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D・L・エヴェレット『ピダハン』を読む

ピダハン族は、幸福に、真実に、ジャングルで暮らしている。砂漠化で森が失われでもしない限り、彼らは、その生活を改善しそうにない。

この書物から得た気づきを、三つほど記しておきます。

ピダハン族のおしゃべりは自然現象をなぞる言葉である。

叙述的ピダハン言語の発話には、発話の時点に直結し、発話者自身、ないし発話者と同時期に生存していた第三者によって直に体験された事柄に関する断言のみが含まれる。――pp.187-188

―― 第Ⅰ部「生活」 第七章「自然と直接体験」

ピダハン族が言う「イビピーオ」は知覚の辺境にある。

最終的にわたしは、この言葉が表す概念を経験識閾と名づけた。知覚の範囲にちょうど入ってくる、もしくはそこから出ていく行為、つまり経験の境界線上にあるということだ。――p.184

―― 第Ⅰ部「生活」 第七章「自然と直接体験」

そして、ピダハン語の動詞には接尾辞が最大十六もとることがあり、文末にくる確認的接尾辞は「推論」「観察」「伝聞」の三種類があるとのこと。その辺りでは、次の図で示すように、言及したい。

この図は独学の具体例の一つにすぎません。

尊敬や感謝も、文化として発明しなければならない。

ピダハン語には尊敬の辞や感謝の辞もありません。
尊敬がエネルギーの伝達を促すことに気づかなければ、言語に転位性が表れず、一文を越える接続詞も、必要とされないのではないか。
感謝がエネルギーの循環を促すことに気づかなければ、言語に再帰性が表れず、一文を越える関係詞も、必要とされないのではないか。

以上、言語学的制約から自由になるために。(改2023年2月)