仏教とは何か? 基礎編 3 釈尊は何を悟ったのか? どのようにして悟りを開いたのか?
前述したように、釈尊は、自らの内なる世界を深く掘り下げ、最終的に存在の根源的な本質についての、深い洞察を得たのです。仏教の考え方の中核的大前提は、外界に存在するように知覚される広大な宇宙も、実は私たちの内なる世界の反映であるという世界観です。
この核となる前提を理解することは、仏教の本質をつかむために不可欠なのです。
ハリウッド映画『マトリックス』では、カプセルに閉じ込められた人間は、高度なコンピューターから感覚信号を受け取り、目に見える現実に生きているように思わされています。同様に、星の光や日々の経験、感覚刺激に対する私たちの知覚は、その本当の情報源がどこであれ、最終的に私たちの意識によって解釈され、外界にある世界として再構成されているのです。
歴史的に、唯物論的世界観に支配されてきた物理学の領域においてさえ、人間の意識による素粒子の観測が、素粒子の状態の確定に、主要な役割を果たしていると考えられており、この現象は「量子の観測問題」と呼ばれ、20世紀初頭から、研究者を悩ませてきました。現在では、すべての物質の根幹をなす量子の状態は、共存しうる無数の状態から、一つの状態が選択されることによって、確定されることが確認されていて、この原理が今日の量子コンピュータの基礎となっています。
正確なメカニズムは、まだ解明されていませんが、量子の状態が、無数に存在する共存状態から、一つの状態に確定されるには、それを観測する人間の意識が、何らかの役割を果たしていると、考えられており、その事実は、素粒子を含む物質世界の状態が、最初から客観的に確定されているわけではないことを示唆しているのです。その結果、(人間の意識の介在なしに)最初から確定した客観的世界の存在、という考え方そのものが、今や、再考を迫られている訳です。
さらに、現代の宇宙論は、人間の存在が、宇宙の存在条件を大きく左右していると仮定しています。広大な宇宙の中では、人間は取るに足らない存在である、という従来の見方とは異なり、現在の宇宙論では、一瞬一瞬、無数の可能性に分岐する多世界宇宙が想定されており、人間が存在するような宇宙の存在の仕方は、人間の存在によって条件づけられているという事を意味する、人間原理という概念を打ち出しています。
これ以上、物理学の話題を掘り下げることは、仏教に関するこの議論の範囲を超えていますが、これらの事実は、仏教と科学的世界観の間の、驚くべき近似性を示していると言えます。興味のある読者は、量子力学や宇宙論に関する書籍やオンライン・リソースを通じて、ここでの主張を検証することをお勧め致します。
まとめると、ブッダの悟りは、内なる世界を深く探求することから生まれ、仏教の教義の中核をなす、意識と現実の不可分な関係を明らかにしたものである、と言えます。