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ケ・セラ・セラ
釣りがしたいと周りの友人たちに言い続けて一年が経とうとしている。
一年前にインターンをしていた時、毎朝毎昼毎晩、総武線の車窓から見える釣り堀を眺めていた。
大抵はおじさんたちが小さい小さい椅子に座ってのんびり釣りをしているんだけど、たまーにスーツ姿の女性だったりがいて何故こんな時間にスーツ姿で釣りをしているのだろうと勝手に想像していて、猛烈に印象に残っていた。
いつも思うことではあるけど、釣りをする時の椅子ってどうしてあんなに小さいんだろう。
みんながみんなそうではないけれど、大抵のおじさんたちは窮屈そうにお尻をそれにおさめている。もっと大きい椅子はないのかな。
日々「やらなければいけないこと」に頭の思考部の大半を奪われながら手や足を動かしている。
それが嫌なわけでもないし、わたしみたいな人間が息をするにはそういった”窮屈さ”が大切だったりもする。それは自分でもわかっている。
流れるがままに流されていくことの難しさってあって、流れ続けるためには思考を止めなければならないこともしばしある。わたしにはそれがどうにも向いていないのだとここ数年で悟った。
思考停止ぎみというと良くないことのように言われるけれど、わたしはそうは思わなくって。
「問題」を放置してないものにするという意味の思考停止ではなく、「問題」はあるけれどその「問題」に全神経を集中させてどうにかしようとするのではなくひと息つきませんかみたいな思考停止というか、沖縄の「なんくるないさ」とか、「ケ・セラ・セラ」とか、Eaglesの「Take it Easy」みたいな。わたしって本当に語彙力がない。でも、伝わればいいな。
釣りをしているおじちゃんたちからそんなケ・セラ・セラを感じて、日向に当たりながらのんびりと時間が流れていく感覚を感じることをしたいと思った。
わたし、ケ・セラ・セラだよ。
キミも、ケ・セラ・セラ。