教皇 「識別」一色
年末年始に教皇フランシスコが行ったメッセージで、あらためて「識別」が強調されました(👆congerdesignによるPixabayからの画像)。
「教皇 ローマ教皇庁に対し全能感幻想を警告」ラクロワ誌、2023年12月22日
これは、年末恒例となっている、ローマ教皇庁高官たちに対する、教皇の「きつい一撃」です。教皇となった翌2014年に出された、教皇庁の「15の病」(たとえば、自分を不老不死と思う病…)は、世界中でニュースになりましたが、ことしは、高官たちに自著をプレゼントし、もっと謙虚になるよう、呼びかけたそうです。謙虚になるための秘訣が、「識別」となるわけです。
「識別はわたしたちから全知全能の幻想を取り去り、単に規則を適用すれば十分だと考える危険性から、また、教皇庁の生活の中でさえも、わたしたちがいつもしてきたことをただ繰り返すことによって続けようとする誘惑から、わたしたちを引き離すことができます」
<識別>とは、いろいろな説明ができると思いますが、一つには、<なにかを選択をするときに、それは自分の望みか、神(人間を超える何か)の望みかを、祈りのうちに見極めること>といえるでしょうか。材料としては、宗教的聖典、宗教伝統、人間の理性、人間の経験、といったことになります。
教皇は、信者たちが「安心・安全ゾーン」にとどまることを厳しく批判します。「信仰はわたしたちを 『快適な領域』から引き出してくれるのです」。
硬直的な官僚主義に陥り、中央集権的な命令調になる危険性を繰り返し糾弾し、時代の変化と世界の多様性に応じたダイナミズムを取り戻すよう強調しています。
「恐れ、硬直性、単調さは、不動さを生みます。『識別力』は、たとえ教皇庁の仕事であっても、聖霊に従順であること、世俗的な基準や単に規則を適用することではなく、福音に従って手順を選択し、決定を下すことを助けるべきです」
◎所感
「識別」に重きを置くのは、とてもイエズス会的な霊性に沿ったもので、すべてのカトリック信者が納得できるか、難しいかもしれません。が、逆に、教皇の徹底した生き方、求めている信者のあり方が伝わります。
「『識別』の重要性を強調、教皇、控訴院関係者に」バチカン・ニュース、2024年1月25日
これは日本語になっている記事ですが、年明け後にバチカンの教会裁判に関係する司法関係者に向けても、厳格主義や先入観から解放されて、識別が大切であることを述べています。
「裁判官の識別力には二つの大きな徳が要求される、それは慎重さと正義である。そしてこれらは愛(カリタス)から形作られていなければならない」、「正しい識別は、たとえその判決が否定的な時でも、司牧的な愛の行為を伴う」
◎所感
裁判は、成文法と判例に従って行われるべきものかと思いますが、そこにも宗教的方法を採り入れていくことが望まれるのか、と思います。教会法については門外漢ですが、こうした教皇のアプローチはそれほど主流的な考え方ではないのでは?と思っています。