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心の余裕がなくなって小さなモヤっとがスルーできない

こんにちは、とある大学院生です。
先日修士論文の口頭試問が終わり、
無事に合格をいただきました!
修了することができそうです。

しかし、口頭試問でご指摘いただいたところを修正したり、
分析の甘い箇所について再度検討し、
3月までに提出する必要があり(←こちらが本提出というシステム)、
終わった感のないまま日々過ごしております。

年度末でさまざまな書類関係を作成しつつ、
また、4月からの新生活に向けて準備も進めつつ、
修士論文修正しつつ、
というなかなかハードなスケジュールで動いております。
そして、年度末ということもあり
飲み会系も多くなかなかにあわただしい毎日です。

そんな時、自分の心の余裕がなくなっていることにふと気づきます。
生きていると、小さな「モヤっと」がたくさんあるわけなのですが、
その小さな「モヤっと」をスルー出来なくなってしまうのです。
スルー出来ないどころか、過大に受け取ってしまって、
何度も思い出してはモヤモヤ・イライラしてしまう。

その小さな「モヤっと」は本当に些細なことで
例えば店員さんの言い方がきつかったりとか、
楽しくおしゃべりしていた時の友達の反応が微妙だったりとか、
電車に1分だけ間に合わなくて乗れなかったりとか、
時間に追われているのに忘れ物して同じ場所に2回も行ったりとか、
そういう、いつもなら「まあそんなこともあるよね」と流せることが
なぜか受け流せなくて、
いつまでも心にちくりと刺さってしまっているような感覚。
しかも、モヤっとするのは1回でいいのに
自分から何回も思い出しては何回も自分の心を傷つけてしまうという悪循環。


「モヤっと」を感じてしまった時の
店員さんとか友達とか
もうその場面すら忘れているかもしれないのに、
自分だけがいつまでもその場面を反芻してはチクリチクリと痛がっている。なんなら1分だけ間に合わなくて乗れなかった電車なんて
私のことなど知らないし何も思っていない。
家だって忘れ物して返ってきた私のことを何とも思っていないのに。

スルーしようスルーしようとすればするほど、
そのことを考えてしまっている。
そんなこと自動的にスルーできるくらい、
日々を充実させるのが鍵でしょうか。

まだまだ人生経験が必要ですね。
人としての”厚み”を増していきたいと感じる今日この頃でした。

ではまた。








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