*Chai Teapot

2021.07/25〜 お茶だよ〜 記事未満、エッセイ未満を書きます。

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最近の記事

なんて言ったらいいか…

 彼女と別れてから随分と経ったあるひに偶然ばったりと、しかも山奥の本当になんで居合わせてしまったのか分からない場所でばったりと出会ってしまって。その時は傷口を塞ぐようになんともない素振りで振る舞ったけれども、あっちの方は車をみて既に分かっていたみたいで、それとなく嫌な気持ちになる。その沈黙も実際は理解できる事で、何も言わないことが接点を作り出さないことに非常に有用に働く。 (これいつの日記なのかわからないけれど、併記してあったので残しておくことにしよう。雑多な方が面白いかもね

    • 日記 20241027

      001 一昨日、U35を見に友達を誘って行った。後日談だけれど、その当時関西にはたくさん友達が集まっていたらしく、地元の連中を連れていくのを少し後悔した。いやもちろん大事な関係性の奴らなので、優劣を明言するわけにはいかないのだけれど。たまにしか会えないという点において、フォロワーの方が価値が高かったりもする。SDもその土曜日が最終の開催だったらしく、それとどちらかを聞いたところ、交通の便が立つ梅田への旅行となった。SDの方は、それもフォロワーがすでに活躍の場として出展している

      • あとがき

        10月6日。今日を持って、西山公園での野外展示、まちなか芸術祭の開催期間が終了する。この機会に合わせて、出展依頼があったので、せっかくなので、大きめの作品を作成して、展示することにした。ちょうど、今年の前半は能登半島のボランティアに頻繁に参加していたため、眺める海の景色からつながりを意識できないだろうかということで、二色に別れただけの色のコンポジションの作品を提出した。水平線を描いたそれは、言葉の思考の中で、ぼぉっとその海をながめているときの印象を描いた。 その日は、福井県の

        • 中野本町の家をよんだ

          伊東豊雄の実の姉のために設計された家が中野本町の家である。G邸だったり、形のシンプルさからWhite Uと海外で紹介される。(以後当該建築を「G邸」とする)この家についてのインタビューその他付論を併せて綴った「中野本町の家」という本を読んだ。伊東は、この建物の設計と解体を通して、彼の中の建築の在り方の極致とその言語化に成功し、また非常にまれな住宅であったことを語っている。 伊東豊雄といえば「消費の海を浸らずして新しい建築はない」という論考を描くほどに、彼の印象は薄くて軽い、そ

          装飾について考えてみたい

           過去には、建築におけるいろいろな主義が存在して、いまや、それらは合わさったり全く違うものだったりして、実際に、現在ではそれらを体系的に表すことや一主義に沿って説明されるということはなくなりつつあるように思う。日本人に限らず誰もが彼ら自身の描きたい線を紙面の上で展開して、図面と呼ばれる設計図を作成するということが当たり前になった。それらは一様式に沿っていわゆる秩序を考える必要性もなくなったし、それらに対する回答としての正解もなくなってしまった。  今や、そういう政治的なイデオ

          装飾について考えてみたい

          少し悲しかったこと

          例えば、憩いの場所が必要なのだとして、お祈りの場が必要なのだとして、それらはどのような空間、空気間が漂っているのかを考えてみてほしい。そうして考えてみたときに、お祈りの空間や、あるいは落ち着きのある空間は、ルイスカーンの説くところのRoomであって、自分の他に誰か他者が誰かいて、そして閉ざされ、再び開けられるところの窓が一つ、いくつあってもいいのだけれど、窓があるような。とにかく反省的、自省的な空間になっているのだと思っている。その中には、その囲いが誰によって作られたかとか、

          少し悲しかったこと

          20240602

          建築というものに憧れてなんとなく、色々と考えてきた 私たちは建築を作る人たち及びそれに関わるすべての人たちに、今関わっている仕事や行いに一生を懸ける価値があると思って、それは所謂誇りを持って、持ち続けてほしいと思っている。しかもそれは首都に限らずすべての場所においてである。 私という人間は、建築をあるいはその構造物の思った通りの形を実現するために、技師として成長していきたい。 社会貢献という中の、思い通りの形を実現させることのできる構造設計師として、貢献していきたい。 そ

          20240611

          なぜかおじいちゃんと心のタイミングが合うのかっていうと、どちらもタイムリミットを感じているからだと感じる。あと2年で〜とかをよく口にしているように振り返ってみた。 でもその一方で今抱える仕事はいわゆるゆっくり急ぐというようなロングランであることを前提としているような気がする。長くゆっくり考えて、結果が出たらそれに向かって前進していくんだという感覚。それってとっても長いスパンでものごとを考えているなと改めて感じてみると、仕事と年齢の時間の質というか肌触りが全く異なっているように

          重箱の隅を突くコーナー 1

          はじめに 私の色々と興味のあることを適当にいってみるコーナーです。私なんてのは正直いって歯牙にも掛けない存在ですので、気に食わないと感じたらすぐにブラウザバックしていくださいね。 1.メモ フェミニズムという運動に向かって進む私たちの社会によって、性別は錯綜し、入り乱れて、その境目が若い世代を中心に、あるいはその社会に迎合するという形を伴っていよいよその輪郭線をはっきりさせようとしている。その中で、フェミニズムという運動そのものは男性として生きている私にとっては非常に触れづ

          重箱の隅を突くコーナー 1

          20240630

           昨日と今日にかけてこの部屋に溜まっていた、色々な備品を処分した。主に今回は私の両親と父親の弟が残していった、おじいちゃんちの様々な漫画やコレクターアイテムであった。中には私の好きなものだったり、見ておきたかったものがあって、それらは残された。私のコレクションの一部になるかもしれないし、捨てられるかもしれない。なんにしろそれらは25年前、この家とわたしがちょうど生まれた頃の物だから値打ちがあるとはいえない。尤も値打ちだけて判断できる物でもないけれども。  そうしたら、部屋がと

          私の家族のこと

           弟が結婚してから、家族は変わったように思う。なんとなく、そのつながりを意識するようになったし、何より家族との連絡を密にするようになった。実際には年も以前よりは取っているし、兄弟の環境も変わって行ったり、当本人は引っ越しして家族とも少し距離を置くようになったし、この2、3年は変化の連続だったように思うけれど、それにも増して、弟の結婚は私たち家族にとっては衝撃だったんだろうと振り返ってみる。  何が一体そんなに変わったかというと、弟が嫁の物になったという感覚だと思う。私の兄弟

          私の家族のこと

          京本はどこにいる?

          「なぜ描くのか。」みたいな問いは、私たちが何かしら行き詰まった時の、ちょっとした、けれども大きな自信につながるという感覚がある。色々なことに悩まされたり、人からの貶すわけでもないかもしれないが、きこえてくる少しうざったいくらいの会話だったり。そいつらを跳ね除けるほどに私たちを気高く保たせてくれる魔法の言葉が意外にも存在する。  なぜなのかの問い、ここでは描き続けることだったけれども、のその答えは隣に京本がいて、彼女がいつも、すごく喜んでくれたから。そんなにはしゃぐなんてちょ

          京本はどこにいる?

           雑記20240428

          ◇珠洲市での話 ボランティアに行ってきた。この年になるまでボランティアという行為は身近にあるものではなかった。チャリティー自体は手慣れたものではある。 現在4月27日。地震があったのが、1月1日なのでほぼ5ヶ月が経とうとしてた。これは振り返って思うことだったが、まだボランティアの募集をしていたということになる。 ボランティア自体は難なく終えることができたが、町の家屋は依然として倒壊したままであった。5ヶ月になるにも関わらず。珠洲市はたぶん孤立している。 現地の人の聞き取り

           雑記20240428

          雑記

          設計者というか、構造に限らずそういう趨勢というか、情勢というかそういう話を4つ上の先輩から色々とご教授いただいた。結果を言えば結局私はそういうことに全くの興味を持たなかったというのが事実として残った。そしてそういう動きに敏感になるということ、情報を求めることに固執することは大雑把な設計業や建設業という立場に立ってみれば、非常に重要であることをお教えいただいたわけなのだ。その世間と呼ばれるものが小さいからといって侮ってはいけない、その侮りも結局は東京、ひいては都会という抽象的な

          20240223〜雑記

           推し活なるものを初めてみたいなと、ふと思ったわけではないけれど、そういうのを初めてみた。聞けば、毎日の生活が楽しくなるんだとかそうでないとか。まだ、初めて2週間も経ってないけれど、あんまり面白くはないというか、推していくというか、彼らはやはり遠い雲のようってわけではないけれど、身近にはいない人たちだよねっていうのがチラついてどうも自分には推していけないようだった。暖簾に腕押し。あとね、コミュニティの熱量というか圧というのか、そういうのがSNSでは顕著でそれをみてグッと冷めて

          20240223〜雑記

          夢のこだわり

          私には大きな夢がある、というのも嘘ではないけれど、それは叶わない夢のようであるがゆえにそれをおおきく口に出して言いたい訳ではないけれど、それなりに夢みたいなものがある.ただ、それはいつ放棄されるべきなのか、あるいはそれは持ち続けることができるのか、その代償はあったりするのだろうか.それは持ち続けて経過を見てみないとわからないものかもしれない.私の上司は「夢は叶わない.けれど何者かにはなれる」とよく口をこぼして私にこの先の行く末を教えてくれているような気がしている。今の所その夢

          夢のこだわり