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マーク・チャンギージー『〈脳と文明〉の暗号』を読む

理論神経科学者のチャンギージーさんが使う「文化」という言葉は生命体(専門用語で呼ぶなら「ミーム」)のようなものです。

スピリチュアルな見解を避ける彼の文化観が終章にあります。その「文化」を、「集合的無意識」と言い換えても、私は、読めるのだが。

異星人の研究者という想定を通じて、わたしたちが何者であるかがより明確になってきたと思う。現代人の本質は、共生する文化に根ざす。文化が発展してわたしたちの脳の中へ入り込み、既存の能力を転用しながら、あらたなものをつくりだしてきた。そうしてできた目に見えない文化的な〝生き物〟が、人間とたがいに影響を与え合いつつ、ともに進化を続けている――というのが、異星人の研究チームの結論だろう。宇宙には、共生する事物どうしの相互作用が数多くあることを知っているはずだ。
こうした〝生き物〟が、文化による淘汰を経て、人間の脳にふさわしく進化したにちがいない。そこまで理解した異星人は、続いて、この〝生き物〟がどうやって脳内に侵入したのかを知ろうとする。「文化的な共生要素は、どんな方法で脳の内部と接触しているのだろう?」やがて、答えが見つかる。「そうか! 自然界を模倣しているんだ」

――p.313 終章「わたしたちは何者なのか?」

それで、言語のあり方は、自然界のあり方に寄り添うかたちで落ち着いていることが、数々の検証によって示唆されています。たとえば、……

話し言葉は自然界を模倣しているという仮説が、ここでさらに信憑性を帯びてくる。人間のさまざまな言語の話し言葉は、固体の物理的な事象で生じる音にもとづいてできているばかりか、単語の〝サイズ〟も、自然界によくある事象とおおよそ似ているのだ。単語はふつう、相互作用の音――破裂音や摩擦音――がせいぜい五、六個くらいで成り立つ事象と響きが近く、たとえば音が一〇個も組み合わさった単語は珍しい。また、相互作用の音が一個のみという語もありうるけれど、二、三個ほど結合するほうが一般的で、この特徴もやはり、固体の物理的事象と共通している。

――p.125 第2章「言語は“ぶつかる”」

そして、彼は、音楽そのものにも言及しています。

前章から本章にかけて、音楽の成り立ちをめぐる検討を重ねてきた(「アンコール」の章でさらにもう少し論を進める)。第三章では、「音楽は動作音である」というわたしの説を披露し、ひとまず全般的な検証をおこなった。音楽の起源を正しく説明する理論ならば、四つの課題をクリアしていなければならず、わたしの仮説はそのうち三つ――人の脳はなぜ音楽を聞き取れるのか、音楽はなぜ感情を揺さぶるのか、音楽を聞くとなぜからだを動かしたくなるのか――に妥当な答えを出せることが確かめられた。続く本章では、第四の課題を取り上げ、音楽の構造上の特徴を解き明かした。おそらく納得してもらえたと思うが、人の歩行音と音楽とには共通点らしきものが大量に――合わせて四二項目も――存在する。――pp.297-298

――pp.297-298 第4章「音楽は“歩く”」

彼のように、理屈をこねないと納得しないのが男性です。女性なら、感性によって、いきなり結論をつかみ取るけどな。(どうなってんだか?)

以上、言語学的制約から自由になるために。