堀田量子における多準位系の演繹導出について
堀田さんの書籍「入門 現代の量子力学 ~量子情報・量子測定を中心として~」(以下単に「書籍」という。)に対しては、中平さんからの、「2準位系から多準位系への拡張を(自然な前提のみから)演繹的に行うことは難しい」という批判がある。
これは、Amazonでのレビューに始まり、noteとHatena Blogで双方の見解が提示されているものであるが、話が噛み合っていないように思われる。そのため、さらに噛み合わない意見を示すのみのになる懸念は強いが、話が噛み合わない理由についての私の見解を書いておきたい。
書籍が演繹導出でないのは自明
書籍が、中平さんの演繹の用語の意味において、多準位系への拡張を演繹的に行なっていないことは、内容を理解しなくても自明と私には思われる(私は、お二方の考えの内容は理解していません。本稿は外形的なことについて述べているのみです。)。書籍では、「第3章多準位系の量子力学」の「3.2物理操作としてのユニタリー行列」の最後の方に
と書かれている。論理的に導いているのではなく、単に(ある意味根拠なく)「実現可能だと考えよう。」として、その後の議論を進めているのであるから、演繹的でないことは自明と私には思われる。
複数存在する演繹の意味
それでは、堀田さんの意見が誤りなのかといえば、必ずしもそうとは限らないと思われる。堀田さんは、別のノートで、
と書いている。この趣旨は分かりにくいのであるが(たぶんできるだけわかりやすくと思って書かれたと思うので分かりにくいという見解には堀田さんは同意できないとは思うが)、堀田さんの「演繹」は、2.の意味ではないことは明確であろう(堀田さんの演繹の意味は1.と読んでしまえば話はここで終わりであるが、それは私にははばかられる。)。一方で、中平さんは2.の意味で演繹を用いていると思われる。話が噛み合わない理由の一つはここにあるのではないかと思われる。
仮説演繹法
堀田さんの記載を読んでいると、堀田さんがいう「演繹」は、仮説演繹法に近いものではないかと思われる。Wikipediaでは、仮説演繹法は、
と説明されている。堀田さんは、
とも書いている。未知の物体Xが量子力学を満たす対象であるかないかを確定することは、決して2.の意味で演繹ではないが、仮説演繹法で行うことの中には含まれる。堀田さんは、
とも書いており、実験結果から何かが演繹されるというのは、2.の演繹の定義とは明らかに矛盾する。仮説演繹法であれば、その言い方は一般的ではないかもしれないが、理解可能である。
まとめ
私の見解は以上のとおりであり、堀田さんの「演繹」の用語の使い方があまり一般的なものでないことから、堀田さんは誠心誠意その意図を説明していると思われるものの、それが中平さんには伝わらず、中平さんが
と考えることは致し方ないだろうと私には感じられる。
加えて、書籍が公理主義的に記載されていれば2.の意味の演繹がどこからどこまでなのかがわかりやすく、誤解も生じにくいと思われるが、書籍は公理主義のデメリットを避けるために、私の理解したところでは、多くの教科書では公理として明示する内容を文の中に溶けこまして理性的な推論(自然な拡張)により導かれるように記載している。そのことが、初学者には適しているとしても、公理論に慣れ親しんだ者には理解が難しいものにしている可能性があるように感じられる。