ただ進めば至る(96) 変形性膝関節症はよくならない
2014年5月29日 RUNNING DIARY
25kmランと17kmのウォーキングで完走した2011年のとくしまマラソンが85大会目でした。そのあと86大会目の2013年神戸マラソンまで、約2年間走れなかったわけです。2012年のはじめに主治医先生から、ランナーとしては死刑宣告に近い診断結果を言い渡されることになります。
2012年のRUNNING DIARYから抜粋
(1月2日)
スクワット90度×10回、ストレッチ
(1月3日)
調子がいいのでスクワット
(1月4日)
ウォーキング10分+7キロで250mラン
痛みなし!
(1月5日)
ウォーキング10分+7.5キロで200mラン+腹筋30回
少し重たい感じはしたが痛くはない
筋肉の張り感が少しある
(1月6日)
ウォーキング10分、ランはやめ
トラックで綾川まで。運転席から下りたとき痛くて歩けなかった。
(1月8日)
ウォーキング10分
(1月10日)
納期対応のため生産応援夕方から24時まで
(1月11日)
納期対応のため生産応援夕方から翌朝6時まで
(1月12日)
納期対応のため生産応援夕方から翌朝6時まで
この3日間の立ち作業が決定的だった。途中から痛くてたまらなかったが交替要員がいるわけではなく我慢して作業をしていた。数秒おきに横へ移動する動き、そして立ちっぱなしによる荷重が容赦なく膝関節軟骨を傷めつけた。
(1月14日)
水抜き28cc。ヒアルロン酸注入。
痛みに耐えかねて病院へいった。土曜日なのでかかりつけの病院はお休みで別の整形外科へ。そこの先生は、かかりつけの病院への先生への気遣いか応急処置的な処置にとどまった。
(1月16日)
かかりつけの病院へ診察にいき、MRI検査を受ける。
その検査結果を聞いて愕然としました。
そのときのSNSへの投稿です。
「先週の無茶な仕事で膝がまた悪化してしまって「いったいこの膝はどうなってるの??」と思って再度MRI検査を受けてきたんです。
そしたら・・・
診察室で見せられたMRIの写真は、とても残酷な現実でした。
先生は「もう走れません」って言いました。膝関節の・・・大腿骨の下の端っこ、軟骨があるべきところに真っ白なものが写ってました。そうです、軟骨がなくなってそのかわりに”水”が映ってました。 変形性膝関節症っていうやつでしょうか。半月板が悪いのかと思ってて、内視鏡手術で取り除いてもらったらまた走れるって思ってて・・「もう走れません」と 同情した目で言った先生の言葉が頭の中でこだましました。軟骨がなかったら運動できないことくらい素人の私でもわかります。絶望的現実。
ダメ・・・じゃん(。。;
仕事終わって家帰ったら、堰をきったように一気に涙があふれ出て・・・
めちゃくちゃ泣いてしまいました。嗚咽をこられることが出来ませんでした。
いまはどうしたらいいのかわかりません。何をしたらいいのかわかりません。
ランナーで無くなった事実をいつになったら受け止められるのか・・・
自分にはわかりません。」
その後のランニングダイアリーは、ひたすら水中ウォークとクロールの記録です。
(1月27日)
水中ウォーク30分(前、横、後)×3セット
といった具合の記録が毎日続いています。
(1月31日)
3/3回目のヒアルロン酸注入。これで半年間は効果があるという。
(2月13日)
水中ウォーク30分。
ほとんど痛みを感じない…走れそう。
もちろん、走れるわけないんですが。。
(3月2日)
水中ウォーク40分。
クロール1000m ←初の4ケタ、1000m泳げました
来る日も来る日も、水中ウォークの地味トレ。
記録読み返して、我ながらよくやったなーと感心します。
そんな中でもクロールの距離を少しずつ伸ばしていってました。どこかに「張り合い」というものが欲しかったんですね。
(4月26日)
朝から少し骨が当たる感じ。立ち上がるときに痛みを感じる。
現実ですね。
変形性膝関節症はよくはならない。。。
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それでも諦めなかった市民ランナーの話「ただ進めば至る」
ある市民ランナーがある日突然医師から「もう走れない」と最後通告を受けました。それはあまりに突然で衝撃的で愕然としました。暗黒の日々からふた…
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