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神との恐るべき契約の締結に臨む

エジプトを出て三か月目、イスラエルの大集団は導かれつつシナイ山の『ホレブの峰』の山麓に到着しました。そこでYHWHは民は皆が身を清めるようにと命じられます。
これは徒ならぬ事の前兆に違いなく、民は緊張を感じたことでしょう。
ほかならぬ神が、あの大国エジプトを苦しめ、海を割ってまで一つの民を導き出したあのYHWHが、彼らと対面するかのように現れると言われます。

イスラエルはモーセらと共にマントを洗い、ホレブの峰の下で潔斎して三日を過ごします。この来るべき神と民との対面はイスラエルを民から国家へと導く契約締結のためであり、この荒野の地で選ばれたモーセが、今やイスラエルを引き連れて神との出会いの地に戻って、ヤコヴの『家の上に立ち』、神と民との仲介者として大きな働きを果たす時が来ていたのです。

そしてついにその日が訪れます。
『神は天空を折り曲げて降って来られた』と後の詩篇第十八は詠います。
その日は明け方から、彼らの前に聳えるシナイのホレブの峰は、その全体が激しく震動するようになり、竃からもうもうと立ち上るかのような真っ黒の雲が山の峰を包み、その中では百雷が常に轟きわたって、稲妻が次々に煌めいたと出エジプト記は伝えています。(出エジプト19:10-)

だれも山体に触れることが無いよう注意されていました。もし、触れるようなことがあれば死を意味します。しかし、誰であれそのような気を起こすような場合ではありません。
それはあたかも火山の激しい噴火とそれに伴う黒雲が煙のように空を暗くして、火山雷のけたたましい音のようであったことでしょう。しかし、火山でもないホレブの峰で起ったことはそれだけではありません。
大音量で角笛の音が鳴り渡り、神はモーセを山に召し出します。

それから神は山の上でモーセに告げ、改めて民に山に近付かないよう警告するためモーセを下山させ、それから神は自らがイスラエルをエジプトから携え出したYHWHであることを証して、民に十戒を含む民事法の数々を語りかけます。それら掟の条項が、人々を威圧してしまうほどの耳をつんざく大音量の気迫ある声となって人々の上に降り注いだというのです。その神は人に作られ神殿に収まり、供物を備えられるような偶像の神などではなく『生きる神』であったので、民には偶像を作り拝むことが禁じられます。その迫力は無力な偶像の比ではありません。

しかし、人々はその轟轟たる大声に耐えることができず、このままでは死んでしまうと思えるほどで、モーセのところに行き、神とモーセだけで話して欲しいと願うのですが、モーセ自身も『わたしは慄く』と言いつつ、さらにこう伝えます。『神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのだ』。(出エジプト20:18-20)
つまり、この大声量と人を死ぬほど戦慄させる威嚇をもって、神はイスラエルに掟を守るよう促してしたのであり、そこがアダムからの『罪』ある人間への神の思慮であったことでしょう。新約聖書も言う通り『神は焼き尽くす火でもあるのです』。(ヘブライ12:29)

こうしてその日に、イスラエルは神YHWHとの契約関係に入ることとなりました。
民はYHWHの言われるすべての事柄を行うことに同意したので、翌朝に起きたモーセは山麓に祭壇を建て、また十二本の柱を立てて記念とします。
その祭壇には幾つかの家畜の犠牲を捧げさせ、その血の半分を祭壇に振り掛け、残りを「これは契約の血である」と言いつつ民に向かってヒソプの枝を使って振り掛けました。(出エジプト24:4-8)

それからこの契約締結を祝うために、YHWHは民の内の年長者ら七十人とモーセ、それにアロンとその息子たちを山頂に招待し、彼らは神の饗宴に与るのでした。
彼らが登ってゆくと、その足元には純粋なサファイアの板のような床があって、それは天のように見えたとあり、彼らは超自然の宴会場に在ってYHWHの幻を眺めつつ飲食をしたと云うのです。(出エジプト24:1・9-11)
死ぬことが無いようにと、誰も山に近付いてはならないと厳重に命じられていたホレブの峰であったにも関わらず、『YHWHは彼らを手に掛けることもなく』かえって食事を用意していたのでした。

この夢幻的な出来事は、後の「真のイスラエル」にもなされることを黙示録が明かしており、神との契約に入る者への『アダムの罪の赦し』がそこに象徴されていることでしょう。(黙示録4:1-11)
例えれば、政府関係者などの公人が犯罪者と関係を持つべきでないように、神が契約を結ぶからには、その相手方もアダムの罪が仮にであれ赦免されている必要があります。それが犠牲の血の注ぎに象徴されており、そこに仲立ちの命の犠牲の必要が知らされています。

つまり、牛の血は仲介者モーセの命の犠牲を表すものでありますが、真に罪を赦す代価となるのは、牛の血でもモーセの血でもなく、後に捧げられるキリストの血の犠牲でなくてはなりません。これについては使徒パウロが後世に『すべての契約*は、仲介人の死をもって発効する』とは、契約当事者の一方の身分の不足を仲介者がなんとか埋め合わせる必要が求められていたことを指しています。ですから、その時の牛の血はアダムの罪に在るモーセではなくキリストの清い命を象徴し、その犠牲を指し示す予型であったのです。(ヘブライ9:16-20)*[この「契約」をラテン語の影響から「遺言」と訳すと分かりやすいようでいて、かえって真意は伝わりません]

それでも、神はイスラエルの慄きが大きいことに配慮し、今や恐るべき山と化したホレブの聖なる結界の中にモーセを召し入れ、さらに契約の詳細を彼に告げるよう取り計らわれます。
モーセはその後の四十日の間ずっと山で過ごすことになり、YHWHの崇拝に関する様々な規定を授かることになるのでした。
最初の十戒も含めてそれらイスラエルの守るべき613項目に上る条項は、『律法』(トーラー)と呼ばれることになり、その契約は一般に「律法契約」また「シナイ契約」と言い習わされるようになり今日に及んでいます。

さて、そもそも「契約」とは、本来不確定な物事について取り決められるものです。ですから、イスラエルが父祖アブラハムの神であり、今や諸国多数の異神の中に在って「YHWH」と名乗られる創造の神と契約を結ぶからには、イスラエルがそれを守るか守らないかによって異なる結末を迎えることになることは避けられません。
もちろん、神からすれば、イスラエルにはそれを守ることを期待してのことに違いないでしょう。さもなければ、最初から契約を結ぶ意味もありません。

このときイスラエルの民は、一国民としての秩序を得るための国の法律を必要としていましたから、それが人間以上の源から与えられることでは、イスラエルには、この上ない権威を持つ申し分のない国法の授与ともなりました。
しかし、その益は単なる国家秩序を築くばかりのことでは収まらなかったところが、さすがに全能の神であられます。
神はイスラエルが契約を守ることによって得られる最終的な目標を掲げて次のように約定されるのでした。

『もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはあらゆる民にまさって、わたしの宝となる。全地はわたしの所有だからである。
あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となる』(出エジプト19:5-6)

ここにイスラエルに与えられる「モーセの律法」が、ただの国家法を超えるものであることを指し示す最重要な目的が込められています。
つまり、律法契約を本当に守るなら、『アブラハムの裔』としての人類への大いなる祝福を与える民となると神は言われるのです。
それは人類に対して『祭司』の役割を担う『聖なる民』となるという類稀な栄誉であり、天使と格闘にまで及んだ、彼らの父祖ヤコヴが追い求めてやまなかった神との関係でもあったのです。

アダム以来失われた人類の神との絆は、彼ら「神の選民イスラエル」の肩にかかることになるのです。
この点で、今日のユダヤ人に「あなたがたの使命は何か」と尋ねると「諸国民の光となることだ」と答えるのを聞くことになるのはそのためであり、数千年の長きにわたり、神と関わってきた彼ら民族にはこの意識が残されているといえます。それが元来アブラハムの嫡流子孫の務めであるからです。(イザヤ42:6)

一方で、「背後に剣の無い契約など空しい言葉に過ぎない」と真相を突いた発言をしたのは17世紀の思想家トマス・ホッブスでしたが、さらに古代の、今から三千年以上前の生身のイスラエルが、まさにそのような契約を全能の神YHWHと締結することになったのであり、そこで強い恐怖を民に与え、結ばれる契約の重さが彼らの心に深く刻まれるよう神は威力を示されたのでした。
後にイエスも『多くを委ねられた者には、多くが求められる』と言われたように、当然ながら、それは守っても守らなくてもよいようなものではありません。
その結末は、この契約の中にも次のように明記されています。

『もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、またこのすべての戒めを守らず、わたしの定めを軽んじ、心にわたしのおきてを忌みきらって、わたしのすべての戒めを守らず、わたしの契約を破るならば、わたしはあなたがたにこのようにするであろう。すなわち、あなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病をもって、あなたがたの目を見えなくし、命をやせ衰えさせるであろう。あなたがたが種を播いても無駄である。敵がそれを食べるであろう』。(レヴィ記26:14-16)

罰則はそればかりではありません。
契約を守らない場合の処置について神はなおも言葉を多くして警告を与えるのでした。
『わたしはまたあなたがたの町々を荒れ地とし、あなたがたの聖所を荒らすであろう。またわたしはあなたがたの捧げる(犠牲の)香ばしい薫りをかがないであろう。 わたしがその地を荒らすゆえ、そこに住むあなたがたの敵はそれを見て驚くであろう。わたしはあなたがたを国々の間に散らし、剣を抜いて、あなたがたの後を追うであろう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は荒れ地となるであろう。
こうしてその地が荒れ果てて、あなたがたは敵の国にある間、地は安息を楽しむであろう。すなわち、その時、地は休みを得て、安息を楽しむであろう。それは荒れ果てている日の間、休むであろう。あなたがたがそこに住んでいる間、あなたがたの安息の時に休みを得なかったものである』。(レヴィ記26:31-35)

つまり、契約を守らないなら、イスラエルはその土地『約束の地』から追い出され、敵国の地に囚われの身となるといわれるのです。

そして、イスラエル民族が、実際にアッシリアとバビロニアの二大覇権国家によって国を滅ぼされ、捕囚の憂き目に遭ったことを歴史は明確に拭いようもなく記録しています。

しかし、イスラエルの民はその父祖たちのようではなく、神に忠節でもないことをモーセの時代から示していました。
四十日の間、モーセがホレブの峰に登ったままであったそのとき、すでに麓では契約に禁じられたはずの行いを喜んで始めていたのです。

彼らはモーセの消息が分からないので、自分たちが導きを失ったと感じられたことでしょう、そこで自分たちを導いてきた神を偶像にして作ってしまい、そこに神が居ることにして、その偶像に対する祭りを始めてしまったのです。

YHWHはモーセにそのことを告げ、直ちに下山するようにと命じます。
彼の腕には、律法契約の証しとなるべき、「十戒」を神自らが記した二枚の石板が抱かれていました。
彼が中腹まで来ると、麓から祭りの歌声が聞えます。さらに近付いてみると、そこには偶像崇拝の祭りの最中であるのをモーセは目にします。そんなことで出エジプト以来の神との関わりはどうなるのでしょうか。そのあまりの異なりに激怒したモーセは、二枚の石板を叩き割り、民を糾弾します。
特に、アロンが民についていながらこの始末はどういうことかと兄に迫るのでした。

アロンが言うには、モーセが山に登ったまま消息も分からなくなり、民は自分たちを導いて来た神を求めて自分のところに来たので、民の中から金を集め、それを火に投げ入れたところ、偶像の金の子牛が出て来たというのです。
アロンはただ金を火に投じただけで、金が子牛の偶像となって出て来たかのように言っていますが、それが言い訳なのか、本当にそのような事があったのかを聖書は語っていません。しかし、後に『アロンが作った子牛』との文章もあるので、言い訳に過ぎなかったようにもとれます。
それでも、あの悪魔がイスラエルの隙を突いたのであれば、奇跡のように偶像が火から出て来たということも有り得たかも知れません。

一方で、子牛崇拝がエジプトでは非常に高く評価されていたものであることは今日にまで知られている事実があります。
その歴史は古くて長く、エジプトの初期王国時代から、モーセの時代を通り越してヘレニズム文化の中で西暦六世紀までも雄の子牛アピスの崇拝の影響が残っていたとされます。実に、子牛崇拝はイスラエルでも後に復活してしまい、それも何世代にもわたって続くことになるのです。

本来のエジプトでのアピスは創造神の化身でもあり、エジプトの世俗の中に住んでアブラハムの神を崇拝していなかったイスラエルにとって、アピス崇拝は創造の神YHWHを讃えるかのようなつもりがあったことでしょう。
そのうえ、彼らはその祭りと習慣に誘われエジプトの祭事の馬鹿騒ぎまでも再現してしまっていました。これは明らかに与えられた律法の基本である十戒に違犯しています。

そこでモーセは『YHWHの側に着く者は居るか?』と人々に尋ねると、同族のレヴィの者たちが彼の傍に参集しました。
モーセは騒いでいる者らを討ち倒せと命じ、レヴィ族の者たちはイスラエルの中で裁きを執行し、その日に三千人が命を落とすことになりました。

それからモーセは民にYHWHの言葉を告げ、神はもはやイスラエルと共に約束の地に上ることはしないと言われたことを語ると、イスラエルは以後、自分の身を飾ることを止め、後悔と悲しみを表しました。
その後、モーセが神を宥めると、YHWHは引き続きイスラエルと共に行くと言われるのでした。モーセは確かに神とイスラエルの仲介者であり、その働き無くして後の時代までこの民が存続することも無かったことでしょう。

モーセが山に登ったまま、何の音沙汰もなくなったことで民が感じた不安があったことは理解し難いことではありません。四十日して彼が下山することを誰も知らず、それもモーセは民の悪行を知らされ、神に促されて下っていったのですから、本来ならどれくらいの期間、麓を留守にするかは分からなかったのです。

このように、神YHWHは不明の期間をもって人を試すことがその後もありました。例えれば、後のサウル王が神を待つことでは耐えられず僭越にもレヴィ族でもある預言者に成り代わり祭儀を行うという悪行を犯しました。
(サムエル第一13:10-14)
一方で、ダヴィドは何時果てるとも知れない逃亡生活に自らの手で終止符を打つことはせず、先に任命されていたサウル王の去るのをひたすら待ち続け、ついに全イスラエルの王となり、エルサレムを都とし、キリストを通して永遠の王権を得ることに与っています。(サムエル第一24:2-7)

やはり、シナイ山麓に居たイスラエルもアロンも、その時がどれほどになろうとも『神の人モーセ』を待つべきであったに違いなく、まして、あれほどの恐怖を懐いた神からの掟を早速に破るとは、契約に対する思いも軽いものであったことを見せてしまったのです。
もちろん、民のすべてがそうであったのではないのでしょうけれども、アロンが弁明したように『この民には邪悪な性質がある』ことは神の前に拭いようがないようで、その後も何度か醜態を見せることになるのです。

それはキリストが聖霊と共に世を去り不在となって以来、世を裁くために来られる再臨についても同じように言えないとも限りません。
確かにイエスは『家の主人は、夜盗がいつ来るのか知っていたなら、起きていてみすみす家財を奪われることなど許さない』。『あなたがたもずっと見張っているように』。『あなたがたはその時を知らないのだから』と命じられました。(マタイ24:43/マルコ13:32-36/ルカ21:34-36)
モーセが山に去ったように、天に挙げられたキリストは『神の右に座し、敵がご自身の足台とされる時をまっていらっしゃる』のですから、当然に人は誰もキリストの戻られるその時を勝手に決め付けたり、いまだ裁きがないからと異教をキリスト教に混ぜ込み、偶像崇拝まがいをしてよいわけもありません。

イエスはご自身の終末の帰還について『主人が戻って家の扉をたたく時、すぐに迎え入れられるようにしているように』と弟子たちに言われました。(ルカ12:36)
しかし、『主人は遅いと言って、仲間の奴隷を叩いて宴会を始めてしまうなら、最も厳しくこれを罰する』と警告されました。これはキリストのこの世への目立たない帰還のはじめを指すのであり、世には知られなくても弟子たちには特別な時の到来となることでしょう。
『その時』は人が決めるものでも、予測を立てるものでもありません。『天使らが知らず、子も知らない』その時を人が知れるものでしょうか。まして、イエスも知らない事が聖書の中に示唆されていたことがあるでしょうか。有り得ません。時を勝手に決めるなら『見張っている』ことを止めて「主人無しの宴会」を始めてしまったのです。(マタイ24:44-51)

今でさえ、キリスト教徒を自認する人々までもが、イエスを待たずに帰還していることにしてしまっているのなら、本当に再臨した時のイエスをモーセのように激怒させないものでしょうか。十戒の石板を割ったように『最も厳しく罰する』のであれば、やはり、待つ時の長さのために『見張っている』とは易しいことではなさそうです。時の経過は人を試すものの一つなのでしょう。それは神が人に篩い分けの厳しい試練に遭わせるというよりは、それぞれの人が持つ『欲に誘われて自ら試練に遭ったようになる』のでしょう。

さて、それらの事があった後、モーセは神にひとつの願いを申し出ました。それは山上での日々親しく近付いたYHWHの御姿を見ることでした。
しかし、神は『わたしを見てもなお人は生きていることはできない』と言われ、モーセを岩場の陰に潜ませ、その炎のような栄光が通り過ぎた後ろ姿を彼に見せるのでした。(出エジプト33:17-23)
こうしてモーセは、再び山に四十日四十夜飲食せずに留まって、十戒の二度目の石板の裏表に文字を授かってから民のもとに下りますが、神の後ろ姿を目撃した彼の顔は栄光に輝いているので、人々はそれを恐れます。
そこで彼は人々の間に居るときは顔にベールを掛け、神と話すときにはそれを外すことになります。(出エジプト34:29-30)

このモーセのベールについて、後代の使徒パウロは、『今日、古い契約が読まれるときに、人々にはベールが残っていてかけられている』と述べています。この意味は、『彼ら(ユダヤ人)の心にベールがかけられ』彼らが律法の朗読を聴くときに、その意味を悟れずにいるというのです。『それはキリストによって取り除けられる』からであり、モーセの教えにすっかり慣れた彼らは、『主(イエス)に向かうことによってベールは取られる』と述べます。
モーセの律法の言葉の表面にばかりこだわっていれば、その心の目にキリストによる輝きは届かずに終わるということなのでしょう。

つまり、イエスをキリストとして受け入れなかったユダヤ教徒には、モーセによって語られたことの意味するところが明らかにされないと言っています。(コリント第二3:12-18)
後にイエスが現れ、福音を宣明されても、イスラエルはそれがモーセの言葉の数々を成し遂げるものであることを悟るには至らなかったのであり、律法に固執した宗教家らは自分の正しさを確信するあまり、神の言葉の真意を知ることを敢えて拒んだのです。(ヘブライ12:25)
そこでイエスは『耳のある者は聴け』と言われ、ある者たちには『悟ることが許されていない』とも言われました。(マタイ13:11)

これらの事の後、モーセは神と話すための天幕を民の宿営から離れた場所に移し、そこを「会見の天幕」と呼んで人々を遠ざけ、レヴィ族の族長ヨシュアとだけ出入りするようになりました。こうして、聖と俗とが分けられ、神の天幕は人々と共に親しく天幕を張ることはなくなり、それは『罪』が贖罪される神の王国の到来まで待つことになります。(黙示録21:3)

次いでモーセは民に命じて、山の上で教えられた通りにYHWH崇拝のための準備を始めます。その崇拝のための専用の天幕、幾つもの什器と器具と、祭司の職服を作る必要があったのです。

それらの祭祀の方法や取決め、また什器や職服に込められた意義は、この西暦前十数世紀の過去にも関わらず、後のキリストを予め示し、「神の選民イスラエル」の重要な意味と後の世の働きをも教える驚異的先例となるのでした。
しかし、もちろんモーセの時代の誰もそれを知ることはありません。すべてはキリストの教えによって明らかにされることであったからです。

後世ユダヤの宗教家のひとりとして旧約聖書に精通していたパウロが、転向してキリストの弟子となり、聖霊の霊感によって知らされた事柄、その奥義の意義深さ、神秘の超越性など、その旧約聖書を解き明かす新約聖書に収められた彼の言葉の数々には計り知れないほどの価値が込められてます。
厳格なユダヤ教パリサイ派からキリストの使徒にまでなった彼こそは『倉から古いものや新しいものを取り出す家の主』となった『律法学者』の筆頭と言えるでしょう。(マタイ13:52/ヨハネ16:13)

旧約聖書は新約聖書によって解き明かされ、新約聖書は旧約聖書の上に成り立つもので、双方が揃って始めてすべてが知られるのです。
今日に至るまで、ユダヤ教徒はイエスをキリストとして認めませんから新約聖書を経典とはしませんし、他方でキリスト教徒が旧約聖書に疎いという趨勢は、共に重要な意味を得損なう結果を許してはいないものでしょうか。



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