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だいじょうぶ、だいじょうぶ。

僕の思い出の本は、「こんとあき」という林明子さん作の絵本です。あきという小さな女の子と、ぬいぐるみのこんが主人公です。こんは、あきが赤ちゃんの時から、遠く離れた「さきゅうまち」に住むおばあちゃんに頼まれて、あきのお守りをしていました。あきがだんだん大きくなるにつれて、こんは、古くなっていきました。ある日、こんの腕がほころびてしまったので、おばあちゃんに直してもらおうと、こんは、あきを連れ、汽車に乗って出かけます。こんは、あきを不安にさせないよう、健気に振舞いますが、旅の途中、様々なハプニングが二人を襲います。でも、最後にはちゃんとおばあちゃんのうちに辿り着ことができます。旅の途中でよりひどくなってしまった、こんのほころびをおばあちゃんに直してもらい、みんなでお風呂に入って、ぺちゃんこになった、こんの尻尾も元どおり。できたてのように、綺麗なきつねになったこんと大冒険を終えたあきは次の次の次の日に家に帰った。というお話です。



僕は、幼い頃この本が大好きでした。まず、心揺さぶられるストーリー。4,5歳かと思われるあきがこんと二人で汽車に乗って、おばあちゃんのうちに行くなんて幼い子にとっては大冒険。母親から離れるのが怖かった僕はあきにすごいなという憧れがあったのを覚えています。次に、絵のタッチ。林明子さんの様々な感情をかき分ける絵が好きでした。この絵本では、こんをおんぶして夕日を背に浴びながら一人砂丘を降りて行くシーンが不安と、あきの小ささを感じてとても好きです。そして、最後、もっとも印象深いのが、この絵本の中に、こんの「だいじょうぶ、だいじょうぶ」というセリフがたくさん出てくるところです。

--腕のほころびが見つかった時(本文7p)
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
こんは、へいきなかおで いいました。

--お弁当を買いに行ったあと、こんの尻尾が汽車のドアに挟まれてしまった時(本文16p)
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。おべんとう、まだ あったかいよ」

--砂丘から犬が突然出てきた時(本文26p)
「あきちゃん、こわがらなくても だいじょうぶ。ぼくがついているからね」

--砂丘に埋まっているこんをあきが抱き上げた後(本文31p)
「ほら、うみが 見えるよ」
ときが いうと、こんは また、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、いいました。

こんは、あきを不安がらせないために、大丈夫という言葉をたくさん投げかけているのだと思います。でも、同じ言葉でも、場面によって本当に大丈夫なのかそうではないのかは全然違って描かれています。それは小さい頃の僕にもわかりました。それは場面によって声の調子を変える母親の読み聞かせがあったからです。こんの気持ちがとてもよく伝わってきたのを覚えています。


大学生になった今、生きている社会は本当に空気を読むところだと実感しています。友人関係でも、男女関係でも、本当に大丈夫なのかそうでないのか見極められることはその後の関係を左右すると思います。返事だけ聞いて「大丈夫です。」でも、表情や声の調子はどうなのかとその人の様々な雰囲気をトータルして考えなきゃいけないと感じています。僕は幼い頃から良くも悪くもそれをしていました。それは、この絵本の読み聞かせで、人の気持ちを感じ取ることが自然と身についたからなのかもしれません。


今、こんとあきを読んでみると、自分の中の好きという感情にもう一度目を向けてみるのも良いなと思うようになりました。それは、この大好きな絵本から、自分の大切な感情が育っていたという事実に気づいたからです。今、就活やスキルアップのために様々な勉強をしていますが、もしかしたら本当に大事なものは自分の外ではなく内側にあるものなのかもしれません。この先、自分の本当にやりたいことを探して生きて行くのはきっと大変だと思うけれど「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と僕に語りかけてくれたような気がします。

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