八尺鏡野と興国天皇御陵との神風串呂(№56)
💟はじめに
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神・天照大御神が各地を巡行しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
神皇正統嫡皇孫「三浦芳聖」が、生涯の精魂を込めて解明した神風串呂によって、「元伊勢クシロ」とは、皇統正史を我が国の国土に埋め込んだ地文学・神風串呂であることが判明したのです。
下記は、その皇統正史の結論とも言うべき超神秘的な神風串呂です。
⭕印の地名(重要地文)が、ほぼ等間隔に配置されています。
地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂(串呂哲学)です。
神風串呂は、地文(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学で、真日本国再建のために皇祖神・天照大御神によって構築されました。
ここでは、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の八尺鏡野と愛知県岡崎市明見町田代の「宮崎山伝正院裏山」にある興国天皇御陵との神風串呂をご紹介しています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになります。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠の戦国時代(120年以上)に、無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、守義(新城市)と小鷹神社(設楽町)
愛知県北設楽郡設楽町名倉の「小鷹(こたか)神社」には、後醍醐天皇の皇子「大塔宮護良親王」が祀られている。
南北朝時代の歴史を研究すると、護良親王が三河地方に来られたとは考えられず、南朝史学会の藤原石山氏は、守永=もりなが=護良で、「⛩小鷹神社」は、興国天皇(守永)を御祭りした神社であり、「石巻山」(豊橋市)の伝承からも小鷹(こたか)は、興国天皇(守永)の別称であると考証している。
三浦芳聖も、尊良天皇(大高)ー興国天皇(小高=小鷹)で、「⛩小鷹神社」の祭神は、興国天皇(守永)であると考証している。
この「小鷹神社」から、直線距離で約10キロの所に「守義」(もりよし、愛知県新城市作手)という地名がある。この「守義」は、「守義=もりよし=守良=もりなが=守永」と転化するので、串呂哲学では、興国天皇(守永)を表わす重要地文(符号)とされ、神風串呂が解明されている。
藤原石山氏の考証のとおり小鷹神社の祭神が興国天皇(守永)であれば、この「守義」という地名は、興国天皇(守永)の行在所(隠棲地)であったことに由来するものだと思う。
そうなると、この「守義」という重要地文は、「串呂の設計図」に基づいて構築されていることになるので、人間の目には、串呂が先で、現象が後のように見えます。
現象とは、守義が興国天皇(守永)の行在所(隠棲地)であったことを指します。
今回ご紹介する串呂は、一直方角線上に「⛩小鷹神社」や「守義」の他に、ゆかりの地が二つ、合計4ヶ所も存在する、神秘的な実証の神風串呂です。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、「八尺鏡野」と「興国天皇御陵」の神風串呂
三浦芳聖は神皇正統の皇位継承を昭示(あるいは鑑定)する串呂起点である八尺鏡野(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)と興国天皇御陵(愛知県岡崎市明見町田代宮崎山伝正院裏山)とを串呂すると次の様になると述べています。
「八尺鏡野」と「興国天皇御陵」との神風串呂
「八尺鏡野」(那智勝浦町)-「河合家」(岡崎市)-「興国天皇御陵」(岡崎市)-「守義」(新城市)-「小鷹神社」(設楽町)-「大日向」(飯田市)-「大日向」(南牧村)-「皇海山」(沼田市)-「太郎山」(日光市)-「田代山」(日光市)-「隠津島神社」(二本松市)-「高松山」(大玉村)-「御幸山」(伊達市)-「霊山神社」(伊達市)-「田代」(伊達市)
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』124頁、現住所に改め一部研究の成果を盛込んだ。)
【地文のみ掲載】
「八尺鏡野」-「河合家」-「興国天皇御陵」-「守義」-「小鷹神社」-「大日向」-「大日向」-「皇海山」-「太郎山」-「田代山」-「⛩隠津島神社」-「高松山」-「御幸山」-「霊山神社」-「田代」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)八尺鏡野(やたがの、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
「八咫鏡(やたのかがみ)」の隠文。
八咫鏡は日本神話に出てくる皇位継承に不可欠の神宝(三種の神器)の一つ。八咫鏡は、三種の神器(鏡、玉、剣)の中で最も重要とされる。
串呂では、「八尺鏡野」は、皇位継承(神皇正統の天皇に登極したこと)を昭示する(鑑定する)地文で、重要串呂起点。
(2)河合家(かわいけ、岡崎市明見町田代)
三浦芳聖の母・元子様の在所(実家)。(10)の「田代山」(15)の「田代」とで、田代三串の絶対確証の神風串呂を構成している。
河合家の遠祖・良玄法親王が建立した「宮崎山伝正院」のお庫裏さん(僧侶の妻)は、河合家から嫁ぐ慣行であったという。
三浦芳聖の母の詳細は、「尊良親王(再現)を御生み参らせよ!(№24)」 を参照ください。
【中級編】田代(たしろ)は、母の城の隠文。
(3)興国天皇御陵(愛知県岡崎市明見町田代宮崎山伝正院裏山)
興国天皇御陵(こうこくてんのうごりょう)は、愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にあるという。
三浦家の系図には興国天皇(守永)の御陵は、「猿田小高陵に葬る」と記されてあっただけで、「串呂哲学」「神風串呂」等によると、三浦芳聖は、この「猿田小高陵」を見つけるのに大変苦労したようだ。
興国天皇(守永)の伝説地は東日本一帯に数多くあり、終焉の地の候補地もいくつか存在する。
三浦芳聖の著書によると、興国天皇は、応永3年(1396)信州浪合(長野県下伊那郡阿智村)で遭難したが、辛くも逃げ延び(身代わりが死亡)、静岡県浜松市天竜区佐久間町「平和」(ひらわ)に潜居した後、弟宮である「良玄法親王」が営んでいた宮崎山伝正院に身を寄せたとしている。
猿田小高陵を宮崎山伝正院裏山に比定するに足る文献資料は無く、神風串呂と霊示(超能力)によって制定したようだ。
猿田小高陵が、なぜ、このように身近なところに有りながら分からなかったのかと言えば、三浦芳聖が数えの10歳の時に、父親が病気で急死したため、本来なら、口頭で伝える所が出来なかったためではないかと思います。
(推測にしかすぎませんが。)
宮崎山伝正院は、尊良天皇の第二皇子「基良親王」(良玄法親王)が開基したお寺で、尊良天皇を陰祀せる「太子堂」が有名。
【参照】天子ヶ岳と興国天皇御陵の神風串呂(№55)
(4)守義(もりよし、愛知県新城市作手)
興国天皇(守永)を表わす符号。
守義=もりよし=守良=もりなが=守永。
後醍醐天皇の皇子の名の読み方は「なが」「よし」の両様に読まれてきましたが、私は串呂哲学経綸上の必要性でそうなったと考えています。
【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇#皇子の名の読み
(5)小鷹神社(こたかじんじゃ、愛知県北設楽郡設楽町名倉)
この「小鷹神社」は、護良親王を祭神としているが、護良親王が三河地方に来られたとは考えられず、南朝史学会の藤原石山氏は、守永=もりなが=護良で、興国天皇(守永)を御祭りした神社であり、「石巻山」(豊橋市)の伝承からも小鷹(こだか)が、興国天皇(守永)の別称であることを考証している。
尊良天皇(大高)-興国天皇(小高=小鷹)(三浦芳聖の著書による)
三浦芳聖の著書には「小高神社」となっていますが、「小鷹神社」が正しいので、訂正します。
(6)大日向(長野県飯田市千代)
天津日嗣の隠文。神皇正統の天皇を表わす。大日向は天照大御神の御稜威の輝くところで、邪霊の活動できない事を表わす。甘楽郡南牧村の「大日向」とで「大日向」二串の確定立証の串呂を構成している。
(7)大日向(群馬県甘楽郡南牧村)
天津日嗣の隠文。神皇正統の天皇を表わす。大日向は天照大御神の御稜威の輝くところで、邪霊の活動できない事を表わす。飯田市千代の「大日向」とで「大日向」の確定立証の串呂を構成している。
(8)皇海山(すかいさん、群馬県沼田市)国内唯一の地名(山岳)
天津日嗣の天皇をあらわす隠文。ここでは、宮崎山伝正院裏山に祀る「守永親王」「守義」「小鷹神社の祭神」は、天津日嗣の天皇であることを昭示していると解釈します。
(9)太郎山(たろうさん、栃木県日光市中宮祠)標高2,368m
一宮(第一皇子)をあらわす。興国天皇もその父・尊良天皇も一宮である。
(10)田代山(たしろやま、日光市上三依)標高1,926m
宮崎山伝正院裏山の興国天皇(守永)の御陵の地名「岡崎市明見町田代」の「田代」を昭示する地文。「岡崎市明見町田代」と(15)の「田代」とで、「田代」三串の絶対確証の神風串呂を構成している。
(11)隠津島神社(おきつしまじんじゃ、福島県二本松市木幡)
市杵島比売命、多岐理毘売命、多岐都比売命の三女神を祭神とする神社。ここでは、この神風串呂を守護すると共に、興国天皇(守永)が、この串呂線上で、お隠れになったこと(崩御埋葬の地)を昭示する地文と解釈する。
(12)高松山(たかまつやま、安達郡大玉村玉井)
高松は、尊良天皇と松良天皇を合わせた串呂哲学上の符号で、三浦芳聖の符号でもある。ここでは、興国天皇の御父・尊良天皇を表わす。大玉村玉井は大王村王井の隠文(諺文)で、皇統を表わす。
(13)御幸山(ごこうざん、伊達市月舘町御代田)
御幸(みゆき)即ち、天皇が出かけることを意味する地文。この串呂線上には、興国天皇(守永)ゆかりの霊山神社(霊山城)や、宮崎山伝正院がある。
「小鷹神社」「守義」にも興国天皇(守永)の「御幸」があったかと思われるが、物的証拠は無い。
住所の月舘町御代田に、「代田」(田代の隠文)があることから、岡崎市明見町田代の宮崎山伝正院に「御幸」があったことを昭示していると解釈できる。(同上著125頁には、『「御幸山」之は「興国天皇」が皇弟「良玄法親王」の草庵へ御幸された事」』と出ている。)
(14)霊山神社(りょうぜんじんじゃ、福島県伊達市霊山町大石)
北畠親房、北畠顕家、北畠顕信、北畠守親を祭神とする元別格官幣社。鎮座地の霊山は親房以降の北畠氏の本拠地で、顕家が陸奥国府を置いた地である。 奥羽地方における南朝方の一大拠点で、興国天皇(守永)を奉戴していた。建武中興十五社のひとつ。
須賀川の宇津峰城と共に、興国天皇(守永)の行在所であり、実証の神風串呂である。『ウィキペディア』霊山神社 『ウィキペディア』宇津峰
(15)田代(たしろ、福島県伊達市霊山町大石)
宮崎山伝正院裏山の興国天皇(守永)の御陵の地名「岡崎市明見町田代」の「田代」を昭示する地文。地図検索で発見した。
「岡崎市明見町田代」と(10)「田代山」とで、「田代」三串の絶対確証の神風串呂を構成している。
【中級編】「御幸山」の住所「月舘町御代田」の「代田」を加えると「田代」四串になります。
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「八尺鏡野」-「河合家」-「興国天皇御陵」-「守義」-「⛩小鷹神社」-「大日向」-「大日向」-「皇海山」-「太郎山」-「田代山」-「⛩隠津島神社」-「高松山」-「御幸山」-「⛩霊山神社」-「田代」
皇位継承(神皇正統の天皇に登極したこと)を昭示(あるいは鑑定)する地文である「八尺鏡野」を起点とし、「興国天皇御陵」を鑑定する視点での神風串呂です。
一直方角線上に「興国天皇御陵」、興国天皇(守永)を表わす「守義」(おそらく興国天皇の行在所)、興国天皇にゆかりの深い「⛩小鷹神社」と「⛩霊山神社」等、四ヶ所もゆかりのある地文が並んでいる、超神秘的な実証の神風串呂です。
さらに「皇海山」などの重要地文があり、宮崎山伝正院の住所である「田代」四串の絶対確証の神風串呂であり、「大日向」二串の確定立証の神風串呂です。実に神秘的な神風串呂で、串呂主宰神のご苦心が偲ばれます。
🔴神風串呂を学びましょう!
串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。
これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!
🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!
💟串呂文庫
🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)
🔴バックナンバー(総合)
🟡情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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