三浦芳聖伝 32、軽井沢で近衛文麿公と面談(串呂哲学研究ノート№152)
1、貴族院議員・滝正雄氏の来訪
芳聖が、青年学校の名誉校長として勤務していた昭和15年(1940年)7月初旬のある日、当時貴族院議員であった滝正雄氏(第一次近衛内閣の法制局長官、企画院総裁)が、近衛文麿公のお使いで芳聖を訪ねて来て、
「何人にも絶対極秘で、憲兵にも警察にも分からないように、今から直ちに私と一緒に軽井沢に行って頂きたい」と芳聖を呼びに来られた。
芳聖が昭和12年(1937年)7月29日付で近衛首相に「東洋平和の大方策」の意見書を送ってからおよそ3年後の事でした(恐らく7月22日に第二次近衛内閣を組閣する直前の7月10日頃と思われる)。
2、風雲急を告げる時代背景
昭和12年(1937年)
6月4日、第一次近衛文麿内閣 7月、蘆溝橋事件(日中戦争の発端)
8月、蒋介石、対日抗戦総動員令を発す
11月、日独伊三国防共協定調印 12月、南京占領
昭和13年(1938年)
1月、爾後国民政府を対手とせず(第1次近衛声明)
3月、独、オーストリア併合 4月、国家総動員法公布
11月、近衛首相、東亜新秩序建設を声明(第2次近衛声明)
12月、近衛首相、近衛3原則を声明(第3次近衛声明)
昭和14年(1939年)
1月5日、近衛内閣総辞職 5月、ノモンハン事件 7月、国民徴用令公布
8月、独ソ不可侵条約締結 9月、第2次世界大戦勃発、独軍、ポーランドに侵攻開始 11月、米穀配給統制法公布
昭和15年(1940年)
6月、近衛文麿、枢密院議長辞任、新体制運動推進の決意表明
6月、独軍、パリに無血入城 7月22日、第2次近衛内閣
歴史を紐解くと、我が国は、昭和12年6月に発足した第一次近衛内閣の時代に、次々と中国大陸に戦火を広げ、同12年11月、日独伊三国防共協定調印。12月、南京占領。
翌昭和13年1月には、蒋介石を相手にせずという声明を出し、4月、国家総動員法を公布し、国際連盟の決議を無視して全面戦争に突入する突破口を開く愚策の連続でした。
そして平沼内閣(足掛け7カ月)阿部内閣(足掛け5カ月)米内内閣(足掛け7カ月)の後、他に首相の引き受け手が無く、近衛文麿公は、仕方なく引き受けた第二次近衛内閣を組閣する直前になって、芳聖が提出した意見書の内容を思い出したのだと思います。
3、軽井沢で近衛首相と面談
芳聖が、軽井沢の近衛家の山荘に到着すると、近衛文麿公から次のようなお話がありました。
昭和12年7月の支那事変突発以来、多くの方々から意見書を頂いた。貴方の御意見を無視して今日に至ったが、あれから3年経った今日、あなたの御意見が如何に的確であったか今になってよく分かった。三浦先生には、今日この段階に於ても、まだ日本を救う打開策がありますか、という諮問だった。
下記は芳聖の著書からの引用です。
4、日本を救う起死回生の打開策
芳聖がこの時、近衛文麿公の諮問に応えて進言した起死回生の打開策は次の通りです。昭和15年(1940年)7月12日頃、芳聖が数えで37歳の事です。
これは、誠に思い切った起死回生の秘策で、その気になれば実現可能な打開策だったが、国家や国民の為より、自己保身に汲々とする、近衛公の側近をはじめ重臣特権階級が挙って総反対して、遂に実現に至らなかった。
しかし皮肉な事に、結果的には「敗戦、被占領、属国」というおまけ付で、軍隊は解散、華族制度は廃止、貴族院は解散、農地解放で土地も無くなり、芳聖の進言通りになってしまった。
あの時、芳聖の進言を「天の声」と聞いて、死んだつもりになって実行していれば、大東亜戦争で多くの国民を塗炭の苦しみに陥れることなかったし、
近衛文麿公自身の服毒自殺も無かったし、長男文隆氏を長年シベリアに虜にされ、最後には毒殺される悲惨な運命も避けられたと思うと残念です。
平成15年(2003年)、劇団四季が大阪で上演したミュージカル「異国の丘」の貴公子(九条秀隆)のモデルは、近衛公の長男文隆氏である。
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
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一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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