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量子力学の行列は単なる表記にすぎない

量子力学には、なぜ線形代数、つまり密度行列や状態ベクトル、そしてエルミート行列としての物理量が出てくるのかが分からないという人が結構います。しかし拙書『入門現代の量子力学』では、その行列やベクトルは単なる表記の1つに過ぎないと、強調をしています。

そもそも量子力学という理論は、物理量の確率分布を基本とした情報理論に過ぎません。波動関数や状態ベクトルも、いくつかの種類の物理量の確率分布をまとめて、1本の数式に書いたものです。この「波動関数=確率分布」という事実から、そもそも観測問題というものも存在しなかったことが、明らかとなります。

確率分布を行列やベクトルで表示しているだけなので、行列やベクトルが出てくる理由を問う必要は、全くありません。これは電磁気学の電磁ポテンシャルや電磁場を、数学の外微分形式や四元数で書いても、そのdxや、i、j、k自体には、なにも物理的な意味がないのと同様です。

ですから、量子力学とは関係のない、コインの表裏を確かめるときの確率分布を、密度行列や状態ベクトルで表記することさえ可能です。今回はそれを具体的に説明をしてみましょう。

まず不透明なコップの中に、表に「+」、裏に「-」と書かれたコインを入れてある状況を考えます。コップを外して観測したときにコインが表である確率をp(+)とし、裏である確率をp(-)とします。表が出たときには「+1」という数値を割り振り、裏が出たときには「-1」という数値を割り振ることで、物理量σを定義しましょう。

この場合、コインの表裏を観測したときのσの期待値は

で与えられます。そして、全確率は1であることと、この期待値の定義式から

という連立方程式が立ちます。これを解くことで、それぞれの確率は

と計算ができます。

このコインですが、コップの中で時間が経つと、表と裏の出る確率が変わるとします。コップがコインにかぶっている間に、ある振動が発生して、コインをひっくり返すことが確率的に起こると仮定するのです。qを0と1の間の値として、表が表のままでいる確率をqとし、表が裏になる確率を1-qとします。同様に、裏が裏のままでいる確率もqとし、裏が表になる確率を1-qとします。つまり、下記のような確率で表裏の出方が変わります。

図1にこの過程を書きました。

図1

この図1の過程は、確率分布を使って

(1)式:コインの確率の時間変化

という形にまとめられます。当たりまえのことですが、確率p(+)で、このコインの状態は表、つまり「σ=+1」の状態になります。観測後にコインの表裏の確率は

(2)式:確率分布の「σ=+1」の状態への収縮

と変化します。表になったコインに一旦カップをかぶせて、そしてすぐにカップをとっても、コインは表のままだからです。同様に、確率p(-)でこのコインの状態は裏、つまり「σ=-1」の状態になります。これによりコインの表裏の確率は

(3)式:確率分布の「σ=-1」の状態への収縮

となります。この(2)式と(3)式の変化が、「観測における確率分布の収縮」です。量子力学では、これが波動関数や状態ベクトルの収縮に対応します。

さて、量子力学と同様に、この古典的なコインの確率分布に対しての密度行列が導入可能です。その定義は下記となります。

(4)式:密度行列の定義式

ここで、次の2次元実対称行列を定義しましょう。

(5)式:2つの実対称行列

これを使うと、(4)式の密度行列のブロッホ表示ができます。

(6)式:密度行列のブロッホ表示

単なるコインの確率理論だったのに、どんどん量子力学に似てきましたね。実は、まだまだ似せられます。たとえば行列のトレースを

(7)式:トレースの定義式

で与えます。これを使うと、密度行列は

(8)式:密度行列の規格化条件

という、量子力学と同様の規格化条件を満たすことが確認できます。また

と計算をし、そのトレースをとると、

という結果が得られます。σの期待値は確率分布p(±)から計算できますが、同様に密度行列から、この上式を使って直接計算することもできるわけです。この密度行列が「状態」を表すと解釈すれば、(1)式の状態変化で得られる密度行列は

(9)式:状態変化後の密度行列

で定義されます。これに(1)を代入すると、

(10)式

となります。この(10)式を、量子力学のように、密度行列のトレース保存完全正写像(CPTP写像)で書くことまで可能です。つまり、そのクラウス行列を

を満たす

(11)式:クラウス行列

で定義すると、(10)式は

(12)式

と書き直すこともできるのです。これはまさに量子力学の物理操作におけるクラウス表現そのものです。

では、測定はどうでしょうか?それも、このコインの密度行列で扱えるのです。まず、次の射影行列を定義しましょう。

(13)式:射影行列

これは自明に

(14)式:射影行列の完全性関係

という完全性関係も満たしていますね。そして具体計算から、この射影行列は(5)式を使って、

(15)式

とも書けることが確認できます。すると、量子力学と同じように、次のボルン則が導かれます。

(16)式:ボルン則の導出

そして、観測して確率p(+)でσ=+1の状態となることを、密度行列と射影行列で

(17)式:σ=+1の状態への収縮

と表示できます。同様に、観測して確率p(-)でσ=-1の状態となることは

(18)式:σ=-1の状態への収縮

と表示できます。これは、まさしく量子力学での観測による状態収縮です。これを「観測問題」と仰々しく呼ぶことはナンセンスであるのと同様に、量子力学にも、観測問題は存在しないのです。

また(5)式の行列の単位固有ベクトルを

(19)式

と書けば、射影行列は

(20)式

とも表示できます。したがってボルン則は固有ベクトルを使って

(21)式:固有ベクトルを使ったボルン則

とも書け、量子力学そっくりです。そして、(17)式と(18)式の観測による状態収縮も

(22)式:固有状態への状態収縮

という固有状態への状態収縮とみなすことができるのです。

以上のように、ボルン則や状態収縮は、量子力学固有の概念ではありません。密度行列や状態ベクトルを使って確率理論を表記しただけの話であり、このコインの実験でも量子力学でも、観測による状態収縮は不思議でもありませんし、ましてや物理学の未解決問題でもありません。

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Masahiro Hotta
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