雑記
設計者というか、構造に限らずそういう趨勢というか、情勢というかそういう話を4つ上の先輩から色々とご教授いただいた。結果を言えば結局私はそういうことに全くの興味を持たなかったというのが事実として残った。そしてそういう動きに敏感になるということ、情報を求めることに固執することは大雑把な設計業や建設業という立場に立ってみれば、非常に重要であることをお教えいただいたわけなのだ。その世間と呼ばれるものが小さいからといって侮ってはいけない、その侮りも結局は東京、ひいては都会という抽象的な概念のもつ強大さを比較して現れているにすぎない。それは現実と幻想を比較検討しているにすぎないことを突きつけられていた。
本当にタメになるなと思いつつも、そういう熱弁を聞いている中で、そういう地政学というか、政治学というのか、そういう事物に全く興味が湧いていない自分も同時に観測することによって、その情報を求めるその動機をたしかめたくなっていた。つまり私の中で全くそれが響いていなかった。
私の中でそういう趨勢や情勢と呼ばれるものにはできるだけかかわらず、全くのフラットであることを願いいたいと常日頃考えている。これがデフォルトであった。他の誰かの側につくなど言語道断、あり得ないと考え得ていることに気付いた。
先輩は、お前はこの福井という派閥の中のどこに属していくのかということを遠回しに聞いていたことになる。お前は福井という土地でその設計者としての覚悟を問われていたと考えていいと思った。そうでなければ柱の径の愚痴を私に教えてくれていなかっただろうし、福井の構造設計者は当てにならないと面と向かって、あるいは私がそれの代表であるかのように直裁的に表現されてはいなかったであろう。それは非常に私にとって悔しいの一言に尽きる。私が頑張ってその立場になろうとしていたその場所ではその環境が整っていないということを示唆している。
人は何かに属しなければ生きてはいけないし、より均質なフラットな偏見、あるいはバイアスというものは存在し得ない。仮にあったとしてもその人生の生き方にひどく悪い方向に影響を受けてしまうのだということを認めなくてはいけない時期が来たのだろうと思う、全てを曖昧にしてどうとも取れるような発言を行い、その関係性を保留し続けることの賞味期限のようなリミットは意外にも目と鼻の先にあることを感じている。
それを認めるのだということにした時、私は結局この福井で私の骨を埋めるという結果を許していないのだときづく。私が日々考えていた福井という場所でないといけない理由が実はなかった、さらに言えばある種の疎外感を感じていた理由がはっきりとしてきた。とうとう、答えが出た。
今年で福井を出る。それはこの場に対する思いがないから、結局振り切っていないのだと設定せざるを得ない、その質問を保留し続けるわけには行かない、行き先はどこへでもいい。とにかく今の場所から離れないと。
ということになった、それはさておいて、先輩とのお話の中で著しく私にかけているものが明らかになってしまった。これは言語化しておく必要がありそうだ。それは情報に対する頓着、執着というのかそういうものを求める気持ちが結局欠けていた。建築いどばた会議はそれに関して唯一なぜか情報収集ができて先手を打つことができた偶然の所業といってもいいのだろうけれど、これが他の行為においても全くその意欲がないことに気づかされた。福井を出るなら尚更この情報は必要不可欠になるはずなのに、どうしてかそこに情熱が向かない。金銭的な勘定が釣り合わないことがほとんどであったから、のちの分析ではあるけれど、そのメリットを感じることが少なかったのだろうと考えてみる。そういう未来の見えない話の事前準備とは全く意欲のわかないものではあるはずなのだ。しかし、今は状況が違うということを言わなくてはならない。それを行わないすなわち死と。考えても正直差し支えない、少しの情報も漏らさないとは言わないけれど、自分の思いに正直になってそれこそやっていきたいことの情報くらい集める意識を改革することは決して無駄ではないはず。
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