理論神経科学者のチャンギージーさんが使う「文化」という言葉は生命体(専門用語で呼ぶなら「ミーム」)のようなものです。
スピリチュアルな見解を避ける彼の文化観が終章にあります。その「文化」を、「集合的無意識」と言い換えても、私は、読めるのだが。
それで、言語のあり方は、自然界のあり方に寄り添うかたちで落ち着いていることが、数々の検証によって示唆されています。たとえば、……
そして、彼は、音楽そのものにも言及しています。
彼のように、理屈をこねないと納得しないのが男性です。女性なら、感性によって、いきなり結論をつかみ取るけどな。(どうなってんだか?)
以上、言語学的制約から自由になるために。