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涙の連鎖〜私達のコンラートが亡くなった時〜 Kette der Tränen ~Als unser Konrad starb~

【宣材写真を撮っているときに偶然出会わせた先生】
若かりし頃の土田とK.ヒュンテラー

2020年11月23日21時頃、Facebookメッセンジャーの音声通話の呼び出し音が鳴った。

見るとドイツ時代の同門の韓国人フルーティストS.K.からだった。

S.K.は号泣しながら私達の恩師コンラート・ヒュンテラーの逝去を語った。「Konrad ist gestorben.」
私は驚きのあまり言葉も出ず涙も出なかった。

コロナ禍で扁桃体(大脳辺縁系の恐怖などのネガティブな感情を司る部位)が過敏だった私は、きっと反応を弱めるために必死にコントロールしていたのかも知れない。

翌日、京都でのレッスンの空き時間に同門のフルーティスト塩見 峰子さんに電話をかける。
私は京都の街中で大号泣しながらそれを伝え、塩見さんは昨日の私と同様、呆然と沈黙していた。

塩見さんとの毎月1度のバロック・フルート勉強会はそれを期に始まった。

【2003年のクラスパーティー】先生のお宅にて

私は1999年11月からフライブルクのゲーテ・インスティトゥートでドイツ語を学ながらドイツ各地、音大教授とコンタクトを取る旅に出ていた。2000年冬学期のための入試で合格し、ヒュンテラー教授の下で2006年12月の卒業試験までモダン・フルートの薫陶を受けた。その当時、音楽学校講師として生計を立てていた私はその傍らバロック・フルート(1鍵式)のレッスンを2008年4月の完全帰国の頃までコンラート(卒業後はタメ語になった)の自宅で受けていた。

歳を取った土田

バロック・フルートを再開して4年。私達のコンラートが亡くなって4年も経った。

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