Neumannは、Mathematical Foundations of Quantum Mechanicsにおいて、
と書いており、物心並行論(psycho-physical parallelism)が正しいと考えていたようである。しかし、Neumannが考えていた物心平行論(psycho-physical parallelism)は、Wikipediaに心身並行説(Psycho-Physical Parallelism)として説明のある
ではなく、性質二元論(Property Dualism)、中立一元論(Neutral monism)と思われる。それぞれ、次のような考えである。
その理由について書いておきたい。
extra-physical process have equivalent physical processes
第一の理由は、Neumannが
と書いていることである。「assign可能」と「一種類の実体が二つの性質を持つ」というのは、全く同じではないとしても、類似の考えであろう。Wikipediaの心身並行説には、心と身体の対応関係という説明はない。
Fechnerの思想
第二の理由は、Fechnerの思想が、かつては(過去においては)parallelismとされていたと思われることである。Wikipediaを見ても、
と書かれており、物心平行論の説明はない。しかし、Heidelbergerは
と書いている。また、
という記載もある。この記載を行ったのは、1866年生まれ、1938年没の学者である。ちなみに、Neumannは 1903年12月28日生まれ、1957年2月8日没である。
Fechnerの思想とNeumannの考えの関係は、Heidelbergerによると、
ということらしい。直接ではないが、Fechner→ Höffding→ Bohr→ Neumannという流れで、NeumannはFechnerの思想を基本として引き継いでいる可能性は高いだろう。
ちなみに、HöffdingのOutlines of Psycologyの第2章Mind and Bodyの最後の記載は
である。これはまさに、性質二元論(Property Dualism)・中立一元論(Neutral monism)と私には思われる。
また、Heidelbergerによると、
ということであり、1903年にHöffdingは"parallelism" から "identity theory" に用語を転換したようである。そのため、1932年出版のMathematische Grundlagen der Quantenmechanikではparallelismではなくidentity theoryであってもよいように思われるが、まだその時期にはparallelismが一般的だったのかもしれない。
ちなみに、FechnerやHöffdingの思想は、現在のWikipediaの同一説(Identity theory)
とは異なるので注意が必要だろう。
こうした用語の違いは、時代による用語法の変化と科学と哲学(心の哲学)の嗜好の違いの2つの理由があると思われる(特段の根拠はない)。
ハイゼンベルグカットが任意である必要がある
第三の理由は、psycho-physical parallelismが成り立つためには、ハイゼンベルグカットの位置が任意に変えられなければならないとNeumannが言っていることである。
具体的には、
と書いている。観測側と観測される側のバウンダリーは任意でなければ、psycho-physical parallelismがviolateされるというのは、psycho-physical parallelismが成り立つたてばハイゼンベルグカットの位置が任意ということである。両者は、対偶の関係にある。
Wikipediaの物心平行論の説明では、物心平行論からハイゼンベルグカットの位置の任意性がどうして導けるのかまるでわからないが、性質二元論(Property Dualism)・中立一元論(Neutral monism)であれば、そこからハイゼンベルグカットの位置が任意であることが必要であることは理解できる。ハイゼンベルグカットの位置が決まるということは、その位置で物理過程と意識過程の一体性が壊れるということであり、性質二元論(Property Dualism)・中立一元論(Neutral monism)が成り立たない感じがするからである(伝統的な哲学の感覚では導けるといってよいレベル感な気がするが、あくまで印象的な判断で論理的なものではない。)。
Neumannが最後の章で行っていることは、psycho-physical parallelismという形而上学的思想から、ハイゼンベルグカットの任意性を導き(ここまでは形而上学的と私には思われる)、それが自らの量子力学の定式化方法において実際に成り立つことを数式を用いて証明する(ここは物理学的で数学的である)という作業である。形而上学が複合系の量子力学という新たな分野の構築に役立っている例のように私には思われる(複合系の形式化が既に公表された知見であるかどうかは確認していないので、想像でしかないし、この想像が正しいとしても、たぶん、形而上学的要素などなくても科学的必要性だけからでもそのうち複合系の量子力学は発展していったであろうが)。
Neumannの誤り
最後に、Neumannの誤りを指摘しておこう。それは、
の記載である。これでは、egoに対応するphysical processes in the objective environmentがなくなってしまう。つまり、psycho-physical parallelismがviolateされてしまっている。