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量子もつれは、「テレパシー」ではなく「真正なパートナーとの絆」

NHKスペシャル「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」では、一般の視聴者にも理解しやすいように工夫が凝らされ、「量子もつれ」が紹介されました。その中で、「量子もつれはテレパシーのようなもの」という表現が何度も使われていました。

量子もつれがテレパシーのように感じられる理由の一つには、私たちの日常の直観である「そこに実在としてモノがある」という考え方が影響していると言えます。

しかし、2022年のノーベル物理学賞で注目された量子もつれの実証実験(つまりベル不等式の破れの確認)によって、「そこにモノが在る」という局所実在性は実験的に否定されました。この実験を行ったクラウザー氏、アスペ氏、ツァイリンガー氏の3人が、この番組にも登場していました。

クラウザー氏やアスペ氏は、ベル不等式の破れを示す実験を行う前は、アインシュタインが提唱した「実在論」を深く信じていました。しかし、自らの実験結果によって、その信念が覆されることになりました。

一方で、ツァイリンガー氏は、波動関数や状態ベクトルを「情報」として捉え、「実在ではない」とする現代的な量子力学の立場を取っています。そのため、クラウザー氏やアスペ氏が持っていた実在論的な見解とは大きく異なっています。

アインシュタインのように実在論に固執すると、量子もつれはあたかも「テレパシー」のように見えます。しかし、ベル不等式の破れにより「そこにモノがある」という考え自体が間違っていることが示されました。このため、離れた2つの「実在」が瞬間的に通じ合うという描像も消え去ります。よって、量子もつれを説明する際に「テレパシー」を引き合いに出す必要性は、現在では完全に失われたのです。

ちょうど、天動説が観測結果によって否定されたように、私たちにとって当たり前と感じる「そこにモノがある」という思い込みや、「モノの間を飛び交うテレパシー」という描像も、現代物理学の実験によって覆されました。この点については、以下の記事もぜひご参照ください。

現代の量子力学において、量子もつれをどう表現するのが適切でしょうか?一つの答えとして、「真正なパートナーであることを証明するID」という比喩が挙げられます。

たとえば、遺伝情報を担うDNAは二重らせん構造を持っています。このDNAが自己複製を行う際、まず2本の鎖に分かれます。それぞれの鎖は必ずもう一方の鎖と配列がぴったり一致するようになっています。この意味で、分かれたばかりの2本のDNA鎖は、1本だったときの「ID」を保持していると言えます。この「ID」は、詩的に言えば「絆」とも表現できるでしょう。DNA中の4種類の塩基の配列をすべて確認することで、互いが絆で結ばれた真正な「パートナー」であることが証明されるのです。

この観点を量子もつれに適用すると、2つのスピン粒子間の量子もつれは、真のパートナーを特定するためのID、または絆のようなものと考えられます。たとえば、「0」と「1」の状態を持つ2つのスピン粒子を考え、以下の2種類の量子もつれ状態(ベル状態)をつくります。

(1)式:2つの異なるベル状態

この2つの量子もつれ状態は、ベル状態の一種であり、それぞれの状態ベクトルは互いに直交しています。したがって、1回の実験でこれらの2つの状態を識別することが可能です。

しかし、この量子もつれが持つ「ID」は、もつれた状態の片方のスピン粒子だけを観測しても決して読み取ることはできません。たとえば、アリスが1つの粒子を持ち、ボブがもう1つの粒子を持っているとします。2つの粒子が(1) 式における上のベル状態にある場合でも、下のベル状態にある場合でも、アリスが自分の粒子のスピンを測定した結果は、必ず50%の確率で「0」、残りの50%で「1」となります。この確率分布の情報からは、2つの粒子がどちらのベル状態にあるのかを判断することはできません。この状況はボブにとっても同様です。ボブが自分の粒子のスピンを測定しても、どちらのベル状態が実現しているのかを知ることはできません。

アリスの粒子だけやボブの粒子だけでは、どちらのベル状態が実現しているか、わからない。

ここで、(1) 式の上のベル状態にある2つのスピン粒子AとB、そして下のベル状態にあるスピン粒子CとDの、合計4つの粒子を考えましょう。

このとき、実験者がどの粒子がどの粒子とペアになりベル状態を形成しているのかを、最初は知らない状況を仮定します。たとえば、粒子Aの本当のパートナーを、残りの3つの粒子 (B、C、D) の中から見つけたい場合、「ベル測定」と呼ばれる実験が役立ちます。これは、2つの粒子を並べて、それらが (1) 式の上のベル状態にあるのか、下のベル状態にあるのか、それとも相関を持たない別の状態なのかを判別する測定です。

もし正しいパートナーであるBを選び、粒子AとBをベル測定した場合、100%の確率で (1) 式の上のベル状態であることが判明します。つまりBはAのパートナーだと実験で証明されるのです。誤ってCやDを選び、粒子A と組み合わせてベル測定をした場合、75% の確率でその粒子がAのパートナーではないことも分かります。この測定を何度も繰り返すことで、パートナーを間違う確率を徐々に減らし、最終的に粒子Aの真正のパートナーである粒子Bを見つけることが可能です。

なお、この性質は量子的なもつれだけでなく、古典的相関でも実現可能です。しかし、量子もつれは古典的相関に比べて、はるかに多くの「パートナー情報」を保持しています。たとえば、粒子のスピンを測定する方向を変えても、ベル状態にある2つのスピン粒子の相関は崩れません。さらに、スピン測定の方向を連続的に変えることができるため、粒子AとBが1つのベル状態にある場合、その量子もつれは古典的相関をはるかに超え、無限個のID情報を担っています。この点で、粒子AとBの間には量子もつれによって非常に強い「絆」が存在しているといえます。

量子もつれを「テレパシー」と解釈することは、ベル不等式の破れの実験結果から既に適切ではないのですが、それでもパートナーとの「強い絆」として捉えることはできます。また、この「量子的絆」としての量子もつれの性質は、量子暗号技術の基盤の1つにもなっています。


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Masahiro Hotta
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