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川島町松永と松良天皇御陵との神風串呂(串呂哲学研究ノート№92)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、埼玉県比企郡川島町「松永」と愛知県豊川市御油町「松良天皇御陵」との神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

1、松良天皇の御名(忌み名)について

松良天皇には贈り名が有りません。その代わりと言っては失礼ですが、松良親王(青木文献)、正良親王(長慶天皇紀略)、尊聖法親王(纂輯御系図・長慶天皇紀略)、成徳法印(日本史蹟)、成龍法皇(青木文献)と、たくさんのお名前があります。

南北朝時代という戦乱期を生き抜くために、変名して身分経歴を隠し、ある時には身代わりを立て、ある時には逝去を装い偽情報を流すなどして煙幕を張る必要があったのだろうと拝察します。

ですから、わずかに残された文献資料だけでは、同一人物とは思えないのですが、神風串呂のお蔭で「松良親王」と「正良親王」が同一人物であることが判明したのです。

松良、正良、成龍は、すべて「しょうりょう」と読むことが出来ます。成徳しょうとく尊聖そんしょうには「しょう」が入っています。

松良天皇の串呂には、「しょう」の付く、正島しょうじま正法寺しょうほうじ正家しょうげ正善寺しょうぜんじ松永しょうえい松長しょうちょう正吉しょうきちなどが出て参ります。

今回は、埼玉県比企郡川島町の松永松良天皇御陵との神風串呂をご紹介します。

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