にも負けずに生きていきたいのに…

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今日実際に足を運んだ名古屋の地は

実は母方の

お亡くなりになった祖父と祖母が

住まれていた場所である。

わたしが強くD N Aを授かったのが

お母さんのお父さんであり

私のおじいちゃんである。

そのおじいちゃんは

お腹がポンポコリンになるまで

ずっとむさぼりピーナッツを食べていた。

いわゆる爆食である。

「死ぬ前に何がしたい」

という表紙の本を読んだことがあるのだけれど、

それが目先の欲望である爆食になってしまい

「これはおじいちゃんの遺伝子だ🧬」

といっても過言では無い。

されど、尊敬崇拝するのは帽子🎩の中に

カラスが入っているのであろう

細身のカカシである。

どうしても愚かなほど目先の欲望に浸ってしまう

私なのだが

過度なほど謙虚心を大事にされている

カカシのように繊細な心がへし折られようとも

どんなに酷い仕打ちに遭われようとも

負けじと起き上がれる

そんな私になるのが

生涯を通しての目標である。







  





歩実




#実はファイター?
#負けないその姿
#カカシ
#生涯の目標



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