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「同性婚の祝福」という戦場

年末にローマ教皇庁が「祝福」についての文書を発表したことが、教会内外に波紋をもたらしています。問題の文書は、教理省宣言Fiducia Supplicans〜祝福の司牧的意義について(2023年12月18日)。カトリック教会は同性婚を「秘跡」として認めないものの、同性カップルの門出に教会が「祝福」を与えることについては賛否が分かれている、という状況下で出されたものです(Christine SchmidtによるPixabayからの画像)。

「バチカン 同性婚祝福の承認理由」ラクロワ誌、2023年12月19日

「宣言」の発表翌日に出されたこの記事は、その内容と性質について解説しています。これによると、本宣言は、初めてバチカンが公式に同性婚カップルの祝福を明確に認めた一方、「結婚を構成するものとの間に混乱を生じさせない」ことが条件で、「市民法による結婚式と同時に行われるべきではない」「結婚式らしい衣服を着用してはならない」など条件付をすることを忘れず、この祝福の儀式書を準備する意図もない、とのこと。
とはいえ、「単純な祝福を通して神の助けを求めることのできるあらゆる状況において、教会が人々に寄り添うことを妨げたり禁止したりすべきでない」とも述べています。ここでは、カトリックの儀礼(典礼)における「秘跡」と「単純な祝福」を区別する、というロジックとなっています。
同じ祝福は、離婚して再婚した人(教会で結婚した人が離婚することは難しい=結婚の不解消性)にも向けられているのですが、祝福を与えられるからといっても、離婚再婚者に関する教義が変わったわけではない(すべての離婚再婚が自動的に認められるわけではない)、ということも強調されているのが特徴と言えるでしょう。
祝福は「神の霊の衝動に由来する援助を、神が与えてくださるようにとの願いを表すもの」で、その目的は、「人間関係が成熟し、福音に忠実に成長し、不完全さや弱さから解放され、神の愛の次元がますます高まる中で、人間関係が自らを表現するようになること」とのこと。教義は変えず、しかし助けを求める人を排除しないという「落とし所」な感じがします。

「バチカン 同性カップルと離婚再婚者への祝福について弁明」ラクロワ誌、2024年1月5日

上記「宣言」から2週間経ったところで、教理省は声明「『Fiducia supplicans』の受容に関する報道発表」(2024年1月4日)を出しています。多くの批判を受けたもので、各批判は理解できるとしつつ、これが教義の変更ではないことを説明しています。
記事にある通り、「宣言」は西ヨーロッパでは好評で、アフリカの司教団は各地で大反対をしています。上記声明も、こうした地域や文化的背景を考慮し、受け取りに時間を要することに理解を示しています。同性愛関係自体が犯罪とされる国もあることに配慮を示しています。
「声明」は重ねて、この祝福は典礼ではなく、短く、目立たない形で行われるべき、関係自体にではなく、2人の個人に与えられるもの、とあらためて確認しています。一方で、離婚して再婚しているカップルが失業や家庭の問題を抱えて司祭に相談にやってきたときに、この2人のために神の恵みを願って祈り、各自に十字のしるしをすることを否定することに意味があるか、と問うています。

「祝福する同性愛の司祭はどうなのか」ラクロワ誌、2024年1月6日

「ローマからの手紙」コラムで、ミケンズは今回の「宣言」後の状況はかなり否定的だと解説しています。
確かに、この祝福についての「宣言」で喜んだ人たちはいるものの、教義自体には手を付けないことで、相変わらず同性愛は「本質的な道徳的悪に向かう多かれ少なかれ強い傾向」であり、同性愛行為は「道徳的に受け入れられない選択肢」という差別的な扱いは変わらず、離婚再婚者が一定の秘跡から排除されることも変わりません。「宣言」は、自分たちの地位の正当性を主張してはならない」と規定しているものの、同性婚カップルや離婚再婚者が祝福を求めるのは、信仰共同体に自分たちを認めてほしいからに決まっている、とミケンズ強調しています。
一方、「アフリカのほぼ全域、東ヨーロッパの大部分、ラテンアメリカとアメリカの一部の司教たちは、この宣言の発表に憤慨して」おり、これに同調する著名カトリック信徒も含め、同性愛憎悪的な発言を引き起こしているそうです。結局、やぶ蛇、パンドラの箱、となってしまった様相です。

◎所感

この「宣言」ではまったく足りない、という当事者たちの怒りはもっともでしょう。他方、その程度の「変化」でも、世界中でかなり深刻な分裂を生んでいることも事実です。トップダウンで、文書を出すだけでは、まったくもって方向転換できない、カトリック教会の「体質」がよく現れたのではないでしょうか。なにかやろうとすると、これが前提となるわけで……。

「教皇の批判者は同性愛者も教会の一部であることを理解しない」ラクロワ誌、2024年1月17日

最後はフランスの社会学・神学者シュリーゲルによる、教皇を批判する人たちへの応答です。
フランシスコを批判する急先鋒は決まっていて、今回も前典礼秘跡省長官のサラ枢機卿もその一人です。記事によると、サラ枢機卿は自らを「脱キリスト教的で退廃的な西洋が推進する非人間的なイデオロギーに対する、アフリカ大陸の伝統的価値観の代弁者」だと述べており、「同性愛カップルにも、『回心』のプロセスに着手していない個人にも祝福は与えられない」と結論づけているようです。シュリーゲルは、こうした「伝統的家族の価値観、同性愛の激しい拒絶」の主張は、「堕落した西洋を糾弾する」プーチンのよう、とまで述べています。他にも、ミュラー枢機卿、フランス・バイヨンヌのアイエ司教らが、今回の「宣言」を、「異端」「偽預言者」呼ばわりしています。
西側の司教たちは概ね、今回の離婚再婚者などの「例外的な」カップルと同性愛カップルへの祝福に共感を示しているものの、結論が出るまでは祝福を与えようとはしない、というのがシュリーゲルの見立てとなっています。
3点を指摘してます。
1)批判者たちは、教皇が啓示された真理、神学、人間学を無視していると主張するが、教皇は人間の尊厳を、その倫理的ビジョンの中心に据えており、それは、20世紀以降、多くの神学者や哲学者がやってきたこと。
2)批判者たちは、同性愛者が教会の「外部者」でも「異物」でもないことを理解していないこと。彼らも教会家族の一員であり、ともに歩むべき存在であるのに。
3)批判者たちは、同性婚や離婚を認めている多くの国の民法を無視していること。80年代、女性と子どもの新たな権利を教会は無視し、それが現在露見している虐待の一つの温床になったことを忘れてはならない。

以上、傾聴に値するのではないでしょうか。

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