あとがき
10月6日。今日を持って、西山公園での野外展示、まちなか芸術祭の開催期間が終了する。この機会に合わせて、出展依頼があったので、せっかくなので、大きめの作品を作成して、展示することにした。ちょうど、今年の前半は能登半島のボランティアに頻繁に参加していたため、眺める海の景色からつながりを意識できないだろうかということで、二色に別れただけの色のコンポジションの作品を提出した。水平線を描いたそれは、言葉の思考の中で、ぼぉっとその海をながめているときの印象を描いた。
その日は、福井県の保存建築勉強会に参加している予定なので、その作品の最後は夜が更けてから行うだろう。雨が降らないといいな。
展示を緩やかに終えるわけだけれども、実際の所感としては、在廊しているわけでもなかったため、本当に置きに行っただけのことになってしまって、得られた知見というのは、野外展示の時のコツくらいで、それもまたちっぽけなものであるから、それに参加してよかったとか、そういう感想が言えない程度に非常に空虚に終えるのだなと思ったとき、非常になにか物悲しい何かを感じ取った。
まるで独り言のように作成して置かれたそれの虚しさというのは、意外にもこのようにして顔をのぞかせるものかと、驚きを隠せない。自己満足で終えた作品の展示は、誰からも意見されることなく終える。
もちろん、本当に誰からもクリティークをいただいていないわけでなく、この作品を教えて来てくださった方もいる。それは直接の知人であったために、確かに議論というか掘り下げ程度の言葉のやり取りはあった。
けれども、ここに来て、展示しただけの充実感のなさは、まだ私にとって不十分な結果であったということでもあるとは思う。
ん。結局、その美術というか芸術を作成する側でいたい自分がいたのだろうかということを考えている。なんというか、建築を設計している時の方が楽しくて、ついそっちに向いている私を凝視して、それと比較して、やっぱりこれじゃないなと感じているんだろう。今目の前に置かれている不甲斐なさは、それの快感と比較している。もちろん大きな絵を描くという技術が私に備わっていないということもある。今の自分はせいぜい建築の作図を行う程度しかできないということも事実だ。
振り返ってというか、今の自分の思いを口にしてみようとすると、この展示と、美術作品の作成について、そのような時間を割くということがあまり好きでなさそうということが分かったんだと思う。今私は、設計と、建築史を追うことに夢中になっていて、留学に向けて準備しているだけであるから、それだけが成就すれば、それでいいやという思いになっている。残された時間を考えて、それに集中していきたいという思いが強くなっている。
この歳になってようやく、腹が決まったんだろうと思う。それで、どうしても、今この行為に対して満足感を得たくない、気にしたくないという思いなんだ。
遅いよなぁ。まだ間に合うかな。