今回の記事は、過去の記事「アダム・カヘン『共に変容するファシリテーション』にて」のつづきです。カヘンは、スピリチュアリストだな。
その「その人を好きになる必要はない」と言える「愛」は、時空を超えています。好き嫌いは、時空の創作に役立つサインでしかないのです。
ところで、好き嫌いから始まる紛争が、世界中で後を絶ちません。
日本は「意見が相違することに合意する」という文化が弱い。だから、不当な妥協を強制したり、相違する相手を傷つけたり・・・。ファシリテーターは、「意見が相違することに合意する」道も切り開くのだ。
以上、言語学的制約から自由になるために。つづく。