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「働く」についてアラフォー(38歳独女)が考えていること。
こんにちは、ケセラセラ子です。すっかり秋めいてますね。
今回は、最近私が考えていることを急に投稿します。備忘録です。
38歳独身にもなると、色々経験がある故に、悩みが深みが増します。
※私の簡単な自己紹介はこちらにあります、たくさん読んでくださってありがとうございます…!
「アラサーの転職」「アラサーのキャリア形成」「アラサーからの留学!」とか色々目にするのに、「アラフォー」ともなると、そういったメディア記事とか少なくなりますよね。なんでだろう…といつも思ってます。諦めも大切だという裏メッセージなのかな。んなことないのに。
「働く」についての気持ちを赤裸々に記録的につらつらと書きます。少し長いです。(ちょっとテンション低めに見えますが、前向きです!)
来年39歳になる
私は今、38歳である。来年の3月を迎えると39歳。
気づいたらこの年齢になっていた、これが正直なところである。
22歳で4年生の女子大学を卒業して、基本的には働いて過ごしている。実に期間16年。早すぎる。
最近、改めて自分の「働く」について考えることが多くなった。
というのも、「働く」に関してずっと大なり小なり悩んでいたからだ。
「働く」悩みっていうのは、答えのない悩みだったり、、何に悩んでいるのかよくわからない状態が多くて、個人的には悶々とした好きではない感情。
20代は、
何ができるのかもわからずがむしゃらに突き進む日々。色々仮説を立てて動いてきた。
やりたいこと=できることじゃかった。
すきなこと=向いていることじゃなかった。
できること=やりたいことは気にしなくていいの?
向いていること=そんなの自分じゃわからない。
等々、ずいぶんと悶々と過ごしたし、ずいぶんと転職もした。
正社員もしたし、派遣社員、契約社員、アルバイトもした。
悩んでいる自分、仕事が続かない自分が情けなくて、友だちに仕事について話したくない日々も多かった。
もがきながらも、でも30歳になる手前くらいから、
「できること=向いていること?」という仮説がたっていった。
理由は、力まずに自然に仕事をこなせたからだ。仕事も初めて長く続いた。
なので、あえてこだわりを捨て、遠くを見ずに、目の前にあるものをこなしていくというスタンスで仕事をしていった。
30代になった。
「できること」が職種に結び付いてきた。
しかし、一応はできているけどとても疲れるし、ときよりすごく不安定になって、自分の意義だとか、回りの成功者のまぶしさとの差分に、すごく疲弊するタイミングがあった。
誰も何も悪くないのに、何にこんなテンションが下がっているのかわからないし、欲しい答えも明確にはわからないし、どこに向かえばいいのかわからない日々が待っていた。
承認欲求に支配されていた
「私は●●という職種で、●●という仕事をしています」とずっと言いたかった。
正直に言うと、ずっと何者かになりたかった。
他人に「何者か」示すこと、ほめてもらうこと、感謝されることで、自分を認められた気になっていた。外的要因で、何かを判断されること、評価されることが自然になっていたと思う。それが快感だったし、何より明確だった。そして当時の自分はそういうものが欲しいと思っていた。
今、「私は●●という職種で、●●という仕事をしています」と言える。
欲しいものが一旦手に入った。んだと思う。ちょっとした目標達成だ。
でもどうだろ、欲しかったものを手に入れた今、私は全然楽しくない。
楽しいなんておろか、この状態の自分がなぜか大嫌いで、ちっぽけな目標を掲げていたんだなとやっとわかってしまった。
他人からの評価なんて、なんてつまらない物差しを気にしていたのか。
自分で言うのも情けないが、気づくのが遅い。
でも、私は自分で実体験しないと納得しないし、理解できないタイプなので、こうなるのは仕方なかったとしか言えない。
こんな状態で半年後には39歳になってしまう。
このままでいいの?と、ふっと頭によぎる。
「働く」の2つの意味
「働く」という意味のなかには、「労働」「仕事」の2つに分かれると私は考えている。
よく言われる「ライスワーク」と「ライフワーク」という考え方だ。
「労働」:生活のために働かなきゃいけないもの(ライスワーク)
「仕事」:働くことで自分が豊かになるもの(ライフワーク)
おそらく、今の私は「働く(ライフワーク)」が欲しくなっているんだと思う。
(大前提として有難いことだけど、時として神様は意地悪だと思うが)私の回りには自分自身を豊かにするような「働く(ライフワーク)」をしている人ばかりだ。
そういう人は本当に楽しそうで、そんなものを見て感じるたびに、神様に「あなたも“こっち側”見たくないの?」「諦めちゃうの?」と言われているようだ。
神様は、「悩むこと」を諦めさせてくれないのだ。
38歳になったら色んなことを諦めて、悩みなんてなくなるって思ってた。
明日の朝が楽しみ?
ただ、冷静に考えると、労働において「できるからやっている」ことはもしかしたら、「向いていること」なのかもしれない。これは経験上、たぶん正解だと思う。特に細かい指示をもらわなくても、65点~70点くらいは自然にとれるような感覚だ。
この状態がずっと自然に受け入れられる人は、このまま働くのが一番自然でいいと私は思う。
でも、今の私は、今の労働は別に苦痛でもないけれど、
「明日の朝が楽しみだな、早く明日にならないかな」
みたいな感覚はほとんどない。
10年後も今のままこうしたい?と言われたら、迷わず「NO」というだろう。
「しない」こと、「する」ことを整理する
今後、大切にしたいことの方向性を経験を踏まえて考えてみた。
この2つを明確にしていきたいなと現時点では思う。
※会社員である場合、難しい場面も多いと思うのだけど。
【1】できるからやっていることは「しない」(または選択できるようにする)
【2】本当にしたいことを「する」
20代にここまで悩めればよかったけど、私にとって「働く・労働する」ということを理解・消化するのに、割と時間がかかってしまったみたいだ。
今までは「誰かのために」「回りからどうみられるか」「日本での常識をおさえる」みたいな固定概念や、外的要因に支配されていたなと、冷静に思う。
他人は自分が思うほどに自分のことを気にしていない。ということにも気づけた。気にしてもムダである。
そして、さらに言えば、今更、結婚も出産もしていない私に「常識をおさえる」なんて当てはまらないのだけれど。笑
答えはわからないけど、明日の朝が楽しみになるように
「神様~、私はどこ行けばいいんですか?」と日々思うけど、それは自分が決めて行動するしかないのだ。色々と悩んでいるし、迷う日々。そして、会社員なので、粛々と働き過ごす日々。
アラフォーって、同じような境遇の人があまり多くない。同じタイプの相談できる人が少ないのもアラフォー独身の悩める事項かな。
(自由が故に迷える、自分に集中できるっていうのは贅沢で有難いことでしかないのは理解・感謝前提で。)
だけど、このままじゃ自分にとって、あまりよくないの状態なのは間違えなく言えること。
そんなことが徐々に分かってきた気がする。
そろそろ、重い腰を持ち上げて、明日が楽しみになるような、そんな毎日を過ごせるようにしたいとナチュラルに思う。
その方法が、
・職種を変えるのか
・仕事を変えるのか
・学びたいことを勉強するのか
・住む場所を変えるのか
・住む国を変えるのか
なんて、さらに何をすれば改善されるのかなんて、40歳手前でも見当つかずだし、わからないのだけれど。
わからないからこそ、自分が興味のあることにどんどん手を出してみようと思っている。そこから何か見えるかもしれない。
「点と点は線になる」ってリンゴマークの著名な人も言っていたのを信じてみようかな、時間とお金の許す限り。
そして、未来の私が「やってきたこと全てに意味はあるよ~!大丈夫!今とても楽しいよ~」と笑って言えるようになるために。
さて、今週はどこのサウナに行こうかな。
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宿泊もでき、サウナ温泉もあり、飲食も充実で、住みたいような施設でした。
3,300文字もの長文、読んでくださってありがとうございました!
ケセラセラ子